書籍化されました
《無限拡散:第二次大戦の「戦後史」に輝く「カイロ大学工作員枠卒業生」》
イラクの独裁者 サダム・フセイン(1964年法学部中退)
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ヤセル・アラファトPLO議長(1955年工学部卒)
テロリスト集団のアルカイダ最高指導者のアイマン・ザワヒリ(1974年 医学部卒)
ハマス創設者 マハムード・アルザハル(1971年医学部卒)
ハマス
イスラーム主義を掲げるパレスチナの政党。1987年12月14日にアフマド・ヤーシーンによってムスリム同胞団のパレスチナ支部を母体として創設された。
2004年12月に行われたパレスチナ地方議会選挙において過半数の議席を獲得し、さらに2006年1月のパレスチナ評議会選挙でも定数132の議席中で76議席を獲得した。
PFLP(パレスチナ人民解放戦線) ナーイフ・ハワトメ(1957年医学部中退)
PFLP(パレスチナ人民解放戦線)
1967年に設立されたパレスチナの政党・武装組織。パレスチナ解放機構(PLO)に参加している。
ジョージ・ハバシュによって設立され、マルクス・レーニン主義を掲げ、パレスチナ解放を目標とする。通常、ファタハなどと比較して「過激派」と呼ばれる。エル・アル航空426便ハイジャック事件や同時ハイジャック事件が有名で、アメリカ合衆国、欧州連合、カナダ、イスラエルの各国政府は、テロ組織に指定している。
サウジアラビア元石油相 ザキ・ヤマニ(1951年法学部卒)
「911テロリスト」のムハンマド・アタ(1990年工学部卒)
アルカイダ
イスラム主義を掲げるスンナ派ムスリムを主体とした国際テロ組織。ソ連・アフガン戦争中の1988年、ソ連軍への抵抗運動に参加していたウサーマ・ビン・ラーディンとその同志らによって結成された[6]。1990年代以降、2001年のアメリカ同時多発テロ事件や1998年のアメリカ大使館爆破事件等、アメリカを標的とした数々のテロを実行した[7]。
創始者のウサマ・ビンラディンで有名ですね。
小池百合子
《共和国初代大統領ナセルの目指した「エジプトを盟主とするアラブの統一」》
1956年「自由将校団」を率いて王制を打倒したナセル大統領は、完全独立を達成すると同時に、事実上の軍政を敷いて「カイロ大学の自治と学問の自由」を奪いました。
そして「アラブ民族主義革命」を周辺アラブ諸国に「輸出」するために、各国の「反体制派分子」を「工作員枠」でカイロ大学に入学させました。
その出色の「作品」が、イラクの独裁者、サダム・フセインです。
エジプト留学前は、高校中退でバクダートのストリートギャングのボスだったそうですから、日本で言えば「関東連合」の様な半グレ集団だったのでしょう。
エジプト留学はナセル大統領による「リクルート」でした。
理由は、当時のイラクの独裁者のカシムとエジプトのナセルが「犬猿の仲」だったからです。
フセインは、カイロ在住中は頻繁にカイロのCIAに出入りしていたと言いますから、エジプトとアメリカの「二重スパイ」だった可能性も否定できません。
帰国後、カシム政権を倒して以降、1979年に権力を掌握しました。
1970年にナセル大統領が死亡して、サダト大統領が後継者に就任すると「アラブ民族主義革命」の方向性が変わります。
サダトは最終的に、「親米親イスラエルの現実主義路線」となりました。
この変化は、奇しくもロシア革命に似ています。
帝政ロシア・ロマノフ朝を打倒し、「世界初の共産主義国家ソ連邦」を樹立させたロシア革命は
「第一世代」・・・・レーニンとロッキーは、「世界に共産主義革命を輸出」するために、「国際共産主義路線」を採用します。
しかし、レーニン死後、トロッキーとの権力闘争に勝利し、政敵を国外に追放したスターリンは「一国社会主義」と言う「現実路線」に変更しました。
しかし、「現実主義路線」にサダトが方向転換しても、「軍と諜報機関による大学の管理」と「工作員枠」は変わりませんでした。
※転載以上