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【つれづれ】続・日本選手はお利口さん、そしてイチローのマリナーズ復帰と運命の1995年

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続きです。

1995年 ターニングポイント

1995年に当時所属していたバッファローズともめにもめ、激しいバッシングの中、アメリカのメジャーリーグに移籍しスターになった野茂投手。

当時のアメリカ球界では、選手のストライキがおこりファン離れが進んでいた時期もあり、野茂さんの活躍が米国球界でも救いになったようです。野茂さんの活躍もあり、日本人選手がメジャーリーグへの移籍する先駆けになりました。

 

こちらは、1年前の記事ですが、野茂さんがWBC準決勝で、始球式でトルネードを披露した時のもの。野茂さん現役時代の監督のラソーダさんも招かれてましたね。

2017年 現地時間3月21日。日本代表の背番号16のユニフォームの上着を着た野茂さんと、89歳となったトミー・ラソーダさん

野茂さん太りましたね。熊さんオーラが半端ない。ラソーダさんも懐かしいなあ。

1995年は日本野球のグローバル化の元年といえるのかもしれません。

 

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1995年の日本

1995年というのは、野球の世界のみならず、日本社会のターニングポイントになる年だったと思います。

阪神大震災やオウム真理教によるテロなどが発生しましたが、政府は何もできない、する気がない、能力がない、ということが暴露された年でもあったと思います。社会の安全性や機能への信頼など、信用してきたものが、実はボロボロに形骸化していることに気が付いた年ではなかったでしょうか。生活を守るための、ファイアウォールが機能していないことに気が付いた日本人は多かったと思います。

そして皇室もまた、菊のカーテンの一枚がめくれあがり、その本性がばれる一歩がはじまりました。

・1995年1月17日 阪神大震災、

社会党村山政権は自衛隊の派遣を遅らせたため、惨事は広がった。

 

・阪神大震災3日後に、皇太子夫妻が中東を訪問。平成皇室のモットー「国難よりレジャー」

ちなみに、前年の’94年の11月5日から15日までの日程で皇太子夫妻は、サウジアラビア、オマーン、カタール、バーレーンの中東各国を歴訪しているにもかかわらず、大震災直後に訪問を強行。

「国難よりレジャー」、これは、明仁夫妻をはじめ、平成皇室のモットーですが、「国民とよりそう」と言い続けている皇室の正体が露見し始めた年でもあったと思います。

同じころ、ラクダレースで馬鹿笑いする雅子

「国が大変なのだから」と、訪問先の王族に帰国をすすめられ、しぶしぶ帰国する雅子。

ゴミのようなクズの雅子。

※雅子の偽善1

※雅子の偽善2

※美智子の偽善

 

・1995年2月8日、野茂はロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結ぶ。年俸は近鉄時代の1億4000万円から980万円に。

年棒の大幅ダウンにもかかわらず、世界一の舞台を選びました。

 

・1995年3月20日 オウム真理教による地下鉄サリン事件、

あれほどの事件なのに、破防法が適応されず。誰のための法であり、何のための法律なのか、いったい誰の国なのかが問われる事件でもありました。

 

・1995年5月2日 野茂選手。メジャー初登板。

サンフランシスコ・ジャイアンツ戦。初登板では勝ちに恵まれなかったが、6月2日の初勝利以降は好投を続ける。メジャー初年度の野茂は、最多奪三振のタイトルを獲得。オールスターの先発に選ばれ、新人王に選ばれます。

野茂さんがメジャーリーグで登板しはじめたのは、阪神大震災のあとだったんですね。野茂さんのメジャーリーグへの兆戦は、最初はマスコミからもバッシングの嵐でした。よく覚えています。でも、野茂さんが成績を上げて帰国するとマスコミは英雄のように書き立てていましたね。マスコミの手の平返しぶりがすごかったです。

