続・美智子様の真実⑩@カトリックとミッチーズ(前)

小室圭と婚約した眞子様はニセモノ




公開されている写真から、大正天皇ご夫妻には影武者らしき存在が確認できる。影武者制度は、皇統をまもるため有事の時に備えるための制度だったと思われるが、戦後、代理人である影武者たちの暴走が止まらない。

①勝手に活動を行いそれを公務として報道している、➁勝手に影武者が婚約会見を行い皇族の配偶者を決めた、③偽物が愛子さまになりすまして女性天皇になろうとしている。
公開映像、画像などオープンソースを中心に検証しています。


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  本日もお越しいただきありがとうございます。
北朝鮮の金正恩が長兄を粛清しましたね。

 

あの国は世襲制だしマルクス思想とは無関係だしで、どうみても共産国家とは言えません。人民に対する暴政も今に始まったわけでもなく、治世能力のなさ、運営能力のなさに加え、太古から暴政で聞こえた民族でした。

韓国も、サムソンかホームレスかという究極の格差社会になっています。

北は「金氏北朝鮮」、南は「李(サムソン)氏南朝鮮」、朝鮮半島は、南北とも結局「李氏朝鮮」型の未開の奴隷国家に帰一するようです。

 

 

今、EUの委員会を運営しているのは、選挙で選ばれたわけではない昔ながらの特権階級の貴族たち、あるいはその使用人らしいですね。

いつのまにか、民主制議会主義がすりかわり、一握りの貴族たちによって統治されていることになります。

欧州はいつもの貴族が支配する帝国になりました。

 

ソビエトロシアは共産革命を起こしましたが、帝政ロシアの農奴制としかいえないような未開な社会に戻りました。

帝政時代とちがうところは、文学や音楽などを捜索することがなくなったことです。そのかわり、五輪などスポーツは盛んになりましたが。

今、プーチンが納めていますが、皇帝といっていいのではないのでしょうか。

いつものロシア型の帝政に戻ったわけです。

 

 

中国は秦の始皇帝より、何度もなんども統一王朝がでましたが、今の中国人民共和国にいたるまで、恐怖政治をもって皇帝が統べるという同じ姿をしています。

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たまに三国志の時代や、戦国時代がありますが、結局、皇帝とその使用人が、圧倒的多数の民を恐怖政治で支配する、いつもの中国大陸におさまります。

 

 

日本くらいでしょう、社会を丸ごとパラダイムシフトごと変容させながら脱皮し生き延びているのは。

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政治とかいて「まつりごと」と呼び、祭祀祭礼をもって統治していた平安時代の藤原政権と、政治とかいて「しおき」とかき法の下で統治してきた江戸時代の徳川政権は、エジプトのプトレマイオス王朝と、EUの連合国家ほどに違いがあります。

中心に、天皇という不動不変存在があったからこそ、できたことです。

日本は例外ですが、人間は別の人間になれないように、国もまた別のものにはなれないようです。

 

ヴァチカンも同じで、良くも悪くも、バチカンは今も昔もローマ帝国なのだと思います。世襲制の皇帝ではなく、選挙制の法皇を頂点にした布教軍団をもつ帝国なのだと、管理人は思ってます。

 

それゆえに、赤を基調に統一された軍団を組織し、戦い、征服し、そして信徒とGDPの1割を獲得するため、日々闘い続けています。良い悪いで判別できるものではなく、それが欧州文明の原点である運命を担う「ローマ」の変えることができない本質だと思います。

 

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原爆投下の戦闘機に同乗したカトリック司祭。手を振って見送ったプロテスタントの牧師2人

※知恵袋より 転載させていただいてます。

長崎に原爆を投下した「ボックスカー」の搭乗員… – 世界史 | Yahoo!知恵袋

長崎に原爆を投下した「ボックスカー」の搭乗員には、キリスト教のどんな宗派の人がいましたか?
よく広島に原爆を投下した「エノラゲイ」の搭乗員は皆カトリック教徒で、しかも投下する決意を強めるために神父もさらに搭乗していた、と聞いたことがあり、様々なサイトでも確かめられましたが、「ボックスカー」 の搭乗員については、ほとんど情報がありません。どなたか詳しいかた、お教えください♪

