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【つれづれ】09月21日 幕末の皇室と平成の皇室

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本日も、拙ブログへお越しいただきありがとうございます。

いかがお過ごしでしょうか。

平成皇室の怪

こうやってならべてみると、、、いろんな文仁親王がいたのかな、と思ったり、、いろんな紀子様がいたのかなと思ったり、、、。

 

コメント欄より

紀子様のお誕生日会、リョウーヘイカも含めて全員集合だったようですね。
あの東宮ご一家までも、らしいです。
ホントかウソか、黒田夫妻も、と報道されたようです。
今までなかったこと。
これは「乗っ取り完了」お祝いでしょうか。
マコサマの大々的報道と連動、そういうことかな、と思っていますが。
いやですね。
現皇室はもう手が付けられないほど穢れ、汚れています。
このあとにどんなことが起きてくるのか。

以上

 

文仁親王も悠仁様もすり替えたし、「悠仁親王即位、愛子天皇即位、どちらにころんでも大丈夫」という状態になったんでしょうね。

ご成婚された大学教授の令嬢・川嶋紀子さん(上段)も今は消息不明。

 

因果の果をみれば因がわかりますが、

・国民の知らない間に、皇族が偽物とすり替わっっている。

・卑賎婚の繰り返し。卑賎階層と一つになろうとしているかのよう、あるいは元いた場所が卑賎階級だったのかも。

・外国勢力の協力あるいは策謀による一静かなクーデター。

・クーデターに動いているのは、帰化人もしくは旧被差別階級。

幕末も同じことがおこったのかな、と、最近は妙に納得してます。

 

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幕末皇室の怪

大久保利通

部落といわれていた階級から最下層の武士になり、藩公にとりいり、西郷に取り入り、最終的には廃藩置県を通じて薩摩をつぶした人です。

麻生太郎氏、三笠宮信子妃殿下は、この方の子孫です。

左の黒い枠の大久保が本来の大久保。右の貴公子然としてた大久保は肖像画写真とおもわれます。肖像画を画家が描き、写真にとったものだったはず。全然ちがいますね(笑)

 

明治帝

左の黒枠の明治帝は外人による隠し撮りだそうで、本来の容姿をうつしていますが、右は肖像写真のようです。たしかに中央の明治帝の画像は床の遠近法がおかしいですね。右は絵画すぎ。中央の男性が立ち上がったら、左の男性の身長や頭身になるかといえばならないとおもいます。

こちらは、横浜に行幸されたときの明治帝だそうですが、こちらも外人の隠し撮りだそうです。妙に、お公家さんっぽいので本物かなあ、、とちょっと疑ってみたりします。でも本物だそうです。

奇兵隊・力士隊の大室と明治帝

外国の公使が謁見した折、御簾を肩のあたりまで垂らして顔は隠れて見えなかったものの、身体は相撲取りのように太っていたとか。

睦人親王とすり替わったといわれる長州の下級武士「大室寅之助」は、騎兵隊のなかの力士隊だったという流説もあんがい嘘ではないのかもと思ったりします。力士隊とは農民やエタヒニンといわれていた被差別階級の身体の大きい男子をあつめてつくった部隊だったそうです。棍棒をもたせていたとか。

現役時代の千代の富士さん。

引退後の舞の海さん。身長が明治帝に近いです。

引退後の貴乃花親方(中央)

引退した親方たち

 

こちらは、隠し撮りされた明治天皇。

「九重の内で育った究極のお公家育ちの方が老いた姿」というより、「相当鍛えられた時期を持つ若者が老いた姿」という感じに見えます。

大室の故郷の村では、普通に「明治天皇はうちの村から出た」と語るそうな。

また、まとめようと思います。

 

パニック

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4 件のコメント

  • 明治天皇の入れ替えについて、初代宮内大臣田中光顕が晩年に語ったと伝えられています。

    田中光顕は、土佐を出て長州に行って、高杉晋作に仕えていました。
    慶応3年、高杉亡きあと、伊藤博文に重宝され、幕末から明治にかけて伊藤たちの大事な
    時に関わっています。
    龍馬・中岡慎太郎の死にも深く関わっていると考えています。
    彼らの死の第一発見者は田中光顕と伝えられています。
    幕末にそれほど大きな仕事をしていないのにも関わらず、この二人の死の出来事が今に
    大きく伝えられてきました。(まるでビデオテープが回っていたかのように伝えられて
    います)
    ドラマチックに伝えられ、今の幕末史のメインになっています。
    土佐の浪人たちの活躍や亀山社中の存在など大きく伝えていったのは田中ではなかった
    でしょうか・・・。
    田中は、そのご褒美に宮内大臣を拝命したとおもっています。
    その後、地元に青山文庫を建て、地元まで鉄道を引いています。(政府の力)

    この幕末は、薩摩藩主導のもとで始まっていますが、今に伝わっていません。
    今に伝わる幕末史は、ほとんど長州側で語られています(長州藩ではありません)
    薩摩藩の史料にはほとんど手をつけず、長州側のみによって語られた幕末です。。
    薩摩藩に残されていた史料は、平成になって鹿児島県で印刷され全国の図書館に配ら
    れています。(鹿児島県玉里島津家史料)

    「今に伝わる幕末」は薩摩藩からも長州藩からも語られることなく、一部の人達によって
     都合よく伝えられたと考えています。
    「薩長同盟」という言葉は、語った側の理想を伝えたものと考えます。

    明治になって一気に力を持った勢力は、天皇まで支配の手を伸ばしたのかも知れません。

    実権をもった側にとって、物言う天皇を嫌ったのかも知れません。

    幕末から明治に移って行く中で、どれほどひどいことが行われてきたのか。。

    龍馬・龍馬とさわいでいる裏にどれほどの悪事が隠れているのか。。

    「天皇の入れ替え」それを自慢げに語った事実に目を向ける時が来たのではないで
     しょうか。。

    • 伊藤博文や大久保など、維新のために動いてた藩士たちはほとんどが、エタヒ◯ンとされていた階層から下級武士になった方々で、正規の藩士ではなかったということを聞きました。
      正規の藩士がやりたがらない仕事を請け負わせてきたそうです。そのかたがたが、明治帝をかついで明治維新をやってのけ、特権階級におさまりました。
      薩長同盟も、たとえるなら、日本の財閥が海外で雇用した臨時社員が勝手に外資の財閥と提携契約を結んだような感じだそうで、そのメンバーがクーデターを起こし、その国の政府を占領したような状態だと思います。
      幕末はいろいろと疑問が多いです。

  • お早う御座います。
    更新有難うございます。

    明治幕末をコメント欄に長々と綴ってしまい

    琥珀様、藩ではなですね。
    「幕末志士」
    と言われる人達ですね。
    何が日本で行われていたのか。
    田中という人物初めて知りました。
    教えて頂き有難うございます。
    また、今の大河や歴史の伝えかたに手が加わっているのですね。

    ある会を調べて
    宗教関係かわかりませんが、明治天皇の出自を書かれたブログをググってみつけ
    其所には、大室家に、そり(うろ覚え)という女性が連れ子を連れて大室家に嫁いだとあり、その連れ子が寅之助=明治天皇とありました。ただ、そのブログじたい主の方が…と思うような内容もありで勉強途中です。
    皇室の現状を変えるには、DNA鑑定しかないのかなと思っています。

    • >皇室の現状を変えるには、DNA鑑定しかないのかなと思っています

      科学しか信じられなくなりましたね。
      特権は血統にって相続されてきたのだからDNA検査は義務だと思います。

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