ネットの地図|太田竜の系譜と革命家の残党

小室圭と婚約した眞子様はニセモノ




公開されている写真から、大正天皇ご夫妻には影武者らしき存在が確認できる。影武者制度は、皇統をまもるため有事の時に備えるための制度だったと思われるが、戦後、代理人である影武者たちの暴走が止まらない。

①勝手に活動を行いそれを公務として報道している、➁勝手に影武者が婚約会見を行い皇族の配偶者を決めた、③偽物が愛子さまになりすまして女性天皇になろうとしている。
公開映像、画像などオープンソースを中心に検証しています。


※影武者制度、タブーなど、皇室記事一覧

※最近の皇室記事一覧

※続きです。

太田竜(おおた りゅう)

陰謀論の翻訳者であり活動家として有名な人でしたが、もともとは左翼活動家であり、東アジア反日武装戦線に影響を与えたそうです。この人の履歴が、誰かさんたちと被るんですよね。

太田竜 wiki

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E7%94%B0%E7%AB%9C

太田 龍(太田 竜、おおた りゅう、1930年8月16日 – 2009年5月19日)は、日本の革命思想家である。

本名、栗原 登一(くりはら とういち)。 樺太 豊原町出身。東京理科大学中退。

元日本革命的共産主義者同盟(第四インターナショナル日本支部)委員長。

(中略)

若い頃からの座右の書は法華経と古事記。

(中略)

1974年に三菱重工爆破事件などの連続企業爆破事件を起こした東アジア反日武装戦線に思想的影響を与えた。

wikiをざっと読みましたが、活動家ではあるが、思想家ではなさそう。翻訳する才能能力に恵まれ、多くの陰謀系の本を翻訳して功績を残されました。ただ、うわっと沸き起こるムーブメントに食いつき同化しては離れて「次」へ行く、というのを繰り返してきたようです。そのため、氏は、共産主義→革命思想→陰謀論→エコロジーと、いろいろな活動を転々としながらも、結局は、思想やネタは他人の借り物であり、自分の頭で考えることはしなかった人のように見えますね。

例えば、陰謀論の本を書いておられますが、

「(wikiより)イルミナティの走狗としてフルフォードの他に中丸薫・安部芳裕・副島隆彦・鬼塚英昭の5人を挙げて攻撃していた」

しかし、本のタイトルを見るに、どう考えても鬼塚史観のパクリっぽいんですけどね。それに、フルフォードさんと対談したりして取り入った後、フルフォードさんを「イルミナティの走狗」として攻撃してたわけですね。

盛り上がり勢いのあるジャンルに食いつき同化し、第一人者に取り入って、しこたまネタを取り込んだ後は、本家顔をする。そして、かつての粘着相手を攻撃。結党するも内ゲバして分裂。「次」へ移る。ほかの流派と合流しては分裂を繰り返す。そんな感じです。

アネザイチカや、みもり達と似てるのがびっくりですね。

あいつらは、太田氏の残党なのかな。

 

太田龍氏 ざっくりまとめると

マルクス時代 結党→分裂を繰り返す

共産党の医師の家系として生まれ、次男はマルクス主義者として逮捕歴あり。

1944年 父母の郷里である千葉県に引き上げる。熱心な共産党思想の学生だった。

1945年10月 日本青年共産同盟に加入、

1947年 日本共産党党員になる。

1953年 離党

1957年 革命的共産主義同盟を結成

1958年 第4インターナショナル第五回大会に出席、帰国後、革共同の全面的な社会党への「加入戦術」の採用を提起するも、拒否され、東京学芸大学と日比谷高校のグループを引き連れて分裂する。

1958年08月 「トロツキスト同志会」(トロ同)を結成。トロ同は全組織を挙げて、日本社会党の地区組織に「加入戦術」を行う。

1958年12月 トロツキスト同志会は「国際主義共産党」(ICP)に発展解消した。

1960年6月 安保闘争の大高揚に直面。太田は6月22日に突如、独断で「大衆は武装蜂起せよ」と呼びかけるビラをたった一人で御茶ノ水駅頭にて配布。この独断専行によって、太田はICPから除名。

