本日もお越しいただきありがとうございます。
高円宮絢子さんと守谷慧氏との婚儀がおわり、絢子さんは一般国民の守谷絢子になられましたが、、、
複数いる絢子さんの謎
複数いる守谷氏の謎
骨格が違う
歯のカーブも違う
亡くなったはずの母上の謎
明治神宮挙式に参加しているご婦人が、亡くなったはずの守谷氏の母上に酷似しているのは、なぜだろう、ご親戚の方なのだろうか。
ショボすぎる披露宴にあたる晩餐会の謎
見栄っ張りの久子さんの三女の披露宴をかねた晩さん会にしてはショボすぎる晩餐会の会場と規模
コメント欄より
「山崎伊〇江美容室」ですが、正に私も長年通っている美容院です。
典子さんの晩餐会の時も2代目山崎伊〇江さんがヘアメイクされてましたよ!
私の担当者が言うには、久子さん(「さま」と言いたくない)は、ヘアケア施術のためにここの支店によく来ているそうで、その縁で娘たちは弱酸性の施術はしていないが、ヘアセットだけは、させてもらっている、と言ってました。
10月下旬には一般人やプレスの入れない絢子さんの結婚前のパーティーがあって、私の担当者は、承子さん担当だったそうです。そこで、「承子さん、スリムでしたか?それともたくましかったですか?」と突っ込んでしまいましたが…。(笑)
以上
後日、プレス&一般人禁止のパーティーがあったとのリーク。本番は、こちらのパーティだったのではないのか。
本物の絢子夫妻が出席し、キリスト教のお寺さんがよばれ、キリスト教式の婚儀をしたのではないのか。
など、疑惑と、謎の多い縁組でした。
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そして寺田倉庫
オーナー夫人寺田氏
高円宮絢子さんと結婚した守谷慧氏の故母上とともに、NPO「国境なき子供たち」の会長を務める寺田氏は、寺田倉庫のオーナー社長夫人。
偽物と思われる守谷氏と絢子さんの結婚を、祝福していますが、、、
国境のないこどもたち沿革
開始 (2003年に国際医療援助NGOからの完全独立後「友情のレポーター」と改称)
(略)
2014年
- 12月 東京都知事より、認定NPO法人としての認定通知を受ける
- 12月 イラク、クルド人自治区にて国内避難民支援に関する調査活動を実施
- 07月 ミャンマー、カレン州にて少数民族帰還民の青少年に対する学校修復支援開始
- 03月 ヨルダン、北部にてシリア難民青少年に対する学校教育強化支援開始
- 03月 パキスタン、アーザード・ジャンムー・カシミール(AJK)地域にて、2005年の大地震の影響を受けた校舎の再建を開始
2015年
- 10月 ミャンマー、エヤワディ地域にて洪水で被災した学校への緊急支援を開始(同年12月終了)
- 04月 イラク、クルド人自治区にて国内避難民支援を開始
2016年 ※守谷氏の母上が6月にタイで死去
- 01月 バングラデシュ、インフォーマルセクターでの労働環境改善支援を開始
2017年
- 09月 KnK設立20周年を迎える
09月のKnK設立20周年パーティーの写真が加工だらけという謎
光源がおかしい、影のでかたがバラバラ、、、
白く切り抜いたあと、筒のようなお二人の腕、、、
詳細はこちらから
その寺田倉庫ですが、社長さんが、たいそう面白い人だそうで、、、、、
代表取締役の中野善壽氏
週間現代|稼いだカネは全部寄付、家も車も持たない…寺田倉庫社長の変な人生
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57447
わずか7年で会社を激変させた
東京・天王洲アイルの風景が一変している。散歩道のある運河には水上ラウンジを併設するレストランも整備され、街中はアート作品がずらりと並ぶ。
茫漠とした倉庫街は、洒落たアートの街へ変貌を遂げた。再開発を主導したのは、「寺田倉庫」という倉庫会社だ。
「日本のアートコレクターで、寺田倉庫を知らない人はいませんね。ファッションECサイトを運営するスタートトゥデイの前澤友作社長が、現代アートの巨匠、バスキアの作品を123億円で落札したことが少し前に話題になりました。この作品が預けられているのが寺田倉庫と言われています。
