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【つれづれ】希望の党・小池百合子辞任、箱舟だと思ったら泥船だった

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本日もお越しいただきありがとうございます。

希望の党:箱舟だと思たら、泥船だった

10月23日 衆議院選で惨敗

「希望の党は東京の小選挙区で惨敗した。代表の小池百合子東京都知事のお膝元として、全25選挙区のうち23で候補者を擁立したが、勝利したのは21区の長島昭久氏のみとなった。」

21区の長島昭久って、この人は、もともと、どこの党に所属しようと勝てる人だったはず。事実上、小池の、おひざ元が全滅したのよね。全国の選挙区で、泥船にのって沈んだ候補者が半端なくおおすぎ。いや~、実にメシウマだったわ。

 

小池百合子 希望の党代表辞任

http://www.sankei.com/politics/news/171114/plt1711140040-n1.html

東京都の小池百合子知事は14日、希望の党両院議員総会で党代表を辞任する意向を表明した。玉木雄一郎共同代表が新執行部体制を始動させる機会を捉え「これからは皆さま方にお任せし、しかるべき形でサポートしたい」と述べた。小池氏は玉木氏を後任の代表に指名し、総会で了承された。小池氏は9月25日に希望の党の代表に就任したが、同党は直後の衆院選で惨敗、小池氏の求心力は低下し、都政に専念する必要に迫られた。

小池氏は総会で「創業者の責任として代表でスタートしたが、(党の)方向性は決まっているので、代表の座を降りさせていただく」と述べた。総会後は記者団に「創業者としての責任をひとつ終えた」と述べた。今後の党運営は「これからは全員野球でやっていただきたい。方向性は収斂されていく

世論の風まかせに漂泊し、その都度、おいしいとこだけ齧って逃げていく。

百合子ちゃんがからみでは、よくある話し。そのたんびに、笑ってごまかしてきた百合子ちゃん。

しかしながら、希望の党の代表を、選挙が終わったら辞めるだろうなとは思ってましたが、こんなひどい止め方をするとは思いませんでしたね。

小池百合子の政治家生命が「リセット」されちゃった感が半端ない。

都政に専念するったって、今更、、、。あんた。何にもできないじゃないの、と思っている人多いと思うヨ。

 

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東京と大阪の違い

2016.4.24 東京都立狛江高等学校

ダンスのことはよくわからんけど、カッコいいと思う。

 

2017年大阪府立登美ヶ丘高校 フルバージョン

 

面白いことをしているのに、基盤になっている技術が高いですね。

バブリーな衣装は「おばあちゃんから、もらった」そうです(笑)。

 

2016年大阪府立登美ヶ丘高校

2016年も80年代をテーマにしたダンスでしたが、一貫してドラマ性がありますね。

東京は秩序美に帰一し、そして、大阪は芸に帰一しますね。

どちらも素晴らしいと思います。

 

明日、明後日と県外を離れるので、更新が止まります。

また、おめにかかりましょ。

 

ごくごくごく

 

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11 件のコメント

  • derederegusa さま

    鹿児島の離島に、アキミチさんがいらしてます。
    連日の報道を見るにつけ、イライラが募ります。腹が立ちます。

    「ご訪問」って、何しに来たんだ?
    噴火で一時避難した、口永良部島の住民の帰島後の生活を視察するため…などという、もっともらしい理由が挙げられてますが…
    結局それにかこつけて、ただの観光旅行なんですよね。

    税金の無駄遣いです。

    疲れたから譲位(退位)するんでしょ?だったら、皇居の内の奥深く、謹んでお暮らしなさいませよ。
    天皇を辞めるなら、特権はく奪当たり前!
    一宮家並みの生活費で、静かに老後をお過ごしください。

    然るべき者を摂政に立て、そのものに国事行為と祭祀を任せ、ご自身は終生天皇のままで表舞台から姿を消されても、お年がお年ですから国民は納得しますよ。

    来鹿したミチさん、顔にシワがない。年齢が一番出るという首も綺麗。
    「あんた、誰?歳、いくつ?」と、マジで聞きたいです。

    • >結局それにかこつけて、ただの観光旅行なんですよね。
      観光+コマーシャル撮影ですね。
      テレビにでてないと不安なんでしょう。偽物ですから。
      摂政といっても、今の皇族は偽物だらけですか微妙ですね。
      偽物の皇族であった天武天皇の天武系が絶えたように、明治系も同じ道を行ってるのだと思います。

