【皇室】偽皇統の仁義なき戦い

小室圭と婚約した眞子様はニセモノ




公開されている写真から、大正天皇ご夫妻には影武者らしき存在が確認できる。影武者制度は、皇統をまもるため有事の時に備えるための制度だったと思われるが、戦後、代理人である影武者たちの暴走が止まらない。

①勝手に活動を行いそれを公務として報道している、➁勝手に影武者が婚約会見を行い皇族の配偶者を決めた、③偽物が愛子さまになりすまして女性天皇になろうとしている。
公開映像、画像などオープンソースを中心に検証しています。


※影武者制度、タブーなど、皇室記事一覧

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本日もお越しいただきありがとうございます。

大正天皇も複数いたのかな、という感じですが、、

A)大室顔の大正天皇、

B)AとCを合わせた肖像画(向って右半分がC、左半分がA)

C)大隈重信顔の大正天皇

大正天皇の「脳病」をはじめ、正統なる皇統のかたがたの「ご病気」の要因は、たいていが血族結婚を繰り返し、血が濃くなったから、、、というのが定説になっていますが、はたしてそうでしょうか。

天皇の正妃皇后となる女性や、親王、内親王の生母となる女性たちは、父は古い家系の最高位の公卿ですが、実母はたいてい奉公に上がっている領地内の平民の娘が多く、その側室になるかたは、健康で器量だったんじゃないでしょうか。

本物の歩行困難だった睦仁親王や、小児麻痺で歩行に難があったとされる本物の和宮、親王、内親王の身体的疾患の要因は、当時の化粧品に含まれる毒物による脳の炎症とされていますが、こうした脳の炎症などによる疾患が、ピンポイントで宗家の天皇家にみられるのが不思議でした。

大正天皇の「脳病」にいたっては、聡明だった天皇にレッテルを張り、マスコミに飛ばし記事を連発させ、宮内庁の発表のあと、引退に追い込んだ手法は、平成の天皇の生前退位そっくりですが、大正天皇を、軟禁同然の状態で「御静養」にもちこんだ結果、「脳病」の症状があらわれ話すことが困難になりました。

その後、大正天皇は、「生母・柳原愛子」をはじめ、ごく限られた人たちに囲まれながら「衰弱した後」に「崩御」されました。

秩父宮をはじめ、本物の皇統である北朝の聡明な皇族が、なぜか、大正天皇のようになっていくのが怪しさ満点なんですが、、、

 

アラモードさまより秀逸なコメントをいただいてますので、保存も兼ねて掲載させていただきます。

 

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樟脳とは wikiより

分子式 C10H16Oで表される二環性モノテルペンケトンの一種

樟脳は融点 180°C、沸点 208°Cの白色半透明のロウ状の昇華性結晶であり、強い刺すような樹脂系の香りを持つ。クスノキの精油の主成分であり、他にも各種の精油から見出されている。クスノキはアジア、特にボルネオに産することから、樟脳の別名の起源となっている。

クスノキの葉や枝などのチップを水蒸気蒸留すると結晶として得ることができる。

この天然樟脳を製造している所は、江戸時代から続く福岡県みやま市の内野樟脳が2006年時点で1軒のみだったが、その後技術指導などにより2014年時点で全国で4軒を数える。

 

