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世界の闇|麻生太郎の謎⑪|ローマ教皇と会ったのは太郎1号、五輪出場は太郎2号?

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本日もお越しいただきありがとうございます。

いつもキレキレのコメントを戴きありがとうございます。多忙のため、お返事が出来なくなっております。申し訳ございません。

ローマ教皇と会ったのは太郎1号か?

麻生太郎 wikiより抜粋編集

信仰

クリスチャン(カトリック)である。洗礼名はフランシスコ。

靖國神社への参拝も行っている(総理就任時には参拝していない)。

また靖国神社の非宗教法人化を提唱している。

終戦の日の8月15日ではなく、春秋の例大祭に合わせて参拝[17]することが多い。

内閣総理大臣在任中の2009年(平成21年)1月4日、伊勢神宮に参拝した。

また、神道政治連盟国会議員懇談会の名誉顧問でもある。

以上

 

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2009年7月7日 麻生首相がローマ教皇と会談、日本の首相としては10年ぶり

https://www.christiantoday.co.jp/articles/3805/20090709/news.htm

イタリアで開かれる主要国首脳会議(G8サミット、8〜10日)に出席する麻生首相は7日昼(日本時間同日夜)、バチカンでローマ教皇ベネディクト16世と初めて会談した。日本の首相がローマ教皇と会談するのは、99年の小渕恵三首相とヨハネ・パウロ2世の会談以来10年ぶり。

 

祖父の吉田茂元首相の代からカトリックの家系でる麻生首相は、吉田元首相が歴代首相では初めてローマ教皇と会談したことについて触れ、「11億人のカトリック信者を背景に独自の外交力を有するバチカンと、国際情勢の安定や、人類共通の問題の解決に向けて協力していきたい」などと伝えた。

一方、ベネディクト16世は、カトリック信者である麻生首相との会談を嬉しいことだとし、日本に対しては、経済危機の影響を受けている国々や、アフリカなどの開発問題解決への貢献を期待していると語った。

以上

 

「また、神道政治連盟国会議員懇談会の名誉顧問でもある」

こういうのって、矛盾しないんですかね。

 

この麻生さん、ひょっとこみたいに、極端に口は歪んでないんですよね。鼻の幅も広めです。上唇が薄くて、横に広い口をしています。眉毛が、への字ですね。

鼻の幅が広いです。上唇の中心をを目いっぱい鼻に向かって引き上げて笑うんですよね。中韓人の方は、逆に、上唇を固定気味にして、下唇を下げて話し、笑いますが、、。この太郎ぼっちゃんは、今の皇族と違い、(工作員の家系であっても)日本語の環境で育った人なのかな、、と。

 

画像が悪いんですが、、動画はこちらから

 

への字の眉毛、幅の広い鼻、上唇の使い方が似ているので、やはりローマ教皇と対面したのは太郎1号だと思うんですね。

ローマ教皇と会っているので、本物の麻生太郎かな、、、と。

 

クレー射撃 五輪出場は太郎2号か?

大学時代からクレー射撃を始め、22歳の時全日本選手権を当時の日本新記録で優勝。

1974年に行われた第2回メキシコ国際射撃大会に優勝。

1976年のモントリオールオリンピック日本代表に選出されるが41位に終わる。

それ以来クレー射撃は封印し、以後一度も引き金を引いていない。

2000年5月には日本クレー射撃協会会長に就任した。

以上

 

異常に首の長い不思議な太郎坊ちゃん。首から下ととは別人の顔を貼ってるんだと思うんですけど、土台になっている人はだれなのかは不明。

五輪にでたのは、太郎2号なのかな、あるいは、別のひとかも。やっぱり、1号とは口がちがうなあ、、と。

wikiによると公式身長は175㎝。五輪に出場した時は173㎝で登録されているそうです。サバを読んだのかもしれませんが。

 

wikiより

気になるのは、年譜の中で、米国留学、その後の英国留学、のことは触れていないんですね。

1940年(昭和15年)

9月20日 – 福岡県飯塚市に生まれる。

麻生塾小学校(現在は閉校)を経て、小学3年生の頃に上京し、学習院初等科に編入する。

1959年(昭和34年)

3月 – 学習院高等科卒業。

1963年(昭和38年)

3月 – 学習院大学政治経済学部政治学科卒業。

当初は父親と親交があった水野成夫の伝手で産業経済新聞社に入社するも、スタンフォード大学の試験にも合格したため、一日も出社せず休職して海外留学を選んだ。

※米国留学、その後の英国留学に触れているのはここだけなんですね。

帰国後は産経も退職して、1966年に実家の麻生産業(「麻生」の初期の中核企業 後に清算)に入社。

1960年代後半

ブラジル、サンパウロに1年近く駐在していたことがあると本人は語っている。

1970年から2年間

シエラレオネにて、同国のダイヤモンド産業国有化政策実施後に地元有力者から鉱区の提供を受けた麻生家の現地駐在員として、ダイヤモンド採掘業に従事していたが、シエラレオネ内戦勃発で帰国した。