  • derederegusa さま

    続けての投稿失礼します。

    アキミチさん、今夜も沖永良部島にお泊りのようです。

    奄美地方は、現在、激しい雨が降っているそうです。
    今、竜巻注意報が出ました。
    アキさん、神威の守りがないんですね。つくづくあきれます。

    祭祀サボってばかりだからでしょう。

    他の系統の男系男子に、一日も早く皇籍復帰していただきたいです。

    • >他の系統の男系男子に、一日も早く皇籍復帰していただきたいです。
      同感です。
      偽物の皇統のさらに偽物のコンパニオンが天皇、皇族の振りをしてますが、
      ほんものの皇統でないと、神がからないでしょうし、問題がでてくるでしょう。

  • でれでれ草様。
    記事に書かれていらっしゃる内容とは関係無い事柄なので、
    公開・非公開はお任せ致します。
    今現在、様々に画策されている事柄等は、
    誰かが急に思いついたり、
    裏組織の独創的な一か八か的な計画であったり、、、
    では無いと、多分にお考えであると思います。
    いくつかの試験的行為をした上で、
    実行する側が、まるで会社での日常業務を遂行する様に、
    確実に成功するフローチャートにのっとって動いているのだと思います。
    江戸末期・明治初期の福岡藩黒田家を調べていて、
    薩摩藩島津家の藩主・島津重豪(しまづ・しげひで)
    が、そもそもの始まりではないか‥と感じております。
    学校で習った近現代日本史は、私が知らなかっただけかもですが、本当に上っ面だったようです。
    『蘭癖(らんぺき)』と言う言葉からです。
    https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%98%AD%E7%99%96
    (Wikipediaから参照↓)
    【「鎖国」等と同様に、明治以降になって普及した後に、それ以前の「蘭癖」的人物もこの語で形容されるようになったものであろう。
    吉雄耕牛・平賀源内・大槻玄沢らは、オーストリア領オランダ(ネーデルラント連邦共和国)が滅亡した1795年正月に、オランダ正月と呼ばれる太陽暦で祝う正月行事等の西洋式習俗を恒例行事としてスタートし、欧州にオランダが存在しない事を日本国内で隠し続けた。
    そして、蘭癖の上級武士は、雇い主を失ったオランダ商館の存続を偽装し、さらには滅亡したオランダ国旗をアメリカ船に掲げさせて入港させ、オランダ国が存在しない期間、他の日本人を欺いて日蘭貿易を偽装した(詳しくは黒船来航を参照)。】

    【このような蘭癖の存続と拡大は、オランダ商館長と最も密接な関係にあった島津重豪(しげひで)の画策を助けた。その画策とは、オランダ商館長であったヘンドリック・ドゥーフ著『日本回想録』によると、娘を将軍の正室として嫁がせることで幕府と薩摩藩を結合させ、諸侯を服従させようというもの[1]。】
    【蘭癖大名の分布としては、主に九州の外様大名が多い。これはオランダに開かれた港・長崎が近く、蘭書や輸入品の入手が容易だったことと無縁ではないだろう。その点、関東に所領を持つ譜代大名の堀田正睦はかなり例外的である。
    このような蘭癖大名の典型例として知られる代表的な人物として、シーボルトと直接交流のあった長崎警固を勤めた福岡藩主の黒田斉清や薩摩藩主・島津重豪が挙げられる。重豪の子である奥平昌高・黒田長溥や、曾孫の島津斉彬もまた、重豪の影響を受けたためかそれぞれ蘭癖大名と称されるほどであった。】
    (参照終わり。)
    まずは、長崎のオランダ貿易のオランダ東インド会社が、
    1795年のオランダ連邦共和国滅亡の後、解散しているのに、それを隠していたのが日本人側だった事が驚きでした。