アラモードさまより、、、

コメント欄より

その他の戦前でも早世された宮様、或いは“気の病”とされた宮様、が結構たくさんいらっしゃいました。
大蔵省を調べてましたら、戦前の専売局は大蔵省の管轄で、
要するに、税収以外に自分達で富を生み出してました。
台湾統治運営や、日本本土にもたらした富のひとつに、
防虫剤でも使われる『樟脳』の専売がありました。
樟脳は、プラスチックが発明されるまで、セルロイドの主原料のひとつとして、世界中に輸出されてたようです。
この『樟脳』ですが、、
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%9F%E8%84%B3
(参照)
《樟脳は皮膚から容易に吸収され、そのときにメントールと同じような清涼感をもたらし、わずかに局部麻酔のような働きがある。
しかし、飲み込んだ場合には有毒であり、発作・精神錯乱・炎症および神経と筋肉の障害の原因になりうる。
有毒物質を飲み込んでしまった際の応急処置として、消化器保護のため牛乳を飲ませる事があるが、樟脳は脂溶性であり牛乳に含まれる乳脂肪分との作用で体内に吸収され易くなってしまうため、樟脳誤飲に対して牛乳を飲ませることは禁忌である。》
突然亡くなられた方達や、気の病になられた方達の症状によく似てる‥‥気がします。
また、樟脳は心臓のカンフル剤でもあったようです。
と言う事は、量を間違えれば、心臓発作をおこせるのでは?と思います。
アヘンのルートを探っていたら、違うモノに、「あれっ?」
て感じです。

以上

 

コメント欄より

画像はこちらから

※gta926-稲の収穫 甘蔗の運搬 樟脳製作所

でれでれ草様、ご返信有難うございます。
樟脳誤飲の症状。(成人で2㌘が致死量)
【症状の概要】  摂取後5~90分以内に突然痙攣。吸入や経皮でも中毒症状が発現。
6~8時間観察して症状が出なければ中毒の心配なし
中枢神経 頭痛 めまい 興奮 錯乱 譫妄 幻覚 振せん てんかん様痙攣 意識障害 昏睡
瞳孔      *
呼吸器     呼吸抑制 呼吸不全
循環器     ショック 頻脈
消化器     口腔・咽喉部灼熱感 悪心 嘔吐
電解質・代謝  *
肝       *
腎・泌尿器   *
体温      *
皮膚      皮膚の紅潮
神経・筋    筋反射増大

少量投与されていたとして、中毒になったら、
経皮・吸入からも悪心・幻覚・てんかんの様な痙攣、他の症状が発現するとの事。

最初は、大正天皇の煙草のエピソードから、阿片かしらと思ったのですが、
大陸を調べていると、台湾統治とも関連性が高く、
台湾統治の財源に産物の専売があり、、、。
幕末期の1855年には、台湾の樟脳と生産とヨーロッパへの輸出に英国商人が関与していた事、
薩摩で樟脳生産が奨励されていた事などから、
「もしかして?」と思った次第です。
http://www.celluloidhouse.com/salon2.htm
ただし、中毒になったら、呼気や尿から樟脳臭がするそうです。

NHKで放送されている「猫のシッポ・カエルの手」に出演されている英国貴族出身のベニシアさんや、
浦沢直樹氏の漫画「マスター・キートン」で知りましたが、
英国貴族にとって、ミントは大切な香りの様です。
(知識はこれ2件しかないので、違ってたらすみません!)
メンソールタバコを調べてみたら、やはり英国が最初。

カンフル剤が注射でなく、経口でもOKなのかがまだわかりませんが、
ミント(メンソール)の味のするものを口にして
違和感ないのは、英国の生活習慣だなぁ、
これって本当は中世ヨーロッパあたりでは、別の意味があったんじゃ‥‥(暗殺とか?)と、
すみません、これについては私の妄想です。

以上

 

コメント欄より

昭憲皇太后のお写真と比較されてます伏見宮貞愛親王妃利子様は、尾張徳川家へ輿入れされる予定が、藩主が18歳で夭折された為、伏見宮貞愛親王とのご結婚になられた方です。
また、明治天皇の女御にと検討されていた方でもあります。
多分、公家の子女としてご聡明だったと思われますが、
第二子が1歳半で夭折してから、精神が錯乱気味になられました。
ご長男の邦芳王(くにかおう)は、幼年時代はごく普通のお子様で、大正天皇の遊び友達でもあったようです。
邦芳王は陸軍幼年学校時代は正常でしたが、北白川宮・能久親王が台湾で戦病死したあたりから精神に異常をきたし、父・貞愛親王の嫡1子として伏見宮を継ぐはずだったが「不治ノ疾病ノ故ヲ以テ」退き、兄で庶1子の博恭王が華頂宮から復籍して宮家を継ぐことになったそうです。
http://www.geocities.jp/ahmadjan_aqsaqal/ssr/5h1/ha324001.html
なので、有栖川宮家系統に、気の病のおそれ有り、、と言われるようになりました。