大震災がおこったのに社会党の村山内閣は対応がおそくて自衛隊をなかなか出動させず、そのせいで死ななくてもいいか方がたくさん亡くなりました。政治家の不祥事やオウムの事件などもかさなり、日本全体が、どーんと落ち込んでいました。

納税などの義務で国を支えながらも、政府からは何の保証もないという事実によって、国と国民の間の信用が失われ、不安が霧のように広く広がります。

 

コメント欄より

6年前の書き込みを見つけました。

328 :名無しさん@お腹いっぱい。:

2011/03/14(月) 05:40:06.53 id:M76dVYEo 転載 <拡散希望>

「みんな、阪神大震災のこと忘れちゃったの?」 私は神戸出身です。

中学生の時に阪神淡路大震災を経験しました。 みんな、あの震災のこともう忘れちゃったんですか? 民主党は旧社会党の議員が7割を占める政党です。 名前は民主党に変わりましたが、実態は土井たか子や村山富市がいたあの社会党と変わりません。

あの震災の時、村山内閣が何をやったか、みんなもう忘れちゃったんですか?

その反自衛隊思想から、自衛隊の出動を取り返しのつかないほど遅らせ、多くの人々を死に追いやったこと。

泣きながら自衛隊の出動を国会で要請した地元議員に、薄汚い野次を飛ばした社会党議員のこと。

自衛隊より先に現地入りした「辻元清美」等が、私たち被災者に「自衛隊は違憲です。自衛隊から食料を受け取らないでください。」と書かれたビラを配っていたこと。

本当にみんな忘れちゃったんですか?

「辻元清美」は今回、ボランティア担当補佐官として活動することになります。 知らないなら知ってください。忘れているなら思い出してください。 私はそんなの絶対に嫌です。

(以上)

※義援金と赤十字の謎

 

あのころ国民は、視たくないものから目をそらすために、アメリカで活躍している野茂さんを見ていた所があったと思います。

梅田駅の大きなモニターに映る野茂さんの投球を、じーっと多くの方が林のように並び立ちながら微動だにせず見守っていたのを思い出します。

 

がんばろう神戸と天才イチロー

そして、この1995年、イチロー選手が所属していたオリックスが、地元の神戸で被災し、「がんばろう神戸」の合言葉で西武と優勝を争いました。11年ぶり11度目のパ・リーグ優勝達成。オリックスになってからは初の優勝でした。

イチローは前年の94年は史上最年少MVPを獲得して大ブレイクしており、この年の95年は史上初の打撃五冠王(首位打者・打点王・盗塁王・最多安打・最高出塁率)を獲得しています。

社会の混迷が深まれば深まるほど、スタジアムに注目が集まりました。

1995年、あれだけ、国内外の野球スタジアムに国民の意識が集中した年は珍しかったのではないでしょうか。

 

日本政府は国民栄誉賞に松井秀喜を選びましたが、評価はやはり先駆者の野茂さんの方が高くなるのが普通でしょう。

野茂英雄氏が日本人唯一選出 米メディアが「野球史で最も重要な40人」発表

野茂は「イチロー、マツイ、ダルビッシュの水先案内人」、米メディア選出の40人は…

「1960年代にサンフランシスコ・ジャイアンツで2シーズンプレーし、日本に戻り、17シーズンプレーしたマサノリ・ムラカミとは異なり、野茂はアメリカでもスターになった。イチロー・スズキ、ヒデキ・マツイ、ユウ・ダルビッシュのようなメジャーで際立つ日本人の新たなジェネレーションの水先案内人として貢献した」

(中略)

1位 ベーブ・ルース(野球の神様)

2位 ジャッキー・ロビンソン(メジャー初のアフリカ系アメリカ人選手)

※選手時代は、黒人差別がきつかったらしいですね。この方がメジャーリーガーになる前は、黒人のリーグでしかプレイができませんでした。

オーナーに引き抜かれてチームに入っても、黒人と一緒にプレーするのはイヤ、といってやめていった白人選手もおり、ファンからの嫌がらせなど、ロビンソン選手は、聞くも涙、語るも涙の辛抱に辛抱を重ねて、最後は差別に勝利するのですが、黒人選手のパイオニアというだけではなく、差別に勝利した偉人として認識されているようです。

