書籍化されました
転載|無限拡散:朝鮮総連の「工作員」の行動パターンにそっくりな小池百合子(怒)
「日本国内の北朝鮮」であり、「破防法対象団体」で公安調査庁や公安の監視下にあり、北朝鮮と連携し「日本人拉致問題」を引き起こした朝鮮総連と言う組織。
「続 小池百合子の研究」シリーズに入る前に「北朝鮮論」を各都合上、参考文献として、読んだ本があります。
この本は「天下の名著」です。
このたった260項の薄い新書に、朝鮮総連の歴史から、組織、北朝鮮との関係、総連組織内の「権力の変遷」が全て、コンパクトに詰まっています。
Sponsored Link
《朝鮮総連の組織内の工作員集団を「学習組(がくしゅうそ)」と言います》
「学習組(がくしゅうそ)」・・・・変な名称ですが、表向きは「勉強会」を装った「工作員集団」です。
工作員=スパイの「適性あり」と朝鮮総連のトップ、議長や幹部が認めた男女を、総連の議長が、本人を議長室に周囲に知られないように、秘かに呼びつけて、
「お前を「学習組(がくしゅうそ)」に任命する」と「口頭」で告知して、文書等の一切の証拠を残さないそうです。
朝鮮総連組織内の「誰が「学習組(がくしゅうそ)」」であるか知っているのは、朝鮮総連のトップの議長と、一部の幹部と、報告を受けた本国、北朝鮮の「金王朝」の委員長のみです。
現在なら「学習組(がくしゅうそ)」が誰であるか」を知っているのは、朝鮮総連議長の許宗萬(ホジョンマン)と本国北朝鮮では、北の刈り上げこと金正恩は死んで、後継者は妹の金与正(キムヨジョン)に権力が移動したので、この二人だけでしょう。
《工作員=「学習組(がくしゅうそ)」が誰か周囲が知るのはミッションに失敗して本国に召還されたときだけ》
工作員としてのミッションに失敗したら、本国の北朝鮮に「召還」されるそうです。
その時、あたかも普通の人事異動の様に、議長から「金某は、本国に召還されることになった」と総連内で正式に告知され、皆が知ることになるそうです。
そして、本国の北朝鮮に召還されるということは「政治収容所」送りになり、ほどなく処刑されることを意味するそうです。
その時、改めて周囲の朝鮮総連の職員は「彼(彼女)が工作員=「学習組(がくしゅうそ)」だったのか」と知ることになります。
朝鮮総連の歴史で有名なのが、高大基(コ・テギ)
私が出会った北朝鮮工作員たち 第6回
竹内 明 報道記者 作家
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/53477
日本に展開した武闘組織「ふくろう部隊」
その男は、朝鮮総連傘下の研究機関「朝鮮問題研究所」の研究員だった。愛想はなく、取っつきにくい男。これが周囲の者の一致する人物評だ。
男の名は高大基(コ・デギ)。1973年当時、40代半ば。
朝鮮問題研究所が発行する機関誌『月刊朝鮮資料』に、研究論文を書いたことはない。巻末の「日記」の部分に軍事問題の短い記事を執筆するだけだった。
同僚たちにとっても謎の人物。愛媛県宇和島出身で、「予科練上がり」という噂があった。戦争末期には日本海軍のパイロット養成課程にいて、特攻作戦での死も覚悟していたと囁かれるほど、肝の据わった男だったのだ。
高は軍事の専門家で、事務所では「資料室長」という肩書きで韓国情勢の書籍を管理していたという。職場の同僚はこう語る。
「いつも遅れて出勤する。不機嫌そうに座っていて、突然出かけて帰ってこない。
在日朝鮮人社会は本国と同じ規律社会なのだが、上司は高に何も言わない。だから、裏の仕事をやっていることは薄々分かった」
実際、高大基には複数の顔があった。その一つが武闘組織「ふくろう部隊」の訓練隊長だ。
ふくろう部隊は、当時の朝鮮総連第一議長・金炳植(キム・ビョンシク)が組織化したもので、朝鮮大学校を卒業した総連の専従活動家が構成員だ。金炳植の護衛や思想弾圧、政敵の追い落とし工作を担当したとされる。
ある在日朝鮮人は「本国にある国家安全保衛省みたいな組織だ」という。軍直属の工作機関・偵察総局に属する工作員たちも、祖国を裏切ったと判断されれば、国家安全保衛省によって抹殺される。反逆を許さぬ秘密警察的な組織と言っていい。
「ふくろう部隊」は正式名称ではない。夜の暗闇に乗じて尾行や襲撃をしていたので、「ふくろう」と恐れられるようになったのだ。
「ふくろう部隊の隊員は、フルコンタクト空手の師範代に格闘技術を教え込まれ、1日8時間の訓練を受けていた。訓練開始から1年もたつと、体が二回りは大きくなって、ヤクザとトラブルになっても全然怖がらない。