しかし、精神が安定してない方を、尾張徳川家が婚約させるかなぁと。
一時期は明治天皇の女御候補にもなってますし。
邦芳王も、大正天皇の遊び相手に選ばれているし。

史実に書かれてある通りかもしれませんし、
含みのあるエピソードが残されているのは、周囲も釈然としなかったのかな‥‥と思ったりしてます。

以上

 

幕末の睦仁親王、孝明天皇の殺害のあと、朝鮮部落被差別民がすり替わった「明治維新」ですが、管理人は、リハーサルのようなプレ維新があったと思ってます。

 

コメント欄より

大和撫子様のコメントを読み、倉西裕子先生のブログ記事を拝見しました。
島原には思う事あり。。。
しかし、でれでれ草様の文章とからめるタイミングが無くて、コメントに書けなかったモノがありますので、
貼らせていただきます。

島原半島と雲仙・・島原の乱の背景と乱後の徳川の復興政策


キリシタン大名有馬氏は、龍造寺家の家来分でしたが、
対立するようになり、島原で戦となりました。
有馬氏への援軍は島津家でした。
島原半島と島津のお付き合いは深かったようです。

たまたま、世が世なら島原藩のお姫様‥‥‥と言う方と知り合いになるご縁がありまして、
ちょっと歴代藩主を調べてみましたら、
いろいろと権謀術数あったような藩主の皆様でした。
https://kojodan.jp/castle/96/memo/2607.html
特に江戸時代後半、1792年からの、13~19代藩主の死亡年齢には驚きます(若死が多すぎる)。
13代→49歳死亡  14代→42歳死亡
15代→24歳死亡  16代→28歳死亡
17代→20歳死亡  18代→18歳死亡
19代→先代が18歳で死亡、末期養子が出来なかったので、急遽徳川慶喜の弟が18代の死去を秘匿して辻褄を合わせて
年齢はだいぶ上だけれども、養子縁組して、島原藩最後の藩主となりました。
これ以前の藩主の寿命もご参考にされて下さい。
ちょっと違和感です。

島原の乱後に藩主になった高力氏の2代目は悪政の為改易となりましたが、幽閉先は仙台藩でした。
(島原と仙台・伊達家のつながり‥‥。)

いろいろとキリスト教・イエズス会のつながりを感じますね

以上

 

キレキレのコメントをいつもありがとうございます。

仙台といえば、慶長遣欧使節を欧州におくった伊達政宗の藩でしたね。

う~ん。イエスズ会の日本侵略活動は、鎖国後も続いていたのかな、、と、おもっちゃいますね。

 

イエスズ会の血の宣誓

http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-bc97.html

米国の第624回議会議事録(第3会期)に記録されている、イエズス会の「究極の入会の誓い」あるいは「血の宣誓」という儀式には、彼らの目的がきわめて明瞭に現れている。「血の宣誓」の存在は故アルベルト・リベラなど、イエズス会の司祭であった人々の証言で裏付けられているが、それはまるでイルミナティの血族が行なう儀式や宣誓そのものである。(略)そして入会者は、イエズス会とローマ教皇の共通の「敵」の戦いに従事することを誓う。

「私は機会ある限り密かに、あるいは公然と、指示されたとおりに、すべての異教徒やプロテスタント、自由主義者をこの地上から根絶させ撲滅するまで、徹底的に戦い続けることを誓い、宣言する。

