※転載します。
無限拡散|アネザイチカ=夢の宮の矛盾と欺瞞
※羽生ファンへ⑤からの続きです。
「嘘」と「欺瞞」だらけの、「同一人物人格分裂ブログ」を徹底的に「解体」していきたいと思う。
もう、これ以上「犠牲者」を出さないために(怒)
先ず最初に、先日、夢の宮=アネザイチカが、レンタルサーバーを経由して、当方に文句を言ってきた内容に、「笑激」の「嘘」と「矛盾」があるので指摘しておこう(爆)
夢の宮「私の年齢は70過ぎでもありません。」
夢の宮~開運のツボ~からの削除申請
(3)
————————————————————【掲載されている場所】
【掲載されている情報】
http://ymenomiya-annex.blog.jp/archives/16760302.html
私が作成しているブログから勝手に私の取った写真の建物をここだと断定している。
(実際は違う住所の建物。私の画像はよく見るとガラス張りの外観。一方の老人施設はマンション風の外観。伏見氏は違っていても、私に嫌がらせが出来れば、それでいいのかもしれない)
著作権侵害に当たるのか、迷ったが、プライバシー侵害ということで報告します。
【削除を求める理由】
夢の宮 アネックス(別館)という見出し
70過ぎたアネザイチカ=夢の宮=ナルズが・・・とあるが、私はアネザイチカさんとは別人です。ナルズさんとも別人。
私の年齢は70過ぎでもありません。
https://naruzu3.exblog.jp/ (ナルズさんのブログ、どうして同一人物だと決めつけられるのか、分からない)
勝手に転載した写真の画像も含めて削除して欲しい。
ブログ内よりその表現は全部削除して欲しい。
拒否なさるのなら、同一人物だという証拠を示して欲しい。
★「70過ぎ」だと推定したら、何か「法」にでも触れるのだろうか?
TVやメディアに出演している、女優や女性タレントで「自称50代」の人に対して、「実際は70歳過ぎではないか?」と指摘したら、「50代の熟女」で売っているその芸能人のCM契約にも響くから、苦情を言ってくるのもわかるのだが、「夢の宮」という管理人は、ブログでプロフィールすら、明らかにせず、顔も出さない、「正体不明」「胡散臭い」キャラクターなのである。
ここで、再度聞く「夢の宮、お前は本当に70歳過ぎではないのだな?」
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夢の宮は、自分のブログで70歳過ぎだという根拠を「露呈」している(爆)
★50年前、1969年(昭和44年)に死亡した、歌舞伎役者にして往年の名俳優の「市川雷蔵」の大ファンで、「追っかけ」の「雷様(らいさま)」の一人であったことを告白している。そのエビデンス(確証)をチェックしていこう。
夢の宮「〇袋の文芸座の市川雷蔵の映画祭に通った」
夢の宮~開運のツボ~
2018年2月13日の記事
映画「陸軍中野学校」
市川雷蔵主演、増村保造監督の日本には珍しいスパイ映画の隠れたる傑作。
陸軍中野学校の卒業生が見ても「8割は実話」というくらい、取材がしっかりしている。
(星川清司の脚本が、またいい)
青春映画、恋愛映画としても切なく傑作。(若き日の小川真由美さんが綺麗!)