大阪の総連幹部が海岸で変死体で見つかった事件では、ふくろう部隊の犯行だという説があった」(総連関係者)
「高大基は、ふくろう部隊の隊員を再教育するため大菩薩峠に合宿に連れて行ったりしていた。逆さ吊りにして度胸試しをやったという噂だった」(高大基をよく知る人物)
工作機関のダミー企業が五反田に
のちに分かることだが、謎の男・高大基にはもう一つの顔があった。東京・五反田の貿易会社社員という肩書きだ。
会社名は「ユニバース・トレイディング」。1971年に金炳植が設立したこの会社は五反田のTOCビル4階にあった。登記上の社長は日本人男性だが、この人物は金炳植の友人だった(同社は1978年倒産)。
設立翌年に、金炳植が本国に召還されて失脚。後継者として会社を仕切っていたのが、高だ。30人ほどの社員が貴金属の輸出の業務にあたっていたという。
実は、この会社こそ北朝鮮工作機関のフロント企業であり、社員のうち10人が北の工作員だった。
「表向きは貿易業務だったが、目的は在日米軍の情報収集などの秘密工作や資金調達、海外の工作員との連絡だった。貿易会社は金も稼げるし、海外に出張しても自然だ。ちょうど良い偽装だった」(公安捜査員)
怖いですね~怖いですね~
《1972年~1976年 不可解な小池百合子の言動に振り回されるカイロ時代の同居女性》
「女帝 小池百合子」によると
・小池は「いくつかのアルバイト」をかけ持ちしている」と言っていたが、早川さん(同居女性)には、実際何をしているかわからなかった。
・日中は男性の来客が多くて、早川さんは勉強ができずに、小池と小池の来客に「家政婦替わり」のように使われていた。
・小池を紹介されて二人で家探しをしている時に、勝手に、父の勇二郎とともに、リビアに行ってしまった。
《息を吐くように「嘘」をつくアラブ人の日常》
私が、1980年代前半に読んで非常に感銘を受けた本があります。
私が物心ついてから、高校生まで、「中東戦争」が間断なく継続していました。
九州の半分の面積しかないイスラエルと、周辺のアラブ諸国、エジプト、シリア、ヨルダン、レバノンとの大きい戦争だけで第四次中東戦争までありました。
イスラエルを支援するのは国内に「ユダヤロビー」の多いアメリカ、それに反発して、イスラエルと敵対するアラブ諸国は「親ソビエト」で武器や戦闘機もソ連製でした。
エジプト軍が使う戦闘機ミグ21、ソ連製、懐かしいですね。
しかし、当時は「米ソ冷戦」の真っ最中で「米ソの代理戦争」の性格が強かったです。
村松剛氏は、この著書の中で、アラブの諺として、「言葉には税金がかからない」と言うのを挙げていました。
いくらいい加減なことを言っても、「発言内容に税金は課せられない」と言う意味です。
日本の隣国にも、そういう民族がいますね。
《父小池勇二郎とハーテムの「密約」と「交渉」》
以下は私の推理です
小池勇二郎「うちの娘の百合子を是非「工作員枠」でカイロ大学の2年に編入させてくれ」
ハーテム「いいとも、4~5年、カイロで遊んでいればいい。イラン以西のアラブ諸国では自分で「俺はカイロ大学を卒業した」と言えば卒業したことになる」
小池勇二郎「それは困る。大学に通わせて、試験も受けさせてくれ」
ハーテム「何故だ」
小池勇二郎「日本は学歴社会で形式にこだわるんだ」
ハーテム「いいだろう。但し4年生まで進級してくれないと私の立場もある」
ハーテムと小池百合子、父勇二郎の「口裏合わせ」
ハーテムの「嘘」
過去記事ですが
ハーテムは「回顧録」において
「中曽根氏から友人の娘であるとして当時学生だった小池百合子氏を紹介され、面倒を見ていたこと、」
中曽根から小池百合子を紹介されたというのは「真っ赤な嘘」だと、朝堂院大覚(ちょうどういんだいかく)は石井妙子さんのインタビューで答えて「女帝 小池百合子」に書かれています。
朝堂院大覚の東京の事務所で、カバン持ちをしている時に、偶々、訪れていた石原慎太郎に、図々しく自分を売り込んでも、石原から「ああそうですか」と鼻であしらわれています。
ただ、政権与党の自民党の派閥の領袖クラスなら、アポイントもとらず、ずかずかと事務所に入っていき、相手にされるまで付きまとっていたそうですから、福田赳夫や中曽根康弘にも強引に会っていたが相手にされなかっただろうと証言しています。