1973年

セメント事業の分社化の後にグループ中核企業となった麻生セメント(現:株式会社麻生)の代表取締役社長に就任。

炭鉱業からセメント業への転換を成功させた。

1976年

麻生産業時代、社長業の傍らで、モントリオールオリンピックにクレー射撃の日本代表選手として出場(結果は41位)している。

1979年

10月、第35回衆議院議員総選挙に旧福岡2区(現:福岡8区)から出馬、4位(定員5名)で初当選し政界入りする。

1982年

自民党青年局局長に就任。

1983年

11月3日 – 鈴木善幸元首相の三女千賀子と結婚、後に一男一女をもうける。

 

麻生さんの海外留学

Wikiの年譜の中には、スタンフォード大学留学のことや英国留学のことは書いてませんね。経歴、学生時代のエピソードにあるのみで、年譜には記載してません。記載漏れでしょうか。

麻生太郎 wikiより抜粋

経歴

世界での事業

当初は父親と親交があった水野成夫の伝手で産業経済新聞社に入社するも、スタンフォード大学の試験にも合格したため、一日も出社せず休職して海外留学を選んだ

 

其の他、逸話

学生時代

アメリカのスタンフォード大学で大学院に在籍していた時、祖父の吉田茂がマッカーサー将軍の葬儀に参列し、その帰途サンフランシスコにいる麻生の所に赴いた。

その時、アングロファイル(英国偏愛家)であった吉田は、麻生のカリフォルニア訛りのアメリカ英語が気に入らなかったらしく、東京に戻った際、吉田の娘であり、麻生の母にあたる和子に厳命し、直ちにスタンフォード大学から引っこ抜くように言いつけたという。

その結果、もうすぐ修士号を取得しそうだったにも関わらずイギリスのLSE(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)へ送り出された

イギリスに送り出されたために、カリフォルニア訛りのアメリカ英語が、イギリス英語のコックニー訛りに変わったという[176]。

以上

 

いろんな事例を見ているので、つい、色眼鏡でみてしまいます。

・学習院初等科に編入したのは、麻生太郎1号だったのでしょうか。父親が特別に、社員の子弟をふくめた全生徒数4人の特別な小学校をつくった。ほかの兄弟は普通に学校に通ったと思われる。

しかし、太郎坊ちゃんの学力が思うようにあがらないため、断念。別人を学習院に行かせた可能性はあるのだろうか。ないのだろうか。

・米国留学へ行ったのは、どの太郎なのか?

・英国留学へ切り替えたのは、別人が行ったのでは?あるいは、ほかに理由があったのかなあ、、、とか。

・結局、太郎坊ちゃんは、英国で学はおさめたのだろうか。コクニー訛りになったのは、でいりしていたのが、そういう下町だったからだとおもうんですが、學校に通ったのだろうか。

 

吉田茂のコンプレックス

養父が国家予算れべるの金を残したので、金はくさるほどもっているが、、、

英語もできない、仕事もできない、チビ、ハゲ、デブ、饅頭がつぶれたみたいなブサイクな風貌、嫁は華族からきた傲慢な女、幅を利かせられるのは花柳界だけ、、、けっこう、生き辛かったのではなかろうか。

吉田茂が、「孫の太郎坊ちゃんの英語の訛りが気に入らなかった」ため、「修士号がとれる直前に」英国へ無理やり切り替えさせられた、とありましたが、、、、、、。

吉田茂は英国贔屓の人だったんでしょうが、じつは上手に英語が話せない人でした。

マッカーサーたちのアメリカ英語も理解できず、「アメリカ英語はわからない」とうそぶいていましたが、英国大使だったころは、通訳をよんでくれ、と、英国人にクレームを入れられるほどの英語力だったそうです。つまりどこの国の英語もお粗末だったということになります。

それでも、昭和天皇が父のように慕っていた牧野宮相(大久保利通の息子)の娘婿ということもあり、ある程度の地位を与えられていました。それでも、戦前は中国大陸をあちこち赴任させられており、外交官としては落ちこぼれだったとされています。

大陸に赴任していたとき、正田美智子の母である、正体不明の中国女・正田富美と知り合っていた可能性はかなり高いと思います。そのつながりから、旧同和の家だった正田家を貴族議員にし、その後、長女美智子の皇太子妃冊立へと協力した可能性があります。

吉田茂は東大に入りましたが、お金を積んで入ったのは有名です。

その学歴コンプ炸裂していた祖父が、はたして、大事な孫の修士の習得を邪魔するでしょうか。

 

興味があるのは、オリジナルが果たして生きているかどうか

で、気になるのは、ゲッソリしていた麻生さん。

左はローマ教皇と対談した太郎1号、右はゲッソリやつれていた、げっそり太郎7号。

左の人は口が大きくて顎が短いなあ、、と。

左:ローマ教皇と会った麻生さん、右:ゲッソリした麻生さん。

左は画像から落としてきたので、加工はしてないと思うんですね。大ざっぱですが、肩幅と顔の大きさを比べてみます。

 