公開当時も大ヒットして続編が4作、制作されましたが、やはり第1作目が一番の傑作。
これだけでも、見ておいて損はない。
(実は私は、〇袋の文芸座の市川雷蔵の映画祭に通ったことがある。まさか、ここで紹介することになろうとは。眠狂四郎シリーズは、ほとんど見てる(笑)。なんだか、恥ずかしい(;^_^A)
★〇袋とは、池袋のことだね(爆)
こういう、どうでもいいことを、〇や●の伏字で隠す姑息さが、アネザイチカ(手相見姐さん)のブログ「あんたたちもっと驚きなさいよ」と酷似している(怒)
池袋の文芸座とは
新文芸坐(しんぶんげいざ)は、 東京都豊島区東池袋にある映画館。
概要
1956年(昭和31年)3月、作家の三角寛により発足した「人世坐」の姉妹館として「文芸坐」が開館。
館内には、しね・ぶてぃっく(映画書籍専門店)、文芸坐地下劇場(1955年12月開館、1988年より文芸坐2と改称)、ル・ピリエ(1979年7月こけら落としの小劇場)が併設されていた。
1960年代は松竹洋画系の封切館だったが、人世坐の閉館後は名画座に転向。『ビデオをぶっ飛ばせ!』などのユニークな企画名を冠した様々な特集上映を行った。文京区音羽でレンタルビデオ店を経営したこともあるが、1990年代前半に閉店している。
40年以上に渡って営業を続けたが、建物の老朽化や経営者だった三浦大四郎の事情などにより1997年3月6日をもって閉館。跡地はマルハンが借り受け、パチンコ屋ビルとして再建。2000年12月12日、テナントのひとつとして「新文芸坐」がオープンし現在に至る。
★住所は
〒170-0013
東京都豊島区東池袋1-43-5
マルハン池袋ビル3F
地図を添付しますが、ターミナル駅の池袋の東口ですね。
ちなみに「池袋駅東口」は、「統一教会の手相見勧誘」の異様に多いところです(怒)
文芸座 市川雷蔵映画祭とは
2010/10/01 — 第218号159本もの映画に出演した後、’69年、37歳の若さでこの世を去ります。昨年末より都内のロードショー館にて、市川雷蔵没後40年回顧上映会(「大雷蔵祭」)が始まりました。
本当にやってたんですね(笑)珍しく嘘を言っていない(爆)
そして、コメ欄で「市川雷蔵愛」炸裂(爆)「雷様~」
★夢の宮こと易の魔女が返事をしている「サクラコ」と「アミン」は夢の宮=アネザイチカの「分裂人格」で自作自演です
夢の宮「なぜかこのブログの読者様は、雷様ファンが多くてビックリ」
そりゃそうだろう。コメントは自作自演なんだからな。
コメント
Eki‐MAJO(易の魔女)
2018/02/16 23:04
>サクラコ様
コメントありがとうございます。
>私がこの世で一番格好良いと思っている俳優が市川雷蔵なので、記事にお名前が出てきてびっくりしました。
サクラコ様、渋い、良いセンス。(なぜかこのブログの読者様は、雷様ファンが多くてビックリ)
雷様は歌舞伎役者の養子で、踊りや歌舞伎の稽古もしてた方だから、着物を着た時の所作は本当にキレイです。
美しい日本の男性でした。38歳で亡くなったのは、老醜を晒さずに良かったのかな。
運命としては残酷でしたが。
『眠狂四郎 勝負』とか、三隅研二監督作品に傑作が多いような気がします。
カメラワークが上手い監督でした。また宮川一夫という名カメラマンがおられたので。
日本映画の全盛期でしたから。
陸軍中野学校』は、隠れた傑作といわれています。ぜひ、ご覧になって下さい。
ポイントは
「私がこの世で一番格好良いと思っている俳優が市川雷蔵」
「日本映画の全盛期でしたから。」
★これで「勘」の良い人は、すぐ、夢の宮=アネザイチカの「世代」がわかりますね(笑)
夢の宮「最後の『銀幕スター』ですから」「文芸座に通った時を思い出します。」
Eki‐MAJO(易の魔女)
2018/02/13 17:09
>ゴネコ様
コメントありがとうございます。お久しぶりです。
>私も、雷蔵さまが好き
>眠狂四郎シリーズは最高でございます。
そうでしたか、嬉しいな。
最後の『銀幕スター』ですから。(若くして亡くなったから尚更に)
眠狂四郎シリーズに忍びの者シリーズに、陸軍中野学校シリーズと主演作や監督にも恵まれた。
私は三隅研二監督で、共演が藤村志保さんや中村玉緒さんのが好きです。
文芸座に通った時を思い出します。
