昔の奉公する側、される側
祖母がギリギリ女中奉公をしてる世代
行儀見習い、教育、婚活としての奉公
うちの祖母がギリギリ女中奉公をしてる世代なんですが(してる側ね)
あれ奥様は家事の采配して一般常識からお花まで教えるんですよぬ、今のハウスキーパーとは全然違う
…日本式お手伝いさんシステムは使う側も才能がいるから無理じゃないかなぁ
今だとお芋県から離れて、某県の裁判官のお宅に勤めてたんですぬ。ギリギリそういうシステムが残ってる時代ですから
アルファベットさえ怪しいのに聖書の話を奥様からされて祖母はテンパリ、その家で不十分だった学業の続きをしたんですぬ
(短期間だったが祖母はその奥様を非常に慕っていた)
以上
かまのすけ@yuri_kamanosuke
大正生まれの祖母(地主のお嬢)の話では、良家の子女が嫁入り前、行儀見習いとして奉公するケースもあったので、そんな無下にも扱えなかったとか言っておりました。
以上
戦後昭和ですと銀行の女子職員がそんな風でした
戦後昭和ですと銀行の女子職員がそんな風でした。両親がいてそこそこの家柄のお嬢さんたちが採用され、数年務めているうちに縁談が来るの。取引先から「受付係のあの子、うちの倅の嫁にどうか」と支店長に申し出があってセッティング。私の母がそうやって夫(後の私の父)を得ました。
ちなみに縁談の相手(後の私の父)も銀行員でした。東京の大学に進んで、東京の某三菱系企業に内定していたところに父親(私の祖父)に呼び戻されて地元銀行に入行。このパターンは母の弟もそうでした。上京進学男子にふさわしい上場企業なんて地元だと地銀ぐらいしかないし。
以上
祖母は奉公される側だった
奉公人を育成するのは奥様の仕事
うちの祖母は奉公される側で、曽祖母に「家事しなくても良いように奉納人を雇ってくれる人と結婚します」と言ったら「奉公人に家事や行儀作法を教えるのは奥様の仕事です」とピシャリと言われ、料理も掃除もお茶もお花も和裁も全部身につけさせられたそうですね。本当に何でもできる人でした。
そして結婚したのは良家の次男坊だけど趣味人だけど仕事にあまり興味のない祖父😂奉公人は雇ってもらえず、専業主婦で家を切り盛りしたので、結局役立ちました、という話。お料理とても上手で、お花のセンスも素晴らしかったのを覚えてます。その辺りでつんできた野草がピカリと光るお花になってた。
曽祖母の記憶はないけど、小さい時に家に遊びに行ったら、私と兄の寸法をささっと測って、すぐに浴衣をあつらえてくれたらしい。祖母もよく私の浴衣をあつらえてくれた。寸法のきちっとあった、お尻に当て布もあり、襟がシャキッとしたかっこいい浴衣。既製品を初めて見た時はびっくりしたものですの。
母曰く、去年の浴衣を着るなんて恥ずかしいですよ、と毎年新しくしてたらしい。家の畳の上に反物をさーっと広げて、今年はどれにしようか、って家族皆んなでわいわいするのが夏の風景だったそうな。決して裕福ではなかった祖父母だけど、玄関に花は欠かさず、いつも清潔で、その辺りは風流でしたね。
そういえば母も玄関に小さく花を飾る人だな。細かいけれど、例えばトイレに小さな絵があるんだけど、季節ごとにそれを変えたりするの。そういう小さいところは祖父母からなんだろうな。私はまったく受け継いでいないので、申し訳ないわ。
以上
関係ない話
1936 年、サンフランシスコでラテン語のミサに参加する中国系カトリックの子供たち
Timeless faith: Chinese Catholic kids attend Latin Mass in San Francisco, 1936. 🌟🙏
At the Parochial School for Chinese in San Francisco, California, children bless themselves as they enter the chapel. As Rev. George W. P. Johnson begins Mass, Chinese children are silhouetted… pic.twitter.com/Wk3PFnar6X
— 𝚕𝚒𝚝𝚝𝚕𝚎 𝚘𝚗𝚎 † (@BillArnoldTeach) July 3, 2024
以上