その、ロビンソン選手の功績をたたえ、背番号の42番は全チームで永久凍結されているそうな。

ロビンソンのデビュー日である4月15日は「ジャッキー・ロビンソン・デー」とし、この日だけは42番の背番号をつけてプレーすることが許されているとか。日本にきたアメリカ人選手が42番をつけたがる傾向があるという記事も読みました。

37位 野茂英雄

となっていますね。日本人、アジア人選手では野茂さんだけですね。

続きはこちら

 

メジャーリーグの世界でも、日本人選手は「礼儀正しい」「お利口さん」と評判をとる方が多いですね。

元阪神の新庄選手もメジャーに行きましたが、チャラ男らしく、ハイテンションでメジャー生活を満喫していましたね。現地でも好かれている様子がわかりました。

日本球界とメジャーリーグとの距離が近くなり、選手さんの活躍の仕方もグローバル化され、それゆえに、日本球界は米国リーグのマイナーリーグ化がすすんでしましました。甲子園でスターになり、日本球界に入り結果を出すと、ダルビッシュも、さっさとメジャーへ行ってしまいました。日本球界が寂しくなりましたね。

でもそれは、しゃーないのかな。

 

ウサギの頭はわるくない

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6 件のコメント

  • 取り留めのない話ではありますが・・・。

    比較的最近になりますが、2009年のWBCは生中継を見ていました。皆の期待を一身に背負って、最後の最後でイチロー選手は優勝打を放ちました。野球というスポーツのルールに則った上ではありますが、力と力の激しいぶつかり合いの末に勝利したことに感動しました。リーマンショックで国内景気が急速に冷え込む中、世界で活躍する日本人選手たちに希望の光を見た方は多いはずです。

    その後すぐに民主党政権が誕生して東日本大震災があり、経済も異常な程冷え込んで後一歩で日本は破滅するのではないかという暗黒の3年間でした。私自身大学院を卒業したのが2010年で、研究室推薦で確実と思われていた会社に就職できず当初は不本意な就職をしたこと、またその翌年に東京の職場で震災に遭って隣県の自宅まで夜通し歩いて帰った経験があるので、印象深い3年間でもあります。

    その後安倍政権が誕生し、米国の金融緩和による株価上昇に誘導される形で日本の景気も傍目には回復しましたが、少子高齢化や社会保障、雇用問題などは未だ先延ばしされたまま悪化し続けています。東京オリンピックまでは景気が持っても、その後は反動でまた不況になるのは確実で、多くの日本人が不安を抱えています。

    そしてそんな中でまた日本人選手による冬季オリンピックでの活躍があり、陰気な世の中で彼らは多くの人の心に明かりを灯したと思います。スピリチュアルな話ではありますが、知り合いの霊能者の方によると、日本の神様は人に良い影響を与える人を手助けされるそうです。系列は違うかもしれませんが、羽生選手には特にそのようなものを私としても感じます。金メダルが通産1000個目というのもおそらくその印なのでしょう。(他には選手団の中でも私は高木菜那選手の笑顔が子供と似ているので好きですが。)

    2年後の東京オリンピックでは地元開催ということもあり、またきっと多くの選手が日本中を沸かすでしょう。そしてその後にまたきっと何かあると思います。不況だけではなく、何かまた災害や戦争が起こるのではないかと危惧しています。そうしたらまた2022年の冬季オリンピックや2024年の夏季オリンピックで選手たちが希望を、という形になるのではないでしょうか。

