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転載|ネーサン・チェン、閻涵は高麗人か?(前)

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※高麗人ブロガーの恨」の⑤⑥を転載させていただきます。

無限拡散|高麗人ブロガーの恨⑤ネーサン・チェン、閻涵も、デニス・テンと同じ高麗人か?(前)

「高麗人」と「チェチェン人」の共通点

「高麗人は日本人を一人殺してなんぼ」、「チェチェン人はロシア人を一人殺して一人前」

チェチェン人とは・・・・Wikiより

http://archive.is/UgjIh

北カフカースの民族。ソ連解体以降、一部のチェチェン人はロシア連邦のチェチェン共和国において、ロシアからの分離独立を目指してテロリズムを行っている。

カフカス山脈中央から東部の北斜面に広がって居住するチェチェン人は、イスラム教のスンナ派シャーフィイー学派を信仰し、カフカス諸語のナフ諸語(英語版)と呼ばれるグループに属するチェチェン語を話す。

確かなところでは、16世紀頃から東方のダゲスタン地方からイスラム教の神秘主義教団が進出して、19世紀頃までかけて徐々にイスラム化が進んだ。

一方、18世紀末よりカフカス中央部のカバルダ人、オセット人などの居住地帯を併合したロシア帝国が東北部のチェチェン人居住地帯への侵攻を開始すると、チェチェン人は頑強に抵抗したが、1818年にはチェチェン人地域の中にロシア人によって要塞都市グロズヌイが建設されるなど、次第にロシアの圧力が高まった。これに対してチェチェン人はミュリディズムと呼ばれる戦闘的な神秘主義教団の指導者のもとに結束して対抗し、19世紀中頃には北カフカスの東部にイマーム(導師)のシャミールを指導者とするイマーム国家を建設するに至った。

ロシア帝国はミュリディズムに対して激しく攻撃を加え(コーカサス戦争)、1859年についにシャミールを降してチェチェン人の制圧を完了した。その後、この地方には石油が発見されて石油産業が構築され、ロシアにとって欠かせない地方となってゆく。一方、頑強に抵抗を続けた「狂信的」なチェチェン人に対する恐怖心、敵愾心はロシアの社会に根深く残ることになり、チェチェン人の間にも自分たちの土地で採掘される石油の富がロシア人によって持ち出されることに対する不満が蓄積していった。

ロシア革命後の1920年、北カフカスは赤軍が制圧し、1922年11月30日にチェチェン自治州(のちイングーシ自治州と合併してチェチェン・イングーシ自治共和国)が設立された。しかし、第二次世界大戦中の1943年、チェチェン人とイングーシ人は対独協力をおそれたヨシフ・スターリン政権によって、中央アジアへと民族ごと強制的移住させられた。同時期にはクリミア半島のクリミア・タタール人やグルジアのメスヘティア・トルコ人、沿海州の高麗人(朝鮮民族)、ヴォルガ川下流地方のカルムイク人、ヴォルガ・ドイツ人などが同様の措置を受けている。

スターリン死後の1957年1月、これら追放された諸民族の名誉回復とともにチェチェン人とイングーシ人は故地北カフカスへの帰還を許され、チェチェン・イングーシ自治共和国が再建された。

ロシアとは「帝政ロシア」「ソ連邦」「ロシア共和国」と、ロシア人との接触が始まって以来の「血塗られた遺恨」があります。

 

 

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★「イスラム教の神秘主義教団が進出して、19世紀頃までかけて徐々にイスラム化が進んだ。」

「イスラム神秘主義」によって「精神支配」されている。

どこか、アネザイチカ=夢の宮一派とかかわりがあるのではないか、と疑われる「朝鮮カルト教団の統一教会」を思わせるものがあります。

統一教会は「文鮮明の個人崇拝」を進めて、急速に「北朝鮮化」しつつありますが、「教団」創設の基礎教義はキリスト教であり、「一神教」である点では、チェチェン人らのイスラム教徒全く同じです。

★「第二次世界大戦中の1943年、チェチェン人とイングーシ人は対独協力をおそれたヨシフ・スターリン政権によって、中央アジアへと民族ごと強制的移住させられた。同時期にはクリミア半島のクリミア・タタール人やグルジアのメスヘティア・トルコ人、沿海州の高麗人(朝鮮民族)、ヴォルガ川下流地方のカルムイク人、ヴォルガ・ドイツ人などが同様の措置を受けている。