1963年、しかし、なおも「加入戦術」を続行したICPグループに再び「指導者」として迎え入れられた。

1964年 「関西派」と称された西京司、酒井与七らの革命的共産主義者同盟と統一

1965年 太田が組織決定を経ずして指導した「5.18闘争」が不発に終わった。責任を追及された太田は少数の支持グループを率いて脱党。

革命活動時代 脱マルクス→チェゲバラ信奉者、

その後、「第四インターナショナル(ボルシェビキ・レーニン主義派)」(BL派)とその大衆組織である「武装蜂起準備委員会-プロレタリア軍団」を結成。

次第にマルクス主義そのものとの決別を開始し1971年に脱党。同党から死刑宣告される。

同年頃より竹中労・平岡正明らと3バカゲバリスタ(チェ・ゲバラ信奉者)と呼ばれる仲になり「世界革命浪人」と自称する。

1974年に三菱重工爆破事件などの連続企業爆破事件を起こした東アジア反日武装戦線に思想的影響を与えた。

公安警察は太田を東アジア反日武装戦線のメンバーとして捜査していたが、太田の潔白が証明された。

「公安警察は太田の思想的人脈のどこかにメンバーがいると推理し、芋づる式に東アジア反日武装戦線のグループ全体が把握されていった」

環境保護論活動 「グリーンピース」を承諾なしに名乗る

国際環境保護団体グリーンピースの日本事務所「グリーンピース・ジャパン(GPJ)」の設立(1989年)より前に、一時期「グリーンピース(の日本支部)」を名乗った。週刊誌などにもその肩書きで登場したことがあったが、設立前であったため、許可を得て名乗っていたわけではなく、また主張する内容も環境保護運動など、グリーンピースの主張とは全く関係なかった。

政治活動 政党を作る→分裂→落選ばかり

太田は日本みどりの党と言う名の環境政党を結成させたが、党内で路線対立が生じた。

新たに日本みどりの連合を結成させて党は二つの政治団体に分裂。

後に「みどりといのちのネットワーク」として再統合。

1986年の第14回参議院選挙、1987年の東京都知事選挙、1990年の第39回総選挙でも落選。

1992年参院選でも候補を擁立(自らは立候補せず)するも落選。

1993年の第40回総選挙では、雑民党公認で本名の栗原登一で東京5区から立候補するも落選。以降は選挙に立候補しなくなった。

エコロジスト活動 土着革命論

「人類独裁の打倒によるゴキブリの解放・ネズミの解放・ミミズの解放を!」(『日本エコロジスト宣言』)と種差別撤廃を訴える「エコロジー主義」などを主張した。

「天寿学会」「文明批判学会」「歴史修正研究所」「宇宙戦略研究所」主宰、「地球維新連盟」会長、日本動物実験廃止協会役員を称していた。

陰謀論者活動 

1993年、戦前に活動し解散に追い込まれた「国際政経学会」の生き残りと知り合い、半年のユダヤ陰謀説の勉強の後、陰謀論に目覚めたという。

晩年はユダヤ陰謀説というよりも、フリーメーソンなどの組織を陰謀の主体と考える傾向が強まっていた。

ベンジャミンとの関係

ベンジャミン・フルフォードのことは高く評価しており共著を出した。が、のちに、フルフォードがデイビッド・アイクを批判したことがきっかけで仲違いした。

イルミナティの走狗としてフルフォードの他に中丸薫・安部芳裕・副島隆彦・鬼塚英昭の5人を挙げて攻撃していた。

国際政経学会

国際政経学会の最後の継承者を宣言し、陰謀論者に転向した後は太田 龍の表記を用い、『週刊日本新聞』編輯主幹をつとめた。なお、「転向後」は白老町長襲撃事件の実行犯に対して、自分とは関係ないことを表明している

その思想の三本柱

➀陰謀論

➁国粋主義、伝統主義、靖国神社に参拝していた。

③自然食、家畜制度の全廃

基本的に独学の人

一日16時間近く勉強していた。一日に一冊、英語の洋書を読むほどの英語力を持っていた。 ジョン・コールマン、ユースタス・マリンズ、デイビッド・アイクなどの著書を数多く翻訳している。

しかし、慣性の法則を知らなかった?

