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最後に、番外編として、、徳仁親王の托卵子疑惑を取り上げたいと思います。
徳仁親王が明仁天皇の御子ではなく、別の男性のお子様ではないのかという疑惑は古くからありました。
徳仁親王の出生日に絡む疑惑
<ご成婚日1959年4月10日
出産予定日
1960年3月第一週目
徳仁親王出生日
1960年2月23日
黄体ホルモンをいれての、分娩でした。
無題 Name 名無し 16/01/30(土)15:42 id:SmEkdD4A No.1523508
計算から導き出される受精予定日は6月半ばです。
にもかかわらず美智子が書かせていた小説「美智子様」では5月半ばに受精したようなごまかし工作がなされています。
美智子は6月半ばに非公式で一人外出しています。
外出したときにすでに妊娠していたような書き方がされています。
美智子は 徳仁が明仁の子ではないのでは?と
昭和天皇はじめとした皇族らに疑われていたのではないでしょうか?
無題 Name 名無し 16/02/01(月)22:49 id:R7EIV7EU No.1526215
堤一族の子でナットクの顔。
昭和34年(35年と仰る方も)6月14日に
M子が一人で外出して、その日にナルを受精したと
情報が出ています。
徳仁親王の出生カルテが紛失
東京大学医学部付属病院は2007年6月21日、入院患者120人分の個人情報が記載されていた 入院台帳1冊が紛失したと発表した。この中に徳仁親王の腸のポリープ摘出手術のカルテが含まれていました。
本来なら、徳仁親王が出生された2月23日より1週間は前だったのですが、促進剤を入れて無理やり出産させました。
何故でしょ。
受精日をごまかすために無理やり出したのでは、という疑惑を呼びます。
美智子夫人が深窓の令嬢であるなら、こうした疑惑は発生しないのですが、ご成婚前の所業やご成婚後の、おふるまいを考えてみると疑惑を呼ぶのです。
美智子夫人の所業に絡む疑惑
正田美智子はご成婚まえにすでに2人いたようです。
左の正田美智子
・面長、額の生え際にむらがある、顔のパーツが中心によっている、
右のご成婚した正田美智子
・オカメ顔、富士額、
愛子さんと愛子さんの影武者の影子たちのように、ともに、同じ工作員チームに所属する、聖心女学院に通う同級生だったのかもしれません。
貞淑な女性であるなら、こうした疑惑は信憑性を持たないのですが、、、
http://www.yuko2ch.net/mako/makok/makok.htm
… 無題 Name 名無し 15/10/15(木)20:22 id:feDM8vdk No.1435572
「御徒町が恋しい。」
…御成婚の後、皇居の《籠の鳥》となられた、お可哀想な
美智子妃殿下が そう、おっしゃったそうな…。
「アメ横」に、自由の身であった頃は通っていたそうな。
「アメ横」→戦前は「しょうべん横町」と呼ばれた。
戦後は、闇市の場となり
愚連隊の温床となった。
その中の最大の集団「血桜団」は、朝鮮人連盟と結託して、
賭博、かっぱらい、恐喝、女衒、街娼のショバ代を
稼ぎの源とした。
…今尚、中国人.韓国人であふれ、風俗の多い場所です。
(ここまで)
御徒町
当時、この町に出入りしていた日本女性は2種類しかいなかったそうです。
1オンリーさん
2パンパンさん
1は、進駐軍の将校用の特定の彼女さん、愛人さんです。
愛人になるかわりに、生活の面倒を見てもらい、身内の留学やビジネスの口をきいてもらったりしていたそうです。旨く行けば、軍人さんの正妻にしてもらえました。
2は、進駐軍さんたちの相手をするフリーな女性たちです。
路上に立ち、日々、頑張っておられました。
ご成婚後、明仁夫人二なった後も、新聞記者にタバコの火をつけてさしあげたこともあり、大人の男性の接待をしていたか、あるいは、自らが喫煙していた可能性もあります。
御花を生ける美智子様
バラの生け方から見て、華道の素養がないことがわかります。
当時の良家の子女は、お茶、御花、お料理は必須でしたが、美智子様は、習い事をした形跡がありません。
一方では、15歳の頃からエリート男性のための婚活パーティーである竹山パーティーに参加。ダンスを踊ってたもよう。
良家の子女とは思えません。
女性は若い方が有利、早いうちから売りこんどけ、という考え方は、娼婦、風俗業界のものであって、良家はもとより、当時の保守的な一般家庭でもないでしょう。
第一ボタンをはずして、メンチを切ってガンをとばす美智子さま。
耳には球形のピアス。
テニスでの、口癖は「やばい」。
出入りする町は御徒町。
ことばの乱れに、服装の乱れに、性のみだれ。
それを、世間ではヤンキーといいます。
酷い着物のきつけかたです。
2人の美智子様は、耳にピアスをされてます。
耳に穴をあけてピアスをするという習慣が、ファッションとして定着したのは、90年代に入ってからですね。
当時、耳に穴をあけている日本女性は珍しく、さらには、良家の名門女学校に通う方の中では、美智子様位ではなかったでしょうか。
幼少時から耳に穴をあけてピアスをするのは、中国系ならありえたそうです。
こうした「しつけ」は、母親の正田富美にあるようです。
