秩父宮雍仁親王⑨(後)東久邇宮稔彦王、実父のルーツは?
続きです ㈠ 国体明微維神の道を立つるには、高松宮殿下を擁立しなければならぬ。 裕仁さんはダメなので、高松宮でいかないとダメ、ということなんでしょうが、、、 何故、東久邇家の血を引くとされている秩父宮が無視…
続きです ㈠ 国体明微維神の道を立つるには、高松宮殿下を擁立しなければならぬ。 裕仁さんはダメなので、高松宮でいかないとダメ、ということなんでしょうが、、、 何故、東久邇家の血を引くとされている秩父宮が無視…
こちらからの続きです。 秀逸なコメントを戴いてます。転載させていただきます。ありがとうございます。 コメント欄より 馬車でもなくオープンカーでもない車でパレード、、、。 バーチャルになるんでしょうね。 ツッ…
続きです。 (鬼塚史観)秩父宮の実父?・東久邇宮稔彦 『日本の一番醜い日』鬼塚英昭 P375 ~ 高松宮と三笠宮の父親は誰であるのか、私は今のところ確信がもっていえない。しかし秩父宮の父親については間違いなく東久邇宮であ…
本日もお越しいただきありがとうございます。 鬼塚史観では、秩父宮の実父と推定されている東久邇宮稔彦王に触れてみたいと思います。 東久邇稔彦 wikiより抜粋編集 生い立ち 1887年(明治20年)誕生 久邇宮朝彦親王第九…
続きです。 柳原愛子の正体 昔の読んだ本のなかに、増上寺の改修にしたがい、納められている貴人の遺体、徳川7代目徳川家継の生母月光院、徳川家茂、徳川家茂に降嫁した和宮などの遺骨を検証したときの記録と写真が記載されていました…
本日もお越しいただきありがとうございます。 ※画像は管理人が貼っています。 一般的に流布されている貞明皇后像 『秩父の宮と昭和天皇』(1985年) 保坂正康 貞明皇太后は、4人の皇子を生んだ自信とともに、天皇家に伝わる人…
父・大正天皇、貞明皇后と牧野宮内相・クエーカー派のクーデター 本日もお越しいただきありがとうございます。 ⑤からの続きです 大正天皇を「新聞の飛ばし記事」「宮内庁の発表」で「御病状は重篤」との印象操作をもって、大正天皇を…
本日もお越しいただきありがとうございます。 ➃からの続きです。 大正3年(1914年)7月28日、第一次世界大戦が勃発 『日本の本当の黒幕』鬼塚英昭 P151~ 私は明治天皇は明治大帝といわれるほどの人格ではなく、凡庸な…
本日もお越しいただきありがとうございます。 続きですが、、、 疑惑・大正天皇と大正天皇の実父は大隈重信 大正3年、第一次世界大戦が勃発し、日英同盟に基づいて参戦。勝利国になります。 このときの宰相が大隈重信なんですね。 …
本日もお越しいただきありがとうございます。 秩父宮雍仁親王(wikiより抜粋) 秩父宮雍仁親王(ちちぶのみや やすひとしんのう)1902年(明治35年)6月25日 – 1953年(昭和28年)1月4日。享年満…
本日もお越しいただきありがとうございます。 秩父宮殿下について、wikiや出版された本などをざっとみて、管理人が、一番先に気になったのが秩父宮の遺言と葬儀なんですね。 秩父宮雍仁親王(wikiより抜粋) Embed fr…
本日もお越しいただきありがとうございます。 貞明皇后の次男・秩父宮雍仁親王。170センチほどの長身でラグビーなどのスポーツも得意としており、頭脳は明晰、陸軍ではも人望が高かった宮さま。 子供のころ親王同士の兄弟同士の喧嘩…