《小池百合子の「謎のバイト」とは、現地商社マンとハーテムを繋ぐ間諜だったのではないか?》
カイロ駐在の日本の商社マンにとっては小池百合子を通じて情報大臣のハーテムからエジプト政府の「内部事情」を知って、ビジネスに結び付けたい。
ハーテムとしては、当時既に世界第二位の経済大国になっていた日本の政権内部の権力構造を知りたい。
こうして、小池百合子は、「カイロの同居女性」には話せない「工作員活動」をしていたのだと思います。
《全く「必然性」の感じられないパリ「超短期留学」》
「女帝 小池百合子」では、小池が第一次安倍政権で55日間しか防衛大臣を務めなかったときに、勝手に渡米して、当時のコンドリー・ザ・ライス国務長官と面会した時の英語のスピーチが、発音内容共に、「同じ日本人として赤面物のレベル」だと酷評していました。
私も、You tubeにアップされている、小池の外国人記者クラブでのスピーチを聞きました。
動画をアップしたのは、日本で生活するアメリカ人男性の英会話教室の講師でした。
タイトルは「小池百合子の英語力を検証してみよう」でした。
私も聴きましたが、はっきり言って下手糞だと思いました。
発する英単語の間隔が余りにも間延びして遅すぎる。
必死でスピーチ内容を暗記してきたのだろうけど、思い出すのに時間がかかる。
思い出せなくて時折、手許の原稿に目を落とす。
動画をアップしたアメリカ人男性は、必死で笑いをこらえながらも、大臣経験者に気を使いながら「上手ですね」なんて無理して言っていました。私も同じ日本人として聴いていて恥ずかしかったです(怒)
著者の石井妙子さんによると、小池の英語は「上手そうに聞こえるように、やたらと語尾を巻き舌で強調するパフォーマンス英会話だと酷評していました。
小池の大臣時代のアラビア語が酷すぎる。
黒木亮氏のレポートより
初検証・これが小池百合子氏のアラビア語の実態だ
そのカオスと稚拙さに思わず赤面した!
https://bunshun.jp/articles/-/7909
エジプト人は「日本で6か月やった程度のレベル」
英語や中国語のように日本で学習者が多い言語なら、氏のアラビア語の能力についてはとうの昔に評価がなされているはずだ。しかし、小池氏のアラビア語を肌で知る外務省の職員や、同省から仕事をもらっている通訳業者などは、有力政治家である小池氏の影響力を怖れ、長年口をつぐんできたというのが実態のようだ。
結論から言うと、小池氏のアラビア語は「ハチャメチャ」である。一緒に動画を見てもらったロンドン在住のエジプト人ジャーナリスト(1980年代にカイロ大学の英語科を卒業)の感想は「これはStreet Arabic。エジプトで生活したかもしれないが、大学で学んだ人のアラビア語では絶対にない。日本で6か月やった程度のレベル」。
「えー」という日本語を何度も交えながら
小池氏の最初の動画は、ドバイの衛星テレビ「アル・アーンTV」のもので、リビアのカダフィ政権が崩壊した後に、小池氏が同国のベンガジを訪問したときのものと思われる。
正則アラビア語とエジプト口語がごちゃまぜ
「美味しい」面会?こんなアラビア語で40年以上、アラブの要人に会っていたのか!?
小池氏はよほど自分のアラビア語に自信がないようで、普段日本語で話すときの傲然とした態度は鳴りを潜め、相手の顔色を上目遣いで窺い、舌足らずの話し方で媚を売りながら、時に消え入りそうな声で話す点は、3つの動画に共通である。
黒木亮氏は最期を「怒り」で締めくくっています。
小池百合子のアラビア語の実力は、一世を風靡した「タモリの四か国語麻雀」レベルのようですね。
英会話は「中学生レベル」、アラビア語は「お笑いレベル」の小池が、1972年の7月30日から9月11日まで2か月未満「パリに超短期留学」しています。「いきなりフランス語」のぶっつけ本番修行でしょうか?
《パリにはハーテムのお使いでフランスの諜報機関に届けるものがあったのではないか?》
「エジプト諜報機関のドン」のハーテムから「フランス諜報機関の幹部」に届けるものがあってその「お使い」を命じられていったのだと思います。
パリでの目撃者には、「タダのアジア系の女性」がフランス諜報部のビルに間違えて観光目的で入っちゃった、と思われ警戒されないでしょう。
しかも、帰りに寄った北アフリカのチュニジアも1956年までフランスの植民地でした。
偶然の一致にしてはできすぎています。
旧植民地国家と言うのは独立後も「宗主国の諜報機関」の組織が残るものです。