ホロスコープ|紀子様「丙午の菩薩」(中)
海王星とドランゴンヘッドと会津のつながり
気になるのは、ここかな。海王星とドラゴンヘッドの衛(180度・緊張、攻撃・葛藤)ですが、もしかしたら、海王星の象意(宗教や信仰)に関する葛藤などがおありかもしれませんね。ドラゴンヘッドは、解釈が流派によって違うのですが、人生の方向性、適職、適正ともいわれています。
紀子様は会津藩士の家系のかたですが、会津藩に縁深い大正天皇の皇后・貞明皇后は、クエーカー教徒でした。
皇后の最愛の次男・秩父宮さまのお妃に、皇后は、旧会津藩主の松平家の勢津子さまを選びます。
勢津子さまは、御父上が外交官だったことから、英国での生活も長く、通われた学校の関係で、クリスチャンだった可能性もあるかもしれません。
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※浮世風呂様より転載させていただいています。
http://blog.goo.ne.jp/yamanooyaji0220/e/f2519504838ba6e271d8740c69233313
在日大使ジョゼフの妻アリス・ペリー・グルーは、名前の示す通り「黒船ペリー」の末裔として日本・東京で育ち、教育を受けていた。
アリスの「幼馴染み」であり、華族女学院=学習院女子部時代から、常に、アリスと共に3人で行動し、アリスから世界経済・政治について「レクチャー」を受け、「侵略者ペリー」と、ロスチャイルド=モルガンの「情報操作教育=洗脳教育」を受けていたのが、クリスチャン・鍋島信子と九条節子であった。
九条節子は昭和天皇・裕仁の母であり、アリスの親友・鍋島信子の娘は秩父宮妃である。
転載以上
仮に貞明皇后がクエーカー教徒だとして、アリスがカトリック、のこる秩父宮妃の母上だけクリスチャンではないとは考えにくいんですね。
北白川女官長や入江侍従長など、歴代の女官長、侍従は雅子の創価朝鮮閥が幅を利かせるまではクリスチャンでリレーしていたと聞いています。
熱心に神道の祭祀を推進していた香淳皇后の信頼の厚かった女官を「魔女」と誹謗し解雇に追い込んだのも、このクリスチャングループでした
ちなみに、松平信子(秩父宮妃の母)さんは、貞明皇后の御用掛を14年、東宮職参与を25年務めています
会津藩・貞明皇后→秩父宮妃→秋篠宮妃のラインは、会津だけではなく、クリスチャンのつながりも考えられますね。仏壇を置き先祖供養をしながら、カトリックやキリスト教に改宗している家を知ってます。何の矛盾も葛藤もなく暮らしておられます。
仮に、海外生活が長い紀子様のご実家が、多神教のひとつとして、先祖供養も、キリスト教信仰もしていた家であることは、あり得るかもしれません。もちろん、これは、ただの推測ですが、もしそうなら、神道の祭祀王の家に嫁がれたわけですから、葛藤はあるかもしれませんね。
秩父宮妃殿下の遺言
秩父宮妃殿下は、秋篠宮家に、自分がなくなった後は、宮邸は秋篠宮家が使うように、と遺言を残されました。
それまでは、秋篠宮邸として与えられたのは、平屋の職員住宅で、とても宮邸といえるものではありませんでした。来客がある場合は、秩父宮邸を使わせていただいていたそうです。
秋篠宮邸
独立した秋篠宮様に、秋篠宮邸として、与えられたのは、築30年の平屋の職員宿舎。
※皇室の写真様よりお借りしています。
http://blog.livedoor.jp/royalfamily_picture/archives/1042824590.html
これが、筆頭宮家の宮邸、、、。
池にナマズを飼い、お子様が、おひとり生まれるごとに、増築し、つつましく暮らしておられた秋篠宮家。
秩父宮妃がなくなるとき、邸宅を秋篠宮家に譲るよう遺言をしたため、今は、筆頭宮家らしいお住まいで暮らしが可能になりました。
宝飾品
故秩父宮妃殿下は、遺言で、宮邸と一緒にティアラなどの宝飾品も秋篠宮妃に残されたと思われるのですが、ティアラもネックレスも、美智子と雅子ががめ、指輪は久子が横取りしたようです。
ナルちゃんを差し置いて、法皇と会談した秋篠宮ご夫妻。
話を戻します。