※画像は管理人が貼ってます。

 

 

カトリックもプロテスタントも原爆投下の後ろ立てになっていたようです。
「ボックスカー」には聖職者は搭乗していなようです。

1、1945年8月9日午前3時、「ボックスカー」という“洗礼名を授けられていた”)超空の要塞B-29が、ルター派とカトリックの従軍牧師の祈祷と祝福を受けて、南太平洋のテニアン島を離陸した。
「全能の父なる神よ。あなたを愛する者の祈りをお聞きくださる神よ、わたしたちはあなたが、天の高さも恐れずに敵との戦いを続ける者たちとともにいてくださるように祈ります。彼らが命じられた飛行任務を行うとき、彼らをお守りくださるように祈ります。彼らも、わたしたちお同じく、あたなのお力を知りますように。

そしてあなたのお力をまとい、彼らが戦争を早く終らせることができますように。

戦争の終わりが早くきますように、そしてもう一度地に平和が訪れますように、あなたに祈ります。あなたのご加護によって、今夜飛行する兵士たちが無事にわたしたちのところへ帰ってきますように。わたしたちはあなたを信じ、今もまたこれから先も永遠にあなたのご加護を受けていることを知って前へ進みます。イエス・キリストの御名によって、アーメン。」

スウィーニーをはじめとする乗務員10名の他、レーダーモニター要員のジェイク・ビーザー中尉、原爆を担当するフレデリック・アッシュワース海軍中佐、フィリップ・バーンズ中尉の3名が搭乗した。

 

長崎に原爆が投下された後、医師として治療に当たり文筆家としても知られカトリック教徒でもある永井隆が、長崎原爆を「神の御摂理」と解釈し、さらに、原爆死没者を「汚れなき小羊の燔祭(ホロコースト)」、生き残った被爆者は「神が与えた試練であり、神に感謝」すべきと説いていたことが明らかになっている。

 

2、今まで公表されていなかったが、エノラゲイにはカトリックの神父が同乗していた、とのことです。機長がカトリック信者であったことは既に紹介されていますが、それ以外に、いわゆる「従軍神父」として一人の神父が同乗していたのだそうです。

理由は『機長や乗組員が原爆投下を恐れずに実行できるようにという配慮だった』ということらしいです。

このことを発表したのは、カトリック神父でもあるデスコト国連総会議長なのだそうです。

 

3、同じエノラゲイについてですが、かつて、サイパンの博物館で見た広島への原爆投下に向かうエノラゲイのパイロットに向かって離陸直前しきりに手をふる、これら牧師たちは広島で大量の虐殺が成功するように祈っていたのだ。

しかもこれら従軍牧師はこの原爆投下にむかってパイロットを訓練する段階からかかわっていた。『少しのためらいもなく、原爆投下ができるよう』ココロの準備を説教していたのだ。』なのだそうです。

人殺しを祝福し、また、大量虐殺の手助けをするためには牧師や神父を使ってくれと差し出すのがキリスト教の指導者であるという事実です。

記事中苫米地氏は、この発表に対してカトリック教会とデスコト氏を評価していますが、僕は感じ方が違います。今まで必死になって隠蔽してきたのだけれど、雲行きが怪しくなってきて、内部のものが告発する可能性がでてきたところで、内部の者で、しかも国連総会議長という肩書きがある人物に発表させたということなのではないかと思っています。

 

カトリックの神父が同乗していたということは、バチカンが原爆投下に賛成し応援した、ということになりますから、外部から告発されるよりは、バチカン本人から告白したほうがダメージが低いのは当然のことです。

 