一方、著書『UFO原理と宇宙文明』では、「恒星や惑星を動かしている莫大なエネルギーはどこから出て来るのか。地球のどこを調べても、べつに、ロケット燃料がついているわけでもなく、ジェットエンジンや、プロペラがついているわけでもない。(中略)UFOをつくり、運行している異星人は、この天体運行のエネルギーを発見し、それを応用している、と考えられないか」と述べており、と学会の『トンデモ本の世界』では「太田は慣性の法則を理解していないのではないか」と指摘されている[5]。

自然食、家畜制度全廃を主張

父親が医師であったことや、目を悪くしたときに東洋医学で治療したことなどから、東洋医学や自然食にも関心を持っていた。

また家畜制度全廃を主張していた。

最晩年

最晩年は岡潔の思想研究に没頭した。

太田当人は「私のことを主張が転々としている、と言う者がいるが、私は一貫して『反米』なのだ」と語っていた。

以上

 

太田氏の履歴からは、「何か成し遂げる偉大な人になりたい」といいう気持ちは行動として現れているのですが、「なにがしたいのか」がみえてこないんですよね。

太田氏の謎

ご結婚はされなかったのかな。奥様とお子さんの記載は、wikiにはないですね。

「wiki 国粋主義、伝統主義、靖国神社に参拝していた」

とありますが、靖国は国のために戦った人たちを祀る神社ですが、明治維新の志士を祀るために建てられた神社ですよね。「明治維新は、イルミナティの陰謀」なのに??参拝してたの??

 登一(とういち)という名前

「登一(とういち)」変わった名前ですね。この組み合わせの漢字、そしてこの表音の名前は、日本人は考えませんね。帰化人っぽいですね。

「天皇筋」「低能筋」と、おかしな単語を創作して平然と掲示板に書き込んでいたアネザイチカ一派にもいえますが、漢字の組み合わせが不自然な場合は、やはり、外人か帰化人か、在住して日が浅い在日を含めた外人さんでしょう。

中国人の場合は、中国人としてのプライドがあるので、あまり日本名にはしないと聞いています。

ちなみに、俳優の高倉健さんは、本名を剛一というそうですが、この組み合わせも、表音の名前も、日本人は子供につける人はいないでしょう。高倉健さんは、朝鮮系だったといわれています。

成功する芸能人に朝鮮系の方は多いですし、高倉さんが、何系であても名優であることは変わりません。しかし、高倉さんは、しょっちゅう、北朝鮮にも入国していたという噂もあります。「工作員だったのか??」。仮にそうだとして、「日本側の工作員だったのか?あるいは朝鮮側だったのか??」そこが気になるところです。

自称「反米」

「wikiより 太田当人は「私のことを主張が転々としている、と言う者がいるが、私は一貫して『反米』なのだ」と語っていた」

『反米』ではなく、『自分』の思想を持たなかった人なのかな。そんな風に見えますね。

太田氏は、東アジア反日武装戦線のテロが問題化した時、別の件で警察に自首しました。もともと公安にマークされていた人でした。東アジア反日武装戦線のテロが問題になった時、確実に、自分が疑われると思ったのかもしれません。

自首した太田氏は、取り調べの最中は、黙秘し、腕組みをして、にやにや笑っていたそうです。

氏の自宅を家宅捜査したら、たしかに「腹腹時計」は見つかりましたが、「腹腹時計」に付箋をはり、ここがおかしいと線を引いたあとはあったものの、結局、証拠となるものがなかったので、起訴は見送られます。

東アジア反日武装戦線

「wikiより 公安警察は太田の思想的人脈のどこかにメンバーがいると推理し、芋づる式にのグループ全体が把握されていった」

つまり、太田氏の思想的人脈を探っていくことで、東アジア反日武装戦線の輪郭を掌握したということですよね。

ここで疑惑がわきます。

・太田氏が黙秘したため立証できなかっただけで、黒幕だったのでは??

・もしかして、証拠隠滅した後で自首したのでは?

・証拠を残さないようにして、左翼テロリストに育つ資質のある若者に、風船をふくらませるようにして、思想やノウハウを吹き込みつづけて「大きく育てた」のかも、、

とか、勘ぐる人がでてきてもおかしくないでしょう。

太田氏は、そんな、疑いを持たれても仕方のない、陰謀論家というより、陰謀家といったほうがピッタリくる履歴でした。

死去されていますが、残党とかはまだ残って活動とかしてそう。

今現在、陰謀論系のサイトは数多くありますが、そのなかに「革命活動家」の残党がいるのかもしれませんね。

気を付けたいものです。

 

また、皇室や政治ネタに戻りたいと思います。

ときどき取り上げないと、あの人たちは、勘違いして勝利宣言してホルホルしてあちこちに迷惑をかけるので、定期的に「ネットの地図」は書いていきたいと思います。

 

ニセモノが天皇に即位?