左の麻生さん、吉田茂と口が似てますね。仮に麻生太郎ではなくても、吉田茂の血族なのかなあ、と。

管理人の想像ですが、、、

ナルや雅子、愛子さんのように、代々工作員の麻生家の太郎ぼっちゃんも、学歴獲得要員、政治要員、クレー射撃要員、など、担当が分かれていたのかなあ、、と。

太郎1号と思われる太郎坊ちゃんの笑顔が可愛くて曇りがないのは、重たい業務を分担する人間がほかにいるため、ストレスフリーだからではないでしょうか。

Japan’s Prime Minister Taro Aso (L) offers a video camera to Pope Benedict XVI during a private audience on July 7, 2009 at The Vatican. AFP PHOTO / POOL (Photo credit should read -/AFP/Getty Images)

ほかに、身長や静脈を比べてみようと思いましたが、後日、時間のある時にしたいと思います。

アクセス数はさほど変わっていませんが、人気ブログランキングがどっと下がったのは、もしかしたら、太郎ぼっちゃんの検証記事が、ど真ん中ストレートだったのかもしれません。

明日は県外に出ますので更新がとまりますが、また、皇族の検証なんかを続けていこうと思います。

今後ともよろしくお願いします

 

 

 

 

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3 件のコメント

  • でれでれ様。おはようございます。
    ブログの更新お疲れ様です。また平成を代表する有名人が
    亡くなりました。
    ちびまるこちゃんの作者「さくらももこ」さんです。
    乳がんで闘病中だったのですね。ちびまるこちゃんは
    平成初期~現在までずっと人気作品で私も好きでした。
    先日には西城秀樹さんも亡くなり寂しい限りです。
    ご冥福を祈ります。平成の代表有名人が次々と亡くなったり
    引退して消えていきます。おかしいですね・・・
    やはり何か「ある」のでしょうか・・・?

    麻生さんですが、最近、顔の色艶が良くなり若くなったように見えます。
    画像掲示版でもおかしな工作員が、うごめいていますね。
    ガールズ、5ch、Yahooは完全に「秋篠宮貶め、東宮上げ」反日中朝工作員に乗っ取られました。
    あのどうしようもないボンクラ東宮のどこをどうやって
    「褒め上げ」るのか?苦しいでしょうね(笑)
    片腹痛い限りです(笑)

  • アクセス数減ったのですか?
    最近特にどの時間帯でも繋がりにくく重たい、麻生さんの記事のせいかと思っていました。
    (今日は問題なく繋がりました)
    何かまずい事やずばり指摘されてるとそうなんでしょうねぇ
    逆に最近の愛子さんだと問題なく拝見出来きます。

  • 北海道で地震の被害に遭われた方々、心よりお見舞い申し上げます。

    夜中の3時に震度7なんて、どれほどの恐怖だったか。
    せめてもの救いは、真冬ではなかったこと。
    北海道の真冬に停電なんて、考えただけで恐ろしいです。

    今後も、日本国内で災害が起こる可能性が十分あります。
    明日は我が身です。

    麻生さん、ベネディクト16世に謁見しているんですね。
    ベネディクト16世といえば、生前退位した無責任な教皇で、良い印象はありませんね。
    あ、日本にもそんな人いますね(笑)
    ベネディクト16世が、退位を表明した日の夜、サン・ピエトロ大聖堂のバシリカの尖塔に雷が落ちました。
    神のお怒りです。当然です。

    9月28日は、ヨハネ・パウロ1世のご命日です。
    亡くなられてから40年が経ちます。
    今年のご命日の翌日9月29日にヨハネ・パウロ1世の死因について、
    イタリア当局が、なんらかの証拠?を公表すると言われています。
    ほとんどの人は、あの亡くなりかたを自然死だとは思っていないでしょう。
    私は暗殺だと思っています。
    イタリア当局は、なぜ今年になって公表するのか。何を明らかにするのか。期待はしていませんが。

    ヨハネ・パウロ1世は、在位33日で亡くなりました。
    『11』『22』『33』という数字は、イルミナティが気にする数字です。
    6:15あたりから『33』の説明が始まります。

    『デンバー国際空港 // 数秘術とスピリチュアリティの世界』
    https://www.youtube.com/watch?v=sW5DpcS-33s

    話はかわって、今、世界的に金融危機ですが、なかでもイタリア、トルコ、アルゼンチン、ベネズエラが注目されています。
    金融危機となれば、当然、皇族たちは、動き出します。

    彬子さまは、9月8日~14日の日程で、「三笠宮記念財団」の記念行事出席のため、トルコへ。
    信子さまは、9月18日~26日の日程で、「伊日研究学会年次総会」に出席のため、イタリアへ。
    いずれも公務ではなく、私的旅行との事。
    表向きは、行事出席になっていますが、三笠宮家と麻生家の資産を移動するために行くのでしょう。
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180827-00000088-jij-soci

    承子さまは、9月10日~14日の日程で、皇族として初めて、東ティモールを訪問するとの事ですが、
    ユニセフ絡みで出張とは、プンプン臭います。

    皇太子もフランスに行くし、偽皇族さんたちは、運び屋(パシリ)として大忙しですね。

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