1枚の写真でわかる統一教会・CIA・ナチスの関係
興味深い写真がある。
ウク国のナチス「OUN-UPA」の40周年記念式典の写真(1982)だ。
前面がウ国のナチス兼CIAスパイ(公文書で確定)のステツコ夫妻、真ん中がウ国大統領夫人カテリーナ・ユシチェンコ(旧名チュマチェンコ)、そして左上のアジア人は統一教会幹部で勝共連合会長の久保木だ。
静岡県立大・浜由樹子准教授によるウ露戦争の研究で、日本語で初めてカテリーナ・ユシチェンコ、スラヴァ・ステツコ、ズヴァリチの名前を見た。
この方は思想史専門なので、スパイ情報には疎いのかもしれないが、この3人はスパイである可能性が高い(1人は公文書で証明)。
https://www.youtube.com/watch?v=p-hkauE9QUo
以下は浜氏の研究とは無関係。
この情報を日本で知っているのは私と、これを見ている貴殿らだけでしょうw
そのうちこの話もブログ記事にしようと思っていたのだがサボっている。そのうちに。
簡単に説明する。
上述の3人がソ連崩壊後に帰国しウク国にナチスを復活させたと言っても過言ではない。
まずカテリーナ・ユシチェンコ。
ユシチェンコ元大統領の妻で米国生まれのウク国移民。国務省の元人権・人道問題担当国務次官補特別補佐(86~)。ユシチェンコは04年オレンジ革命における米国の傀儡だが、妻のカテリーナは影の大統領と呼ばれ当時CIAスパイの疑いでも告発された(不起訴)。
05年にユシチェンコが大統領となり、ウ国中にナチス・バンデーラの記念碑などが作られていった。
なぜか「ホロドモール教育を行う」とした米国との協定もできた。(*ホロドモールはソ連の失政で起こった飢餓ではなく意図的な虐殺とする向き)
カテリーナの一家はユダヤ人を虐殺したウ国の元SSガリツィア師団将校シレンコと家族ぐるみでつきあいがあり、病気になったシレンコをウ国の大学病院に紹介する仲だった。
画像は米国務省で”人権担当”だった時代、白人至上主義者の集会でナチス式敬礼をするカテリーナ(1989)
カテリーナが師事したのが、国務省の顧問で全米捕虜国家委員会(NCNC)会長だったレフ・ドブリアンスキー教授(ウク移民)。
彼はブレジンスキーと共産主義犠牲者記念財団を設立し会長に就いているほか、米・ウ議会委員会の会長も務めた。
彼は、統一教会やウ国のナチスABNも所属したWACL傘下のUSCWFの委員でもあった(図参照)。
1959年、ウ国のナチス「OUN」のバンデーラとステツコに渡米ビザを用立てたが、渡航2週間前にバンデーラはKGBに暗殺される。回避したステツコと以降の行動を共にする。
彼はアメリカの反共/ウ国ロビーの中心人物だった。
画像②:CIA文書
ドブリアンスキーの娘のポーラはレーガン-ブッシュ政権の1987年~90年まで国務省で人権・人道問題担当国務次官補代理を務めており、カテリーナの同僚でもあった。
ポーラは後にCFR上級副会長兼ワシントン事務所長を務める典型的なネオコンで、現在も米政府の外交・防衛部門で高位職に就く。
「WACLの数十年にわたる影響力を示す代表例としてウクライナを挙げるなら、ドブリアンスキー一家を研究すればよい。レフ・ドブリアンスキーはABN(アンチ・ボルシェビキ・ブロック)の議長であり、ABNはナチスのために戦い、ソ連を解体して、第二次世界大戦中に支配した地域の支配権をもう一度取り戻すことを夢見ているすべてのグループを統合するWACL内の最重要グループであった」 – 作家ヒューゴ・ターナー(2016)
上述のNCNCは、米国に亡命したウ国のナチスOUN/ABNのリーダー、ヤロスラブ・ステツコらのために設立した反共組織であり、カテリーナは80年台に彼の組織で働いていた。
ステツコはステパン・バンデーラの右腕で、二人ともコードネームを与えられたCIAエージェントでもあった。
画像①はCIA副長官兼WACL幹部のシングローブとステツコ
画像②はCIAファイル
NCNCの捕虜国家週間にて
①元CIA長官のブッシュ副大統領とステツコ
②レーガン大統領とステツコ
③左:ステツコと右:ドブリアンスキー
④APACLの蒋介石とドブリアンスキー
レーガンが「あなたがた(ステツコら)の夢は私の夢」と演説した動画もある(1983)
https://threadreaderapp.com/thread/1152007672389984258.html
ウ国の元ナチスで極右運動の中心人物、またCIA工作員だったステツコ夫妻と、ウ国の大統領夫人で米国務省職員だったカテリーナ・ユシチェンコ、そしてWACL/勝共連合の久保木が一緒に写真に納まるとか奇跡でしかない。
これこそがネオナチ・スパイ集団WACLの真髄だ。
NCNCが立ち上げた「捕虜国家週間」は毎年行われ、今でも続いている。
https://www.presidency.ucsb.edu/documents/proclamation-3303-captive-nations-week-1959
ホワイトハウスが今年の声明を出してロシアや中国、ベネズエラをディスりまくっている。
(ナチス的な人たちが作った行事なんだけどね…)
下図①の左の方にスラヴァとズヴァリチの名前があるが、スラヴァはOUNとABN双方のリーダーだったステツコの妻。
ステツコの死後両団体のリーダーを引き継ぎ米国にて工作活動を続けた。ステツコもスラヴァもコードネームを与えられたCIAエージェントだ。
画像②の「妻Anna」がスラヴァの本名
上のCIA文書は英語の研究サイトでも未出なので貴重だと思う。FOIA(開示されたCIA秘密文書の保管所)で資料を読み漁って見つけた。
スラヴァは86年にステツコが死んだ後91年にウ国に帰国し、OUN(新名称はCUN:ウクライナ民族主義議会)を復活させ、国会議員にもなった。
画像:国会でのスラヴァ
最後の重要人物がロマン・ズヴァリチだ。
彼もウ国移民で米国人。ABNの幹部を務め、スラヴァと共に91年にウ国に渡りOUNの復活版CUNの設立に尽力した。
03年にスラヴァが死去したあとユシチェンコ政権で法部大臣を務めたほか、悪名高いアゾフ連隊長ビレツキーを財政支援した。今も国会議員だ。
ちなみにズヴァリチ元法務大臣は学歴詐称を行っており、法学修士でも弁護士でもないことが発覚している。
2015年に「アゾフ」中央委員会本部の責任者となり、18年には国会議員になった。
元法務大臣がネオナチ軍の幹部になるのがウクライナという国だ。
画像はビレツキーのネオナチ発言。
以上、カテリーナ・ユシチェンコ、スラヴァ・ステツコ、ロマン・ズヴァリチについてだった。
3人のうちスラヴァだけは公文書でCIA工作員と確認されているが、他の2人もだいぶ可能性が高いことがわかるだろう。
スパイの系譜は連綿と続く。
元国連職員のよしログ氏とタマホイ氏がリポストしてくれたおかげで、珍しくこの手のマニアックなスレが伸びた。
CIAやウクライナのナチス、統一教会らが参加した「WACL」について知りたい方はこちらでどうぞ。
80年台くらいまでの話をまとめてあります。
https://ameblo.jp/cargoofficial/entry-12796606615.html
※転載以上
ウクライナ・・ナチス・・統一教会、ときたら、この方を思い出しませんか。
関係ない話
そろそろ帰ってくれよ
以上
暑いよね。