    そしてキーパーソンの島津藩主重豪(しげひで)
    https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E6%B4%A5%E9%87%8D%E8%B1%AA
    (Wikipediaから参照↓。)
    【老いてますます盛んな重豪は、曾孫の島津斉彬の才能を高く評価し、斉彬と共にシーボルトと会見し、当時の西洋の情況を聞いたりしている。なお重豪は斉彬の利発さを愛し、幼少から暫くの間一緒に暮らし、入浴も一緒にしたほど斉彬を可愛がった。
    ちなみに重豪は、ローマ字を書き、オランダ語を話すこともできたといわれている。会見したシーボルトは、「重豪公は80余歳と聞いていたが、どう見ても60歳前後にしか見えない。開明的で聡明な君主だ」と述べている。
    天保3年(1832年)夏から病に倒れ、天保4年(1833年)1月、江戸高輪邸大奥寝所にて89歳という長寿をもって大往生を遂げた】
    (参照終わり。)

    “シーボルトは、「重豪(しげひで)公は80余歳と聞いていたが、どう見ても60歳前後にしか見えない。開明的で聡明な君主だ」と述べている。”
    この、島津重豪(しげひで)のWikipediaに出ている単語・人名を検索してみたら、この島津重豪(しげひで)「ものすごく若すぎ」記述はあちこちにあります。
    また、若干、出自がはっきりしてないようです。(両親共に早死。)
    美智子さんの様に複数の島津重豪(しげひで)がいたか、
    途中で誰かと入れ替わった感があります。
    性豪で、側室も多く、とりあえず数えたら庶子男女26人はいましたが、
    奥平昌高は、重豪(しげひで)の息子が養子に入り、大分県中津藩藩主になりました。『蘭癖(らんぺき)』検索にも、出てきますが、昌高は、オランダネームまで持ってました。
    また、中津藩は福沢諭吉の出身地です。
    黒田長溥は、同じく重豪(しげひで)の息子が福岡藩へ養子縁組。同じく蘭癖(らんぺき)です。
    http://nagaoka.blog.jp/archives/2308384.html
    (上記より参照。↓)
    【海防の見張り所を置き、志賀島など10カ所に砲台を急造して自家製の大砲を据え、守りを固めた。軍艦も大小130余隻をそろえ、これに大砲を積んで“無敵艦隊”を編成した。ところが、相次ぐ軍備拡充で兵隊が足りない。目をつけたのが無給で使える農民だ。かり集めてにわか兵士に仕立て、連日大砲射撃の猛訓練を始めた。】
    島津家や、島津家から養子に行った福岡藩黒田家は、
    財政苦しい中、精錬所や近代軍隊を編成、訓練をしてました。その為、藩の武道師範・指南役の多くが職を失いました。
    そして多分、“相次ぐ軍備拡充で兵隊が足りない。目をつけたのが無給で使える農民だ。かり集めてにわか兵士に仕立て、連日大砲射撃の猛訓練を始めた。”
    とあるように、これが、先祖を遡れない“下級藩士”なのではないでしょうか。
    財政逼迫で、石高も上げたいのに、農村にそんなに余剰人員がいるはずもなく、、
    近代軍隊のにわか兵士は、剣道の心得が無くてもなれるので、被差別部落民が多かったのでは、と想像します。
    多分佐賀県鍋島藩ほか、外国からの脅威を感じて(表向き)近代軍備に走った諸藩は多かったのではと思います。
    これを(表向き)としたのかは、多分、来るべき体制大転換に備えて、確実に江戸幕府を倒す為に国内有志を武装させておこうと、海外プランナーがそそのかしたと思ってます。
    また、このブログ記事の下の方に、戦後、恨みに思っていた人達から、福岡市千代にある黒田家の墓が荒らされたとありますが、そこには、トタン屋根に石を乗せた住宅が広がる、「明日のジョー的」風景・世界が最近まで残ってました。

    曾孫の島津斉彬は、、、その可愛がり様から、本当は
    島津重豪(しげひで)の息子ではないか‥‥と思います。
    69歳になっても子を成したとありますし。
    そしてWikipedia他、参考文献にありますが、
    【ヨーロッパ人から見た島津重豪(しげひで)
    (Wikipediaより参照↓。)
    オランダ商館長であったイサーク・ティチングの日本についての情報収集に貢献していた事が、フランスの博物学者で旅行家のシャンパンティユ・コシーニュ著「ベンガル航海記」に記載され、オランダ東インド会社が解散した1799年にパリで出版された。そこには、将軍の義父がティチング氏と始終文通を行い、ティチング氏の目的に必要なあらゆる知識と情報を好意的に与え、日本に関する彼のコレクションを増加させているとある[5]。
    島津重豪は、娘を将軍の正室として嫁がせることで幕府と薩摩藩を結合させ、諸侯を服従させようと企てていることが、オランダ商館長であったヘンドリック・ドゥーフ著『日本回想録』に記されている】