夢の宮「最後の『銀幕スター』ですから」
「銀幕スター」とは
日本語俗語辞書
『銀幕のスター』の解説
銀幕のスターの『銀幕』とは映画を意味する。昔の映画を映すスクリーンは表面に銀被膜を塗布したものが使ったことから、当初こうしたスクリーンのことを”Silver Screen”と呼んだ。日本でもスクリーンのことを『銀幕』と言ったが、これが後に映画や映画界を指して使われるようになる(現代でも映画のことをスクリーンと呼ぶのと同じ)。
つまり銀幕のスターとは映画に出ているスター級の俳優を意味する(女優の場合は銀幕のヒロインともいう)。
ただし、銀幕のスターは映画を銀幕と呼んだ昭和時代の映画スターに対して用い、平成以降の映画スターに対して用いることはない。
現在、銀幕のスターは昭和の映画俳優にスポットをあてた番組や雑誌企画で使われる程度で、実質的には死語となっている。
★結論から言うと「死語」ですよ。50代の私ですら使わない言葉です。
戦後、テレビジョンの普及が遅く、大衆の娯楽が、もっぱら「映画」だった時代の言葉です。
年齢でいうと団塊の世代(昭和21年生まれ~24年生まれ)とその上の世代です。
私の「時を斬るブログ」でも、アネザイチカの「分裂人格工作員」だった「毒舌婆」が同じ言葉を使っています。
毒舌婆「戦後の銀幕スターの石原裕次郎」
2017-02-24 10:21:38
毒舌婆
有名な話しです
伏見様のブログで好評連載中のダヤン様へ。
恐らくは晩節を穢した石原慎太郎さんが朝鮮人だと言う話しは昔からこの婆にも聞こえて来ていましたから分かりやすい事実です。
戦後の銀幕スターの石原裕次郎が朝鮮人出自には嗤えないですが、あれやこれやも朝鮮人が巣喰う嫌な世の中です。拝
「アクセス数稼ぎ」の為の「夢の宮 アネックス(別館)」の方でも炸裂していますね(爆)
夢の宮「眠狂四郎(市川雷蔵)が結んでいるのがこの結び方!」
夢の宮 アネックス(別館)
https://web.archive.org/web/20190824144951/http://ymenomiya-annex.blog.jp/archives/14941684.html
2018年7月20日の記事
タイトル 浴衣を着よう 女子編
眠狂四郎(市川雷蔵)が結んでいるのがこの結び方!『眠狂四郎 多情剣』@大映
出ましたね「眠狂四郎」(笑)
夢の宮「雷様は、普段は」
コメント欄
36・Eki‐MAJO(易の魔女)
2018年07月24日 22:48
>あみん様
コメントありがとうございます。
(中略)
雷様は、普段は「メガネをかけた日本のサラリーマン」だったそうです。メイクの達人だったようです。
いろいろとレジェンドな方でしたね。カメラの位置を全然、気にしなかったとも。何処からでもかかって来い!みたいな。
長谷川一夫とは、また違ったタイプの俳優でした。(長谷川一夫は細かくカメラの位置を指定した)
出ました!「雷様」(笑)
夢の宮「雷様の眠狂四郎は」
25・Eki‐MAJO(易の魔女) 2018年07月23日 18:28
>あみん様
コメントありがとうございます。
(中略)
雷様の狂四郎は、原作者の柴田錬三郎も「これ以上の狂四郎はない」と認めてましたからね。GAKUTOなんて、論外です。
悪鵬の居場所はもうないんだけど、悪あがきしてますね。()、A川、ミテコも同様。
今はそういう悪あがきと新旧交代のせめぎ合いの時期なんですよ。
いま少し、ご辛抱遊ばせ。
「雷様の狂四郎は、原作者の柴田錬三郎も「これ以上の狂四郎はない」と認めてましたからね」・・・・随分と詳しいですね(笑)
柴田錬三郎とは・・・・Wikiより
1917年(大正6年)3月26日 – 1978年(昭和53年)6月30日)は、日本の小説家、ノンフィクション作家、中国文学者。本名は齋藤 錬三郎(さいとう れんざぶろう)。シバレン(柴錬)という通称でも名高い。
歴史小説に新風を送ったことで業績は名高い。『イエスの裔』は芥川賞と直木賞の両方の候補となったが天秤にかけて直木賞を受賞し、その後選考委員となる。代表作に『眠狂四郎』『御家人斬九郎』『水滸伝』『徳川太平記』など多くがあり、戦国・幕末を扱った作品が多く、剣客ブームを巻き起こした。
市川雷蔵とは・・・・Wikiより