第二次大戦中にスターリンにより、中央アジアに「強制移住」させられた点も「高麗人」と同じです。

チェチェン人による「対ロシアテロ活動」・・・・Wikiより

http://archive.is/mZRGC

現在

2001年9月11日、

アメリカ同時多発テロ事件が発生し、ロシア連邦もアメリカの反テロ同盟に加入。以後、ロシア連邦のチェチェンに対する攻勢が一段と強まる。チェチェン武装勢力のアルカーイダなどとの連携が指摘された。

2002年

9月、イングーシ共和国でチェチェンの独立派武装勢力がロシア軍と衝突、94人死亡。

10月10日、「グロズヌイ警察庁舎爆弾事件」25人以上死亡。

10月23日、「モスクワ劇場占拠事件」チェチェン武装勢力がモスクワの劇場を占拠。同月26日、特殊部隊が突入して犯人一味を射殺、人質を解放。その際に使用された特殊ガスの影響により人質が130人死亡。

2003年

6月5日、「北オセチア・モズドク、軍用バス自爆事件」16人死亡。

7月5日、「モスクワ・コンサート会場自爆事件」16人死亡。50人以上負傷。

8月3日、「北オセチア、モズドク、軍病院自爆事件」42人死亡。

10月、親露派のアフマド・カディロフが大統領選で初当選。

2004年

2月6日、「モスクワ地下鉄爆破事件」240人以上死亡。

5月9日、「チェチェン大統領爆殺事件」カディロフ大統領を含む40人以上が死亡。

8月24日、「ロシア旅客機同時墜落事件」90人死亡。

9月1日、「北オセチア、ベスラン学校人質事件」354人以上死亡。

2005年

3月8日、アスラン・マスハドフがロシア連邦保安庁特殊部隊により殺害。

 

 

チェチェン人はロシア人を一人殺してこそ初めて一人前の男と認められる

物騒な話ですが、チェチェン人の共同体では普通にこういわれるそうです。

朝鮮系「高麗人」も同じ。「高麗人」は「日本人を一人殺してなんぼ」

※画像はこちらから

デニステンは祖母から、「あなたのひいひいお爺さんは日本兵を沢山殺した立派な人よ」とよく聞かされて育ったといいます。

「高麗人」は「日本人を一人殺してなんぼ」の民族でしょう。

尼港事件における朝鮮兵による日本人居留民の虐殺

尼港事件・・・・Wikiより

https://web.archive.org/web/20190623055227/https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BC%E6%B8%AF%E4%BA%8B%E4%BB%B6

ロシア内戦中の1920年(大正9年)3月から5月にかけてアムール川の河口にあるニコラエフスク(尼港、現在のニコラエフスク・ナ・アムーレ)で発生した、赤軍パルチザンによる大規模な住民虐殺事件。

港が冬期に氷結して交通が遮断され孤立した状況のニコラエフスクをパルチザン部隊4,300名(ロシア人3,000名、朝鮮人1,000名[、中国人300名)が占領し、ニコラエフスク住民に対する略奪・処刑を行うとともに日本軍守備隊に武器引渡を要求し、これに対して決起した日本軍守備隊を中国海軍と共同で殲滅すると、老若男女の別なく数千人の市民を虐殺した。

殺された住人は総人口のおよそ半分、6,000名を超えるともいわれ、日本人居留民、日本領事一家、駐留日本軍守備隊を含んでいたため、国際的批判を浴びた。

日本人犠牲者の総数は判明しているだけで731名にのぼり、ほぼ皆殺しにされた。

★高校の「日本史」でも教わる大正時代の日本中を震撼させた悲劇です。

日本人は、居留民を含めて、官民合わせて判明しているだけで731名が虐殺されました。

★日本人を皆殺しにした「パルチザン部隊」の構成に注目してください。

「パルチザン部隊4,300名(ロシア人3,000名、朝鮮人1,000名、中国人300名)」・・・・1000人もの、朝鮮人兵がいます。

全体の30%、3人に一人は朝鮮人兵です。

この連中は、1910年の日韓併合後、「義兵闘争」に敗れて、大日本帝国軍に降伏せずに、帝政ロシア領の沿海州に逃れた元祖「高麗人」達です。

シベリアと中国国境を放浪しながら、日本と日本人に対する「復讐の機会」を狙っていたのです。

そこに、冬季で、ニコラエフスクが、陸路も海路も凍結して、日本人の軍民が孤立しているという情報を入手して、ロシア人の赤軍とともに、都市を包囲して殺戮を繰り広げたのです。

この連中が、デニステンの先祖たちでした。

※続く、

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