    島津重豪(しげひで)、ほぼほぼ、売国スパイ活動に思えます。

    時の将軍・徳川家斉の正室の茂姫(広大院)も
    島津重豪の娘。(でも、母親は家臣の武家のお手伝いさん) https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E5%A4%A7%E9%99%A2

    検索の枝葉を進めると、、陰謀を感じますが、島津重豪(しげひで)一人のアイデアでは無いと感じます。
    プランナーがいて、仕込まれてる感じです。
    後に、久邇宮家に俔子(ちかこ)妃が島津家から嫁ぎ、
    良子(ながこ)様がお生まれになりました。
    鹿児島県の方々や誇り高い歴史をおとしめる意味ではなく、
    突然変異的な島津重豪(しまづしげひで)は島津家らしくない感じです。 薩摩藩は他国人や国境警備に厳しいところと思ってましたら、重豪(しげひで)がどんどん他国人を入れ、女も他国からどんどん嫁にもらえとか、急にちょっとあり得ない政策を取っています。
    まるで竹中平蔵のようです。
    その後の調所広郷笑左衛門(ずしょひろさとしょうざえもん)の藩財政立て直し策、、も竹中平蔵っぽいです。

    英米は、まず、九州の諸藩の背乗り→乗っ取りをしていたのではと思います。
    西郷隆盛も二人説がありませんでしたか??

    長い長い戦いのようです。
    今になって、出口わ仁三郎氏の日月神事の言葉が理解出来ました。

    • 綿密な検証のシェアをいただき、ありがとうございます。
      件の島津の殿様の娘さん、将軍の正室になった方、広大院の頭蓋骨が掲載されてましたが、目が大きい人だったようです。目の細い顔が美人とされていた時代でしたから、不思議でした。
      でも、仮に、ハーフ、クオーターだとしたらあり得る顔かもしれません。
      中世以来、薩摩藩は完全に独立した藩で、言語もどくとくの訛りがあり、幕府の隠密の侵入が難しかったと聞いています。
      ただ一人だけ成功した隠密は薩摩の隣藩にまず住み着き、隣藩の訛りを習得し、そして薩摩藩に入ったとか。
      ただ、裏門は、例の陰謀系の方々につづいてたんですね。
      >英米は、まず、九州の諸藩の背乗り→乗っ取りをしていたのではと思います。
      山口の長州、四国の土佐も怪しいですね。
      天皇家に対する背乗りの仕方が慣れていましたから、リハーサル的なクーデターが会ったのかもしれませんね。
      長州藩の場合、幕末、藩主が、いざとなったら朝鮮に逃げよう、、、とか考えてたそうで、背乗りされたかは不明ですが、その発想は、地理的にちかいだけではないのかもしれません。
      タブセも気になりますね。
      安倍ちゃんの戸籍は例のタブセにありますが、安倍ちゃんのお父さんがなくなって火葬したあと、御骨を見たら、骨格に特徴があり骨格が朝鮮人のものに似ていたそうです。
      朝鮮妓生と、外資の社員の混血が暗躍してたのかな、と思ったり、、、。あくまで想像ですが。
      仮に、噂や鬼塚氏の仮説が正しかったとして、明治=朝鮮部落民、大正=大隈の子、昭和=西園寺八郎の子(毛利藩主から養子に来た。しかし、八郎???貴族の名前が八郎??違和感あります)、平成=誰にも似てないうえに、今の天皇と若いころの明仁さんとは耳がアゴの長さなど生涯変わらない場所が違う。ただ、若いころの明仁さんは、姉の池田さんには似ているところがある。徳仁=本物は托卵、今のナルは偽物、、、、
      仮説が正しければ、天皇家とは関係のない人ばかりですね。

      やはり、明治偽王朝は、奈良の天武偽王朝と同じ終わり方をすると思います。
      これから、さらに、偽皇族の言動は暴走を続け、国民を幻滅させることが増えるでしょう。そのたびに、疑問を持つ人が増えると思います。
      そして、タブセにいきつくでしょう。