相手がどのような年齢や性別、健康状態でも決して容赦しない。

忌まわしき異教徒をつるし上げ、疲弊させ、茹で上げ、皮をはぎ、首を絞め、生きたまま地に埋める。

女の腹と子宮を裂き、子どもの頭を壁に打ちつけて砕き、呪うべき者たちを永久に根絶する。

公然と行えないときは陰に隠れ、毒を持った杯を、短剣の刃を、絞殺のためのロープを、鉛の弾丸を使う。

相手の地位や品格、権威にかかわりなく、彼らの状況がどのようなものであれ、公私にかかわらず実行する。

私は常に教皇の、また聖なる修道会であるイエズス会の長の代理人の命じるままに動く。」

転載以上

 

日本の神とニセ皇族との仁義なき戦い

イエスズ会初の法皇・フランチェスコさんと、バチカンを訪問した偽秋篠宮夫妻。

ご成婚した川嶋紀子さんは会津と関係の深い方で帰国子女。おそらくは、カトリックと関係がありそうな方でした。

今はご夫妻ともご成婚時とは、別人にすり替わりましたが、代々の「川嶋紀子さん」を可愛がった秩父宮妃は、クリスチャンでしたが、川島紀子さんたち、もそうだったんでしょうね。帰国子女という環境以上に、どうも、日本文化の接点がなさげだったのが、今となってはきになります。

 

殺害者が天皇になった明治維新

孝明天皇と睦仁親王を殺害した殺人者が天皇に成り済ましたのが、明治維新でした。

『日本の本当の黒幕』 鬼塚英昭

第三章|孝明天皇・睦仁親王暗殺説の謎を追う(P104~)

公卿の三条実美と土方久元(土佐脱藩者)が計画し、中岡慎太郎と坂本龍馬が長州の木戸考允と薩州の西郷隆盛を動かした薩長度連合は、大室寅之佑なるものを天皇として新政府を樹立するという密約でもあった。

彼らは武士というよりも下層階級、郷士格であって、武家社会で大手を振って生きていける身分ではなかった。

「西郷南洲」とういう”芸名”は、南朝の菊池氏からきているという。しかし、西郷、大久保利通、樺山資紀、大山巌たちは、鹿児島の加治屋町(現在は鹿児島市加治屋町)という部落で、汚物の処理や清掃、葬式を生業としていた。武士とは案ばかりの、最下層に近い人々であった。

薩長連合は、そういう彼らが長州、差tま、土佐の大名と歯別行動をとったクーデター計画だった。

島津久光は西郷隆盛と大久保利通が大室寅之佑を連れてきて、

「この男が天皇になります」

といわれたとき、刀で斬りかかりそうになった。しかし、西郷が、

「すでに睦仁は死んでおります」

とつげたので刀を下した。

この逸話は、鹿児島の郷土史家から直接私が聞いた話である。

真実であろうと思う。

この薩長、そして、薩土の秘密連合がクーデターをおこして明治政府が出来上がるのである。

大室寅之佑は藩主毛利敬親の知らぬままに天皇となっている。いわゆる事後承諾である。

薩長連合を決めた木戸考允は、天皇をつくりあげたことを「玉遊びをした」といっている。玉とは王と同じである。

 

『大宅壮一選集(第11巻)』(1982年)は「宗教・王室」である。この中で大宅壮一は次のように書いている。

明治の新政府ができてまもなく、16歳の少年天皇が、わがままをして”元勲”たちのいうことをきかないと、西郷隆盛は、

「そんなことではまた昔の身分にかえしますぞ」

といってしかりつけた。すると天皇派たちまちおとなしくなったという話が伝えられている。

転載以上

 

明治以降の、犯罪人とその子孫、異教徒、非皇族、そして正体不明の偽物たち、、、まさに、汚れきった国体の中心ですが、はたして、この人たちの祭祀を神仏は受け取ってくださってたんでしょうか。

その嘘くさい祭祀も、平成になってからはサボリ気味、、

 

