悠仁さまご成年式は「令和7年3月以降」
民法が改正されたため、悠仁さまから皇族は18歳でご成年
皇族の場合、ご成年後から皇族としての公務が始まるわけですが、愛子さままでは、20歳で成年会見をしてましたね。民法が改正されたため、皇族の成年の定義も一般国民のように2年早まり18歳となりました。
03/29 産経 悠仁さまご成年式は「令和7年3月以降」 大学進学準備で、側近トップが見通し
秋篠宮ご一家のご活動を支える宮内庁の吉田尚正・皇嗣職大夫は29日の定例記者会見で、今年9月6日に18歳の成年を迎えられる秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまの成年式について、大学進学に向けた準備などを考慮し、高校卒業後の令和7年3月以降に行う見通しを改めて示した。(中略)
宮内庁は昨年12月に示した令和6年度予算案に成年式関連費用を盛り込んでいた。
※https://www.sankei.com/article/20240329-WHUIS5HLPBOSHBSJN6IUG65UDM/
以上
とにかく儀式が多いのでお受験が終わってからということになったらしい
宮内庁HPより
親王殿下は本年9月6日がご誕辰であり、民法上の成年を迎えられます。親王殿下は、令和4(2022)年に民法で成年年齢が20歳から18歳とされてから成年を迎えられる初めての皇族となります。
男性皇族がご成年を迎えられると、成年式を執り行うのが皇室の慣例になっています。いままで成年式は、多くの場合、成年を迎えられた日に行われてきました。
例えば、礼宮(現秋篠宮皇嗣)殿下が20歳になられたときは、成年式の前には、宮中での重要な儀式に向けた習礼(しゅらい)や記者会見、当日は賢所(かしこどころ)皇霊殿神殿に謁するの儀や朝見の儀などが行われ、その後には祝賀行事があり、また、神宮や陵(みささぎ)を参拝されました。
これら全てを行うには多くの時間を要することになります。今まで成年式を行われた皇族は大学ご在学中でいらっしゃいましたが、親王殿下には、高校3年生として学校生活を送りつつ、進学に向けての勉学に励まれる大切な時期になります。
こうしたことから、親王殿下には、高校生活を締めくくる年を有意義に過ごしていただき、その上で、高校ご卒業(令和7(2025)年3月)以降の適切な時期に成年式を執り行っていただきたいと考えております。
以上
こちらは、史上最強の皇嗣職大夫・吉田尚正氏
・2022年7月 、御用掛に吉田尚正元警視総監が就任。秋篠宮家を担当
・首相と同じ広島出身
・公安から刑事までこなすオールラウンドプレーヤーで、あの「工藤会壊滅を指揮」
・天皇側近より格上の人物が秋篠宮家に配属された。秋篠宮家に焦点を当てた人事になった
・2024年2月 、御用掛から宮内庁御用掛皇嗣職大夫に
維新以前から存在してた皇族の代理人制度を悪用した、英米工作員による皇族背乗りに加え、亡命した真子さまとは別に、眞子様の戸籍を背乗りした正体不明の女が存在すること。小室夫妻は、創価学会と英米の工作員であるばかりではなく、「実在しない」というややこしさ。亡命中の本物の皇族との調整に加え、宮中は創価工作員が幅を利かせ「愛子立太子」のバーチャルクーデターを準備中。
工藤会討伐とは違ったむつかしさがあると思う。
神風のひとつかもしれない
後から考えると、神風は吹いてたんやなあ、というケースもあります。ルーズベルトの死がそれで、生存してたらドイツの様に日本は分断されて統治されていたかもしれない。
日本ではよくあることなのですが、成立するまではもめにもめますが、後から考えると、これでよかった、となることが多いんですね。
例えば、明仁天皇の生前退位。
英米を背景に雅子側が起こして、Ciaの安倍が特別国会で「改元」を固めてしまったバーチャルクーデターなんですが、これによって、秋篠宮様のお立場が皇嗣親王に一歩前進しました。親王と皇嗣では全然違う。立皇嗣の儀もおこない、次期天皇としてのお立場が固まり、愛子立太子がつぶれたのです。
2年は大きいと思う
大阪夏の陣の3年前に加藤清正が死去し、3年後に徳川家康が死去してます。豊臣秀頼(二代目)は、家康と戦うのは、3年早く、3年遅かったといわれています。
悠仁さまから、ご成年が2年早くなったわけですが、この2年は大きいと思う。成年の年齢を2歳下げたときは、反対も多かったのですが、これも神風の一つかもしれない。改元した場合、即、立太子できるし、立太子の儀をしてお立場と認識を固めることが出来ますから。
伏見氏によると2026年くらいまでに改元だそうで、ホロスコープでも今年が、主要な皇族に改元っぽいチャートを作ってます。
英米も解体しそうやし、神風は吹いてると思うで。
関係ない話
中庭に野生のうさぎが住み着きました。静かに見守りましょう