      • 池田厚子さんは、、どうなんでしょうか。。。
        神社庁総裁をされてます。名誉職ではありますが、
        神社庁の暴走は、ネットで検索すると、いろいろ上がってます。 池田厚子さんと関係があるのかはわかりませんが。
        有名神社の神職や本庁に韓国人が入り込んでいるとか、
        神事用の麻振興協会が伊勢にありますが、この協会長が薬品会社社長だったり。。(医療用大麻解禁の準備?)
        降嫁され、一応民間人なのですが、海外にいく時は随行員がお付きでいらっしゃる様です。(現地通訳者談。)
        池田動物園の赤字を個人で補填されていたそうです。。
        そのお金はどこからなのかは、誰も書いて無いのでわかりません。

        日本赤十字社も、血液製剤の(60年ぶり)の海外販売が始まります。 原資は、日本人の無償の献血です。
        (今まで余剰分は廃棄していたそうです。本当??横流ししてない?)
        日本赤十字社の前身は、元佐賀藩士、佐野常民(さの・つねたみ)の博愛社であったとの事。
        藩医の家に養子に入り、江戸や紀州で外科医術を学んでいたハズなのに、ボイラーを造って、日本初の蒸気機関を造ったそうです。
        https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E9%87%8E%E5%B8%B8%E6%B0%91
        現在なら、マジヤバの天才ですが、、
        西南の役後から、博愛社設立。これが後に日本赤十字社になりました。
        なんとなく、前半の経歴が本当なら、自分大好き人間で“博愛”とかとは縁遠そうに思います。

        明治の功労者から、お金の匂いしか感じなくなったのはちょっと悲しいですね。

        • 池田厚子さん、皇太子時代の明仁さんににているんですよね。
          なので、明仁さんが、親類からの貰い子という説も、噂かなとおもったりして、、、。

          >明治の功労者から、お金の匂いしか感じなくなったのはちょっと悲しいですね。
          しかも、成功が、不正と裏切りがセットになってますからね。
          維新前からやり直したいです。

        • 途中で切れてしまいました。。
          佐野常民の息子の佐野常羽は、海軍少将で日本でのボーイスカウトの訓練体系を確立された方だそうです。
           
          【佐野 常羽(さの つねは、1871年(明治4)7月3日 – 1956年(昭和31)1月25日)は、日本の海軍軍人。海軍少将、伯爵。東京麹町生まれ。日本のボーイスカウトにおける指導者の訓練体系を確立した。
          父は日本赤十字社の創始者である佐野常民。妻は保科正益の娘。養子の常光(つねみつ)は一条実輝公爵の子。】

          佐野常民は、万博利権とも濃いかったようです。
          プランナーのお気に入りだったのかもしれません。

  • すみません、先ほどのコメントに追加で。。。
    これも、記事に関係なくてすみません。

    http://kan-emon1575fukuoka.hatenablog.jp/entry/2013/11/02/173207

    福岡藩黒田家藩士が、廃藩後、一族郎党を引き連れて、農業するべく転身した家長の潔さがにじむ記事です。
    日本人の本分はここにあると思います。
    その後、ドサクサに紛れて掠め取る人達が幅をきかす様になったのでしょう。
    ただ、福岡エリアの気質の明るさは、このドサクサの何でもありから来ているかも‥‥と思うと、これはこれで既に定着したものなんだろう、と思います。

    • >ドサクサに紛れて掠め取る人達
      こういう人たちは、たとえ成功しても、3代つづかないで家系が亡びますからね。
      日本人の深層には、働くことは、罰ではなく恥でもなく、学ぶことであるという意識があると思います。
      日本人の価値観と神仏の価値観が同じなので、時代が変化しても、そのたびに恩恵を受けて、亡びることなく生き残っていくんだろうと思ったりします。

      >福岡エリアの気質の明るさは、、
      大阪も中心部は一部そんな感じです。いい意味で、大陸的な明るさがあります。
      環状線のあたりをさかいに、郊外とは地場が大きく変わりますね。
      そういう地域がスポットとしてあるのは、問題ないかなとは思うのですが、日本全部をそうしてしまおうとうするのは困りますね。

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