コメント欄より

出雲大社の遷宮に参加された、知人の神主親子の話しです。
遷宮が終わってすぐに聞きましたので、このような、生前退位問題なんて想像もしなかった時の事です。
遷宮の時は、夜間雨天の中、メインの御神体の移動の時は一陣の風のあと雨が上がり、皆神意を感じたとの事でしたので、その話題で盛り上がったあと、何のきっかけか、
天皇陛下の過密スケジュールの話しになりましたら、
「報道もどうなっているのか‥‥、正直、これ以上何を減らすのか。。天皇陛下は、今はほぼ何もしてないのに等しいのだが。」

と言う事でした。
神社も天津系、国津系で違うと聞きます。
国津系神社の神主さんだから、話してくれたのかなとか思ってますが。

(ここまで)

 

徳仁の嫁が朝鮮系仏教団体・創価学会というのもね、、、。

徳仁さんも改宗しているでしょうし。

日本の国運が優秀な国民によって高まり絶頂を迎えると、中枢から方向性を誤らせて自壊させるのを繰り返してきましたが、その要因は、やはり、国体である天皇家が、異教徒であること、偽物であること、裏切っていること、にあるんじゃないでしょうか。

旧宮家などのお公家さんが、必ずしも人間として支配層として完ぺきであるとは言いませんが、少なくとも「日本人」であり、「犯罪人ではない」であることが重要だと思います。

 

神と偽皇族との仁義なき戦い

明治帝

明治帝には、ながく親王ができず、できても育ちませんでした。

そのままいくと、旧宮家に皇統が移動し正常になるはずでしたが、大正天皇がお生まれになりました。

が、妙に大隈重信に似ているのが不思議でした。

 

大正天皇

大正天皇には、子種がありませでした。

そのままいくと、旧宮家に皇統が移動し正常になるはずでしたが、鬼塚史観によると他家の男性を九条節子にあてがい、あるいは養子を迎えて(3男の高松宮は有栖川家からの養子とされています)4人の親王をつくりました。

 

昭和天皇

長男の裕仁天皇には長く男子ができませんでした。

そのままいくと、旧宮家(おそらくは東久邇宮家)に皇統が移動し正常になるはずでしたが、第5子として明仁さんが生まれました。目出度いとこですが、なぜか明仁さんは、皮膚の色が浅黒く、顔立ちも両親、親戚、どこを見渡しても不思議と誰にも似てません。

 

明仁天皇

明仁さんに長男が生まれ浩宮徳仁といいますが、なぜか、お妃候補担当、正田家担当の新聞記者ににているのが妙な話です。

 

徳仁親王

その徳仁さんに長く子供がありませんでした。試験管で親王をつくったら生まれてみれば内親王。しかも自閉症。

さらに、ほかの宮家も男子は生まれず、内親王、女王のみ。

そのままいくと、旧宮家の男子を皇族に復帰して宮家を作り、内親王、女王は宮妃になる流れができ、旧宮家に皇統が移動し正常になるはずでした。

が、あくまで、美智子をはじめとする偽皇族たちは、女性天皇、女性宮家にこだわったため、神は数多くの吉兆とともに悠仁親王をおよこしになりました。

それゆえ、5人の女王は降嫁するいがいに道がなくなりました。3人の内親王も微妙です。

数多くの吉祥をみるに、悠仁さまの遺伝上の実父は、旧宮家、北朝の皇統のかただったと思われます。

しかし、311のあたりを境に、秋篠宮家は丸ごと偽物にすり替えられました。

※詳細はこちらから 秋篠宮家のダブル

そして、美智子、雅子は、マスコミを使い、悠仁様の知的障害説、愛子様優秀伝説を喧伝して立太子、天皇にして、女性宮家、女性天皇を実現させようとしていますが、、、、。

 

常に神は、円満に水面下で皇統が正常に戻るように采配していましたが、それに反抗し続けていたのが、国際金融同盟や朝鮮、ロシアや、創価、カトリックをなどの異教を背景にした、田布施閥をはじめとする、得体のしれない黒社会からきた犯罪人といっていい朝鮮系の工作員たちでした。

でも、最後は、日本国民と神が勝つと思うヨ。

ニセモノが天皇に即位?