    しかしもういい加減、抜本的な変革が日本には必要です。日本人選手の活躍でガス抜きをするのにも限界があります。基本に戻ることです。少子高齢化や社会保障、雇用問題などの社会問題に正面から取り組むだけでなく、同じ日本人同士が持つ独自の強みを取り戻すべきです。そしてそのためには本当の歴史を取り戻す必要があります。仕事で外国に暮らしていますが、外国から日本を見ているととても心配になります。(日本では欧米の先進国を見習うという論調が強いですが、家族や地域社会や民族など実際は壊れている国だらけです。日本がそんなものに引っ張られる必要はないです。)

    • 安保法案など、日本の国が根本からかわる法案が成立しましたね。
      阿部ちゃんの戸籍が田布施にあることに一抹の不安を感じますが、祖父の岸さんは売国奴ではなかったことに希望をみいだしてはいます。

  • 追記です。本稿は1995年がターニングポイントという話であったのでそれに絡めてです。こちらも個人的な回想記のような内容で恐縮です。

    1995年当時はまだ小学校高学年であったためかあまり世の中の動きが分かっていませんでした。テレビで野茂選手のことも見ていたはずですが、ほとんど記憶にないです。一方で当時住んでいた実家は関西地方にまあまあ近い場所であったので、阪神大震災の起こった朝は突然の揺れで起きたことを覚えています。親も起きてきてテレビを見ると、最初は何か神戸の辺りがとんでもないことになっているくらいの認識でした。当時の内閣による二次的な人災という側面が強かったという事実は後々大人になって自分で調べるようになってからようやく分かりました。

    地下鉄サリン事件については東京にその当時何の馴染みもなかったので、ふーんという感じでした。むしろオウムや青山弁護士をネタにして学校で友達と真似してからかっていた記憶の方が強いです。事件前にとんねるずで麻原が出演していたのを見たことがありますが、改めて考えてみると何の警戒心もなく犯罪者集団が出演をして人生相談まで行い、しかも連中を知識人と呼ばれるジジイとババアがメディアを通して賞賛していたというのは恐ろしいことだなと思います。

    1995年頃からおかしな犯罪も増えたように感じます。その象徴が1997年の酒鬼薔薇事件です。何かの雑誌で犯人の顔写真が掲載されて当時友達から見せてもらいましたが、狐のような顔が印象的でした。しかもその当時から犯人の名前を自分の周囲の人たちは知っていて、なぜかと思ったら友人の親の仕事つながりだったようです。この頃から自分のいた地域でも携帯電話が普及し始めていて、通っていた中学校でも1-2名持っている生徒を見かけるようになりました。全体的な雰囲気としては、その頃に連載を開始したサイコメトラーEIJIの中の登場人物達がマイルドになったような若年層が一気に増えた感じはします。自分の2-3歳上くらいです。

    何というか日本の社会や共同体から遊離する人達が増え始め、世代間の連続性が薄まり、経済不況や震災も相俟って、社会全体に蔓延る矛盾が大きくなったことがはっきり分かり始めたのが1995年から数年の間であったのではないかというのが正直な感想です。これらの事象が実は誰かの筋書き通りだとしたら、本当に恐ろしいことです。

    • 1993年が雅子の入内なんですね。
      この年は、たしか、史上類のない冷害で、お米がとれずタイから輸入するという異常事態になりました。
      美智子もたいがい穢れていましたが、水俣の祟り付きの雅子の穢れ方は半端ないと思います。
      天皇皇后の運気がそのまま国に反映しますので、、中国人工作員と思われるニセ秋篠宮夫妻もたいがいですが、ナルマサの即位は、勘弁してほしいですね。

    • でれでれ草様
      ミチコ(2号)入内は昭和34年で、伊勢湾台風でした。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E6%B9%BE%E5%8F%B0%E9%A2%A8
      これも大したもんです。

    • 強烈でわかりやすですよね。
      雅子のコメ不足と冷害もたいがいでしたが、、、
      偽真子とキムコムロの婚約は、北朝鮮のミサイルでしたし、やはり、天は何かを教えているのだと思います。

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