1931年(昭和6年)8月29日 – 1969年(昭和44年)7月17日)は、歌舞伎役者・日本の俳優。
概要
生後6か月のときに三代目市川九團次の養子となり、15歳のとき市川莚蔵を名乗って歌舞伎役者として初舞台を踏む。
1951年(昭和26年)に三代目市川壽海の養子となり八代目市川雷蔵を襲名。
1954年(昭和29年)に映画俳優に転身。
1959年(昭和34年)の映画『炎上』での演技が評価され、キネマ旬報主演男優賞受賞、ブルーリボン賞主演男優賞などを受賞。
1960年代には勝新太郎とともに大映の二枚看板(カツライス)として活躍した。ファンから「雷(らい)さま」と親しまれた。
1968年(昭和43年)6月に直腸癌を患っていることがわかり、手術を受けるが肝臓に転移、翌年7月17日に死去した。
★私が、小学生だった昭和40年代に、テレビで「眠狂四郎」をやっているのをたまたま見ました。
妖艶なイメージの2枚目俳優でした。
母に「この俳優さん、なんていう名前なの?」と聞くと
母が「市川雷蔵と言う人よ。でも、数年前に癌で亡くなったのよ」と教えてくれました。
「眠狂四郎」シリーズとは・・・・Wikiより
市川雷蔵版
市川雷蔵主演のシリーズ(1963年 – 1969年):大映京都製作。全12作。映画化作品としては最も有名で、雷蔵の当たり役となった。
この中で、夢の宮=アネザイチカお気に入りの、「眠狂四郎多情剣」は、
眠狂四郎多情剣(1966年3月12日公開)
監督:井上昭、脚本:星川清司、音楽:伊福部昭
出演:水谷良重、中谷一郎、五味龍太郎、毛利郁子、田村寿子、他
★1966年(昭和41年)に「雷様~」と言って追っかけをやっていたとしたら、当時の成人、20歳からアラサーの女性ですから、
1936年生まれ~1946年生まれの年齢ですから、現在73歳以上で間違いないでしょう。
更に「笑激」の事実が、俳優、栗塚旭を知っているとは
夢の宮「栗塚さんのもそれなりに好きです」
夢の宮~開運のツボ~
2018年4月11日の記事のコメ欄
あみん
2018/04/14 13:47
Eki-MAJO様、おはようございます。
「新撰組」をもう少しだけ。
栗塚旭は古過ぎましたね(汗)
NHKのドラマ、土方は永井大さんでしたよね?
そうですね、ちょっと優しい感じだったでしょうか?
宅間さんの近藤は、堂々として良かったですね。
辻本さんの沖田は、先の島田さんより適役かと思いますよ。
島田さんちょっと渋過ぎたかな?。 辻本さんの方が姿も綺麗で声も可愛くって、沖田(案外長身だったらしいですね)らしいです。
(以下略)
Eki‐MAJO(易の魔女)
2018/04/14 18:21
>あみん様
コメントありがとうございます。
栗塚さんのもそれなりに好きです。
でも2011年版がなかなかでした。辻本祐樹君はどこから見つけてきたんだ、というくらい沖田にピッタリでした。
ヒラメ顔というより和風顔と言いましょう。
宅間さんも(いかつい)近藤さんのイメージに近かった。(宅間さんのほうが、近藤さんの実物よりいい男ですが)
(以下略)
栗塚旭とは・・・・Wikiより
1937年〈昭和12年〉5月9日- )は、日本の俳優。劇団くるみ座出身。
北海道札幌市[1]出身。札幌市立向陵中学校、京都府立洛北高校卒業。
1965年の『新選組血風録』で主役の土方歳三役に抜擢()(ばってき)され、これが「栗塚=土方」のイメージを決定づけるハマリ役となって評判を呼び、ニヒルな演技と風貌で人気を集め、生涯の当たり役となった。
★1965年(昭和40年)に、一気にスターダムにのし上がった俳優でした。
市川雷蔵のように、早死にせず、その後も活躍し続けましたが、私がこの俳優の名前を知った小学校時代には、既にベテラン俳優になっていました。
結論|夢の宮!何が「私は70歳じゃありません」だ、嘘つくな(怒)
お前は「私文書偽造」だぞ(怒)
日本語が苦手なだけではなく、「数学も苦手」な夢の宮=アネザイチカ
★「私は、真島久美子ではありません」と馬鹿の一つ覚えのように連呼しているが
拙ブログでは、常に、
アネザイチカ=夢の宮、真島久美子(通名細野久美子)と記載している。
アネザイチカ=夢の宮=真島久美子と書いたことは一度もない(怒)
中学生でもわかる等式じゃないか(怒)
続く。