転載|ジャニーズ危機と反社の影② 後藤忠政とオウム真理教村井刺殺事件との関連

小室圭と婚約した眞子様はニセモノ




公開されている写真から、大正天皇ご夫妻には影武者らしき存在が確認できる。影武者制度は、皇統をまもるため有事の時に備えるための制度だったと思われるが、戦後、代理人である影武者たちの暴走が止まらない。

①勝手に活動を行いそれを公務として報道している、➁勝手に影武者が婚約会見を行い皇族の配偶者を決めた、③偽物が愛子さまになりすまして女性天皇になろうとしている。
公開映像、画像などオープンソースを中心に検証しています。


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≪徐佑行の「単独犯」ではなく、後藤組組長・後藤忠政の「刺殺命令」だと思われる。≫

*写真は後藤忠政

オウム事件の捜査に関わった小山金七は富士宮市の後藤組所有の土地の購入の世話役は村井秀夫だったと証言している。

被害者の村井が毒劇物の生産や一連のオウム真理教事件の中核を担う立場だった。村井は、富士宮市の後藤組所有の土地を購入し、サリンを含む毒劇物の生産責任者であり、

施設の一部第7サティアンでは、「麻薬」を製造しているという噂があった。

画像は後藤組からの麻薬の委託製造を受けていたとされる第7サティアンの化学工場

だとしたら、生産した「麻薬」は、後藤組に売却していた可能性が高い。

後藤忠政は、「村井逮捕後の自白」でこの事実が漏れることを恐れ徐に命じ口封じしたのだろう。

画像は村井刺殺事件と犯人で暴力団組員の在日韓国人の徐佑行

他の幹部、上祐、青山らも、村井と後藤組との関係を知っていただろうが、目の前で、村井が刺殺されたのを見れば、

恐怖で口をつぐまざるを得ない。「しゃべったらお前もこうなるんだぞ」と言う後藤の暗黙の脅しだ。

 

≪二転三転する徐の証言≫

裁判当初は、「組の若頭」の指示でやったと自供していたが、信憑性が無く若頭は無罪に。

すると「オウムに対する義憤でやった」と主張を変更。

★本当に義憤なら、グルの麻原を狙うはずだ。

 

≪徐出所後の、各評論家たちの態度豹変≫

徐の服役中は、上祐は「オウムの内部犯行説」小林よしのりは「徐の主張に矛盾を感じていた」

しかし、2007年、徐が出所すると、徐と対談した上祐以下各評論家は態度を豹変させ「義憤単独犯行説」に同調し始める。

在日韓国人、徐の凶暴性と、バックの山口組直系武闘派経済ヤクザの後藤忠政の影におびえたのではないだろうか?

殺害犯の徐は実行犯となる前は数千万円の借金を抱えていたが、網走刑務所に収監されていた10年間、誰かが代わりに借金をすべて返済し

出所した徐には、一戸建ての自宅とフィリピン人の新妻が用意されていたという。

その「誰か」とは後藤忠政であり、出所後の二人の異様な親密ぶりから推察するとプレゼントは村井刺殺の「成功報酬」だったと見るのが自然だろう。

★後藤組と言えば、長い事池田創価学会の「暴力装置」だったことは有名である。

画像は「後藤除籍」の理由となった新潮報道 糾弾された芸能人の中に現在維新から出馬して議員になっている中条きよしがいる(怒)

後藤は「病気」を理由に山口組定例会を欠席しながら、後藤の誕生日を祝って開いたゴルフコンペを開催し細川たかし、小林旭、角川博、松原のぶえ、中条きよし、須之内美帆子、益子梨恵らが参加していたことがばれて2008年10月、山口組は後藤を除籍し、引退させた。

解散した後藤組の残党の良知会、藤友会は、現在、いわくつき「芸能事務所」「バーニング」周辺でしのぎを行っているそうだ。

 

 

2009年4月8日、神奈川県伊勢原市の天台宗の寺院・無常山浄発願寺で得度、法名・忠叡を名乗る。

「得度」は飽くまでも「在家出家」であり、本当に反省したかどうか疑わしい。

後藤にとっては当時、裁判が進行中だった「真珠宮ビル事件(地上げトラブルによる管理人の殺害)」で裁判官の印象をよくするための計算ずくだとも言われている。

2011年には新章「東日本大震災と日本人」を加えて文庫化。この文庫版の印税でボランティア組織を設立し、福島第一原子力発電所事故で陸の孤島と化した地域へ支援物質を運搬した。この支援活動には村井秀夫刺殺事件の実行犯だった徐裕行が副代表として参加している。

ニセモノが天皇に即位?