ベトナム戦争の時、アメリカ合衆国の司教達はこの戦争は十字軍遠征だと言いました。カトリック司教は北ベトナムの原子爆弾攻撃で南ベトナムのカトリック教会の防衛を望みました。

また、プロテスタントの牧師キュンネト(Künneth)も、原子爆弾は隣人愛の為に使えると主張しました。それはあの広島・長崎原爆投下の十三年後の事でした。
第二次大戦中、アメリカ合衆国のプロテスタントやカトリック教会の司教達も日本への原爆投下のために尽力した。

1945年8月5日、パイロットが自分の母親の名前を命名したB29爆撃機「エノラゲイ」がティニアン島から離陸する直前、牧師が、「あなたを愛する者の祈りを聞き届けてくれる全能の神よ、お願いです、あなたの天の高さに向け、我々の敵と戦う乗組員を守って下さい。。。これからも我々はあなたを信頼しながらこの世の道を歩みます。。。(全テキスト: H. Gollwitzer “Die Christen und die Atomwaffen” 1957からの引用)」

と祈りました。キリスト教の神の助けにより7万人が広島で翌朝8時半即死しました。

その後5年間に20万人の命が失われました。

勿論、神様に感謝しました。彼ら、あのアメリカのクリスチャン達が。

冷戦時代、両教会は水素爆弾の開発や配置をも支持しました。

(以上)

 

ミゲル・デスコト・ブロックマン

第63回国連総会議長あいさつ
広島、2009年8月6日

 

親愛なる兄弟の皆さん、

私は、世界がかつて目にしたなかで最大の残虐行為を想起する、この最も厳粛な機会を皆様と共に過ごすことを光栄に思い、また深く心を動かされています。

本日、私は国連総会議長としてだけでなく、個人的な立場からも、この場に臨席しています。

ローマ・カトリック教会の神父及びナザレのイエスの弟子として、宿命的なB-29エノラ・ゲイ号の故ポール・ティベッツ機長が我々の教会の信者であったという事実に対し、私は心の底から日本の兄弟・姉妹の許しを請いたいと思います。

後に、カトリックの従軍牧師であったジョージ・ザブレッカ神父が、この行為がイエスの教えに対する、想像しうる最悪の裏切りの一つであったと認めたことは、私にとってある程度の慰めではありますが、私は、自分の教会の名において皆様に許しを求めます。

64年後、原子爆弾による破壊という恐ろしい現実は、悲しみと恐怖、そして、無理からぬ怒りを呼び起こす力を全く失っていません。

地上から核兵器を廃絶するまで、そして、核兵器製造能力を信頼性があり永続的な国際的管理の下に置くまでは、核兵器が再び使用される危険性を取り除くことはできないですし、これまでもできませんでしたし、今後もできないでしょう。

これが技術的にも政治的にも複雑なもので、難しい課題であることは理解しています。それでも、もし我々がこの核による最初の恐怖の犠牲者と遺族との誓いを守ろうとするならば、我々は、今この場で、完全な核軍縮という明確な目標に向けて進み始めるために、説得力のある行動をとることを決意しなければいけません。

日本が核兵器による攻撃という残虐行為を経験した世界で唯一の国であり、更に日本が許しと和解の素晴らしい模範を世界に示してきたことに鑑みれば、私は日本こそが、最大限の道義的権威を持って、核保有国をこの象徴的な平和都市である聖なる広島に招き、世界に核兵器を一切許さない「ゼロ・トレランス」への道を進み始めることにより、我々の世界が正気を取り戻すプロセスに真剣に着手することのできる国であると信じます。

ありがとうございました。

(転載以上)

 

※BB様よりお借りしてます。

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/1bbadd227ddb747aac8af82cdd72a0fd

広島に原爆を投下したカトリック教徒 ポール・ティベッツ

カトリック神父ジョージ・ザブレッカの同乗を得て、笑顔で大殺戮に飛び立つポール・ティベッツ

原爆投下の成功を祈って、手を振り見送ったのはプロテスタントの牧師2人。

原爆投下を終えテニアンに戻ったエノラ・ゲイ。垂直尾翼のテール・コードが書き換えられている。テニアンはサイパンの南西約5km。サイパンの博物館に、エノラ・ゲイに手を振って見送る牧師2人の姿が収められた写真が展示されているという。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/unsokai/63_sokai0908_a.html

