2分でわかる「ウクライナ紛争」
1990年に始まった
※画像は管理人が適当に貼ってます。
Kumi@🇮💟🇨🇺☭@Kumi_japonesa
【ジェフリー・サックス先生の解説】
ウクライナ紛争について2分で説明させてほしい(実際は5分)。
これは、日々言われているような『プーチンによるウクライナ攻撃』ではない。
1990年に始まったのだ、1990年2月9日に。
これが、決して語られていない、おそらく、最も決定的な背景となった出来事だ。
しかし、実際の行動としては、米国は東ヨーロッパにミサイルシステムを配備したことで引き起こされた。
ロシアはこれを、モスクワから至近距離に配備されたミサイルによって首都への攻撃が行われる可能性もあり得る、直接、国の安全を脅かす重大な脅威と受け止めた。
我々(米国)は2つのイージス・ミサイルシステムを配備し、それを「防衛だ」と言っている。
しかし、ロシアは「格納庫のミサイルが核ミサイルのトマホークではないと、我々はどうしたら知ることができるのか」と言っている。
2004年から2005年まで、我々(米国)はウクライナの体制転換の緩やかな作戦に参加した。それは、第一次カラー革命と呼ばれている。
それから、米国はその汚い手をこの国に突っ込んできた。他国の選挙に干渉すべきでないだろう。
しかし、2009年、ヤヌコビッチは選挙に勝利し、中立なウクライナを基礎として2010年にウクライナ大統領になった。
それで、事態は沈静化した。なぜなら、米国はNATOを主導していたが、ウクライナ国民の意識調査ではNATOの一員になりたいなど誰も思っていなかったからだ。
それで、2014年2月22日、米国は積極的にヤヌコビッチ打倒に動いた。疑いなく、米国のお家芸である体制転換だ。
ロシアは、ビクトリア・ヌーランドと、現在も米国国務省高官である、当時の駐ウクライナ米国大使ジェフリー・ピアットの実に醜い通話を傍聴した。彼らは、体制転換について話していた。
「次の政権は誰にしましょうか?」と。
そして、米国は「NATOは事実、大きくなっている」と言った。
プーチンは「留まれ。NATOは広がらないと約束した」と言い続けてきた。
米国は取り決めを破っておいて、忌々しいミサイルを配備しながら、ロシアの国境に向かってNATOを広げないという基本的な考えを拒否し続けてきた。
2019年、我々(米国)は中距離核戦力全廃条約(INF条約)から離脱した。
2021年12月、プーチンはロシアと米国の間の安保条約の取り消しを交渉テーブルに乗せた。これで流れがつかめるでしょう。土台は『NATOが膨張しないこと』だった。交渉は拒否された。それで、特別軍事作戦は始まった。
5日後、ゼレンスキーは「OK、中立でいい」と言った。
トルコは「調停しましょう」と言った。細部にわたって一定の合意に達した。
その後、米国とイギリスが「だめだ、何があってもお前たちは戦え。我々が支援する。我々は前には出ない。お前たちは全員死ぬが、後ろには我々がいる」と言った。
我々が彼らを前線に向かって押し続けている間に、ウクライナ人は既に60万人死んでいる。ボリス・ジョンソンが「勇気を持て」と言いにキエフに飛んだ、あの日から。
毎日毎日、言われているような「あいつは狂ってる」「まるでヒトラーだ」「我々に向かって来ている」「あれに違反だ、これに違反だ」「ヨーロッパが牛耳られる」などということではないと、我々は知らなければならない。
そんなものは完全な嘘!米国政府と関係している宣伝による全くの作り話で、全くお話にならない。
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【ジェフリー・サックス先生の解説】ウクライナ紛争について2分で説明させてほしい(実際は5分)。
これは、日々言われているような『プーチンによるウクライナ攻撃』ではない。
1990年に始まったのだ、1990年2月9日に。 pic.twitter.com/aw7I4D840n— Kumi@🇮💟🇨🇺☭ (@Kumi_japonesa) November 12, 2024
🔻一連の流れがぎゅっと集約されてます
🔻いちいち毒づきに来るトンチンカンさんたちにも読んでほしい
🔻後々、歴史が正しく書かれるといいですね
以上
アメリカ人「『次の政権は誰にしましょうか?』と」
・・・・戦後は、日本でもこんな感じで次期首相が決められてたんだろうな。
今回は、どんでん返しでゲルになったので、アメリカさまの奥の院は、むせび泣いていると思う。
関係ない話
ロシア
🇷🇺 St. Petersburg, Russia
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— BRICS News (@BRICSinfo) November 12, 2024
以上