彼女は大陸で育った方で、「上海夫人」もしくは「大陸夫人」とよばれていました。
正田邸も、土足での生活だったらしく、上海の租界のスタイルを貫いていたようです。
当時、大陸夫人とよばれる方は、日本語が流ちょうな中国系、朝鮮系のアジア系女性という意味だったそうです。
富美にも、家系図がありますが、母親が不詳です。
さらに、富美は、美智子夫人が皇太子の妻になる可能性がでてきたころ、副島家に、戸籍を買いたいと申し出たというリークもあります。
※伏見氏より,お借りしてます。
http://blog.goo.ne.jp/duque21/e/5b5f7b71a9f433992e38b86070996e3d
11月に、鹿児島の父の従兄弟の御宅に、挨拶がてら、遊びに行きました。父の従兄弟の奥さんは、旧華族の秋月子爵のお嬢様で、高齢になった今でも、全身からオーラを発していらっしゃいます。
年は、聞けませんが、結婚したのが1970年ですから、正田泰子と同じくらいでしょうか。
(略)
聞くと、正田美智子入内以来、旧華族の人達は、「諦め」にも似た気分で、戦々恐々として口をつぐんでいたそうです。
御妃候補が美智子に、絞られ始めたときから、正田は部落の家系、実の父は正田英三郎ではなく、妻、富美と部落出身の堤康次郎との不倫の子だという事を知っていたそうです。
富美の「大陸夫人」と言う俗称も、一応、娘が、皇太子妃だから遠まわしに皮肉で付けた呼び名で、家の中では「朝鮮女」と侮蔑していたそうです。
何よりも、家族の人達が恐れたのは、「部落ヤクザ」の西武の堤康次郎の娘だからです。「ピストル堤」と呼ばれた歴史に残る極悪人の娘ですから、下手に美智子と関わると、実父の手のものに殺されるかもしれない。と言う恐怖は、当時の家族の方々には当然の恐怖であったと思います。当時朝鮮人が未だ、暴れていた時代で、敗戦後の警察力も弱く、日本人は朝鮮人達の暴行と脅しに屈していた時代です。
(ここまで)
コメント欄より
初めてコメントさせていただきます。
堤康次郎の下りを読み思わず「あっ」と、声が出てしまいました。
私の実家は西武の地元に代々住む家で、祖父や父、親戚の叔父達から堤がどのような手段であの辺りの土地を手に入れて成り上がったかを聞いて育ちました。
御多分に洩れず部落です。
昔から西武グループはそちらの人達が多く働いています。それより何より堤清二と美智子さんが似ていると、確かにそのように見えますが、他にもよく似た人物を思い出しました。
記事中にあるように、康次郎が女色に耽ったのは事実で地元の芸者に産ませた子供を見知っています。この人物が見事に美智子さんに似ています。
垂れ下がった康次郎譲りの鼻、腫れぼったい瞼に眉と目の間が広くあいている所も。何かパズルのピースが嵌っていくようで、少し身震いいたしました。
(以上)
堤氏は、家の女中、親類、部下、友人、取引さき、子会社、孫会社、芸者さん、玄人さん、あらゆるところにいる女性に手を付けて、お子様を3桁ほど残されたそうです。葬儀には、よくにた子供を連れた女性が押し寄せてきて収集がつかなかったみたいですね。
さらに、堤康次郎氏のお子様の一人、堤清二さんについての証言もあります。
【ダヤンレポート】その⑪ – 伏見顕正(あきまさ)の「時を斬るブログ」
③そう云えば、浩宮(告白するには遅すぎたアホの坂田)って、堤(清二)さんに似ている。これは、
今回出張で同行した会社役員の妹が、西武百貨店でその堤の秘書をしていた。その衝撃のエピソード。
堤は、その秘書に対し、の坂田を「ヒロ君」「ヒロ坊」「ヒロッチ」と呼んでいた。
のめぐりが悪い(理解力がない)のではなく、血は争えない。血は水より濃い。
(ここまで)
美智子夫人は、そういう雰囲気の、ご家庭で育った方なのです。
ナルちゃんの整形手術に絡む疑惑
そして、徳仁親王の整形です。
徳仁親王は、正田家はもとより、皇族のだれにも似ていらっしゃいません。
さらには、段階的に、明仁天皇に似せるため整形手術をされています。
明仁天皇はワシ鼻です。
徳仁さんは、この時期、ワシ鼻ではありませんね。
ワシ鼻ではないナルちゃん
わざとらしいワシ鼻になっています。鼻に詰め込んだ異物が逃げ出しそうです。
明仁天皇に似せるため整形しているようです。何故でしょう。
さらに、朝鮮風の釣り目も直しています。
複数体制の可能性があります。
特定人物に酷似している疑惑
では、徳仁親王の遺伝上の父親がだれか、という疑惑ですが、
1 朝日新聞記者・お妃候補担当、ご成婚後は皇太子家担当の、佐伯晋氏説
2 堤康次郎による、試し腹説
が根深くあります。
佐伯晋氏
お妃候補取材担当だった方ですが、正田家にはフリーパスで出入りできた御方。
美智子嬢のプライベイトな写真をいくつも残しています。
似てるんですよね。これがまた。
表情筋の使い方が左右非対称なとこが同じなのね。
ソックリでしょ。不思議ね。
あくまで疑惑ですから。
でも、DNA鑑定は受けていただきたいですね。
そして、皇室典範に戻ります。
皇室典範
第一条
皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。
第五条
徳仁親王殿下。
この方は、はたして、皇室典範、第一条、第五条に適応する方でしょうか。
以上です。
ご拝読いただきありがとうございました。