 

極悪人の便利な味方・カトリック

美智子や富美が帰依してたカトリックというのは、敬虔で淳良な気質の生まれのの方は聖人のような人柄になり人生になりますが、一方では、悪人にとって便利な宗教で、どんな罪を犯しても司祭に告白すれば許されるとされているため問題も出てくるようです。

仏教のような因果応報の法則という科学的な面がないので、罪のあがないは救世主にまかせて、あとは本人の度胸の問題ということになりかねません。

その結果、モラルや愛国精神や公共心から解放され、自分と一族の繁栄のみを追求するというタイプの人間になりやすいのではないのでしょうか。

カトリックを国教としている国は、ほぼ例外なく一握りの支配層が多数の貧しい小作人・奴隷を搾取するという中世の荘園になっています。偶然ではないはずです。

 

パナマ文書などにみられるように、昨今の日本企業が、公共心や愛国心をなくし、公私のけじめを放棄しているのは、もしかしたら大企業のオーナーや重職にいる要人たちが、本人がカトリック系の私立の名門校に通い改宗したか、あるいはそうした私立校を卒業し改宗した妻をもらうケースが増えたのかわかりませんが、グローバルな面が悪くでているのかなとか考えてしまいます。

フィリピンに詳しい方のブログに書かれてたのですが、風俗で働くフィリピンの女性たちは、教会で膝をついて首を垂れて並び、司祭に頭をなでてもらうそうです。こうすれば、罪業を払ってもらえるらしく、なでてもらうとき彼女たちは涙を流すそうです。

因果応報の法則などという科学的な理論が解かれる仏教とはちがい、簡単に「罪」がきえるので自己責任から自由になり、罪のつぐないは救世主に任せて人倫を外れたことも残忍なことも脱税でも搾取でもなんでも平気でできるようになるのでしょうか。

そういう意味で、罪の重い生き方をしている人たちには便利な宗教であり、頑張れば頑張るほど罪悪感から解放される必要があり、カトリックのお寺さんに依存し「敬虔で熱心な」信仰が必要になるのは間違いなさげです。

富美も美智子も屈辱の多い出自なので「神のもとには皆平等」と言ってくれ、ローマ法を頂点にいただくヒエラルキーに所属することで、日本社会の底辺にいた先祖からの苦しい階級から離脱することができ、さらには人倫に外れた生き方をしても簡単に許してくれる寛容なカトリック信仰が必要だったのではないでしょうか。

 

別にカトリック信仰に是非を問うつもりはありません。

神なるものと個人との直接の関係を重視し、個人がいかに神に近い愛を実行できるかを問われているとするなら、キリスト教は小乗仏教にちかいものがあるのかなとおもったりします。

が、カトリックの聖人マザーテレサが、実はカトリックの献金集めのためのアイコンにすぎず、隠し財産を持ち、インドの施設も実際は貧しい人を救済していなかったということが過去に暴露されていますしね。

マザーテレサのブランドで集まった寄付金は、修道院の経営と尼僧のリクルートに使われ、貧民や病人の救済にはほとんど使われなかった、という事実もあるようです。

貧困者を並べてお布施を募り、お布施を横どりするという貧困ビジネスをしてたわけです。

つまるとろこバチカンというのは、良し悪し別にして、宗教というより征服と統治を本義とするローマ帝国の転生、あるいは後継にすぎないのだと最近は思うようになりました。

そうおもうと、戦国時代のキリシタンによる日本侵略未遂、近代化以降のカトリックによる、皇室と日本に対する侵略行為ともいえる活動が理解できる気がします。

続きます

 

おうちのなかに入れて~

ニセモノが天皇に即位?