書籍化されました
細川護熙から小沢一郎へ
③からの続きです。
近藤: そこからボスを、政界一の実力者である小沢一郎氏に乗り換えるわけですよね。世は細川政権から、短命の羽田孜政権を経て、「自社さ」の村山富市政権に移っていく。
この頃、ある政治家の息子の結婚式に当時の政界の人々が出席した際、小池氏は小沢氏をわざわざ舞台に引き上げて、「瀬戸の花嫁」をデュエットした。
その模様を撮ったカメラマンから「ラブラブ写真」を見せられ、「そこまでやるか」と仰天した覚えがあります。
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石井: 小池氏は小沢氏にネクタイをプレゼントしたりして、新進党の党首に仕立て上げていくわけですね。いわばネクタイという首輪をかけて手綱を握ったわけです。まるで猛獣使いのように。党のポスターを作る際には、小沢代表の眉毛を切ってあげたりもしています。
石井: ええ。その後、小沢氏が自由党を作って翳りが見えると、恩人の小沢氏をも平気で裏切りますよね。当時、小沢氏の側近だった平野貞夫元参議院議員に聞いたところでは、「自由党の比例名簿1位にするから」と言って引き留める小沢氏に、小池氏は「自由党から比例で当選者が出ると思ってるんですか」と、にべもなく告げたそうです。
近藤: その話は、私も平野氏から直接聞いたことがあります。その電話の時、平野氏は小沢氏の横にいたそうですが、「小沢さんはいまにも泣き出さんばかりの様子だった」と言っていました。
こういった話を聞くと、「男ってバカだな」と思いますね、私も男ですが(笑)。
小泉純一郎とラブラブだった当時、小池百合子は雑誌に「私が小沢一郎を捨てた理由」と言う露骨なタイトルの告白文を寄稿していました。
読みましたが「権力者と寝る」ことによって、のし上がってきた「枕営業専門女」が、小沢一郎を利用するだけ利用して、罵詈雑言を浴びせて「勝利宣言」した不愉快な記事でした。
小沢一郎から小泉純一郎へ
《小池百合子は小泉純一郎とは未だ続いている(驚)》
見ようによっては、穴兄弟の会合とも見える。
武部「小池さんは、みんな応援団で。選対本部だよ」席上、二階幹事長らが小池都知事に激励の電話をかけていたという。
小池百合子の生き方
小池は「政界」に入って以来「その時の旬の権力者」の情婦になり、「美味しいところだけ」食べ、その権力者の勢いに「翳り」が出たら、食べかすを吐き出すように捨て去り、新たにパラサイト(寄生)した権力者のところで、「前の男」のことを公然とこき下ろしてきました。
細川護熙、小沢一郎、しかし、不思議と小泉純一郎のことは悪く言っていません。いくら「統合失調症で性犯罪者」の小泉純一郎でももはや67歳の小池に対して「性欲」は湧かないかもしれませんが、未だに利害は一致しています。
《小泉ロードマップ「情婦・小池百合子を国政に戻して総理に。その次を息子の進次郎に(怒)》
不明瞭な家系、地下で北朝鮮につながり、国の富を半島に貢ぎ続け、米国に媚び、マスコミと世論を押さえ、特権と暴力を使って日本を食いつぶし破壊し、最後は息子に世襲した小泉は古いタイプの自民党の政治家だった。
その、小泉純一郎は、今年の春、コロナの真っ最中に安倍総理に総理を辞めるように要求しましたが、拒絶されています。
《小池百合子と小泉純一郎の「気持ち悪い縁」》
昭和44年、小池百合子の父「小池勇二郎」と、小池百合子の情夫になる男「小泉純一郎」が落選した
第32回衆議院選挙
1969年(昭和44年)12月27日に日本で行われた国会(衆議院)議員の総選挙である。この総選挙では、後に総理大臣を歴任する羽田孜、森喜朗を筆頭に、小沢一郎、梶山静六、土井たか子、不破哲三その他、後の政界のキーパーソンとなる人物が多数当選し、その多士済々振りから、俗に「花の昭和44年組」と呼ばれる。
随分とその後の「大物議員」が当選していますね。
しかし、この時の選挙で、当時47歳だった小池百合子の実父の小池勇二郎が、衆議院に立候補して落選しています。「関西では有名な鼻つまみ者」の「無謀な立候補」でした。
「女帝 小池百合子」の中で、朝堂院大覚がいみじくも述べています。
「あいつ(小池勇二郎)は、商売がうまくいかなくなって一か八かの博奕で衆院選に打って出たんだ」
「泡沫候補中の泡沫候補」でたった7千票しか取れない惨めな惨敗でした。
この時の選挙で、やはり落選した男がいました。
後に小池百合子と「男女の仲」になる小泉純一郎でした。