他にも、世界の富豪たちがコレクションする時価数十億円クラスのアートの数々が、この倉庫で大切に保管されている」(都内の画廊経営者)
アートだけではない。ソムリエの厳重な管理のもと、フランス・ボルドーの5大シャトーをはじめ数百万円クラスの高級ワインの数々が倉庫に眠る。
同社は戦後間もない’50年に創業された。当初は食料品を預かる一般的な倉庫業だったが、機能を「プレミアム倉庫」に特化させ、ファッショナブルなビジネスに変貌したのは、わずか7年前のこと。主導したのは代表取締役の中野善壽氏(73歳)である。
転載ここまで
代表取締役の中野善壽氏について、ざっくりまとめると
・何も持たない「ミニマリスト」、
・家も車も腕時計も持たない。ワインを手がけるのに、酒も飲まない。もちろんタバコも吸わない。
・蓄財にも興味がなく、稼いだカネは必要最低限を残して、ほとんどを寄付してしまう。
・椅子のない机の前に立ったまま、今日も執務を続けている。
・創業家である前会長(現オーナー)の寺田保信氏に請われて、2011年に社長に就任した。
・既存の倉庫業を続けているだけでは未来がない。寺田氏には息子がおり、将来の経営者としてバトンを繋ぐために、事業再編を中野氏に託したた。
・台湾に住み、週2回だけ飛行機で日本に戻り、天王洲の本社に出勤する。
・世界中のアーティストから「パトロン」といわれる中野氏の名は、物流関係者やアート関係者の間で広く知られる。
・社長に就任してまず手を付けたのは、大規模なリストラを決行。
・メイン事業のほとんどから撤退し、700億円あった売上高を100億円まで激減させた。
・1000人いた社員を、100人に削減。中野さんの就任当時にいた社員は、いま10名も残っていない。
・売上高100億円を常にキープしたいと公言。それを超えたら事業を売却する
・アートやワインの保管のほかに、ネット上で自分の預けたものを管理できる「ミニクラ」という貸しトランクルーム事業を推進するとこれがヒット。収益構造を安定させた。
記事の続きです
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57447?page=3
中野氏の人脈は台湾にとどまらず、中国、シンガポールの富裕層とも太いパイプを持っている。
「酒は飲まないけど、ワインの価値についてはよく理解しているし、富裕層がなぜアートを求めるのかもよく知っている。彼が美術品を預かる商売を始めたのも、その価値をしっかり保存する意味を知っているから。
このビジネスはいま、特に華僑に受けています。富豪たちがアートを資産の一部にするのは、政情がいつ変化してもおかしくない大陸に生きる華僑の、長期的な生存戦略の一つでもある。だからより安全な日本の倉庫に保存を依頼するのです」(同)
以上
この名物社長の中野氏が、社長に就任したのが7年前、といえば、311のあった年ですね。
中野氏と関連はありませんが、守谷氏の母上が亡くなったのが、2015年、3年前。
弊団体 専務理事の守谷季美枝(もりや きみえ)は、2015年6月下旬よりカンボジアへ出張しておりましたが、去る7月4日(土)に搬送先のタイ王国バンコク市バンコク病院にて56歳で急逝いたしました。
通夜および葬儀につきましては、ご遺族のご意向でバンコク市内ワット・アルン寺院にて執り行われましたことをご報告いたします。
ここに生前のご厚誼を深く感謝いたしますと共に、謹んでお知らせ申しあげます。
私ども一同、大変な驚きと悲しみの中におりますが、1997年の団体創立時から守谷が情熱を注いできた途上国の子どもたちへの教育支援を引き継いでいく所存です。(引用元:公式サイト)
以上
守谷夫人は、カンボジアで倒れ、タイに搬送、現地で荼毘に付し、現地で葬儀をしたらしい。
荼毘にするのはしかたないとして、葬儀も現地でというのは珍しいですね。
この場合、本当に、ご本人が、なくなったのかどうかを証明するのは、難しいかもしれません。
話が、戻りますが、、、
守谷氏と絢子さんとの結婚式に参列している夫妻が、妙に、守谷氏の父上と故守谷夫人に似ている不思議
ああ、不思議
続きます。