恩赦55万人、即位の礼とパレードは決行(中)
恩赦55万人、即位の礼とパレードは決行(上)からの続きです。
天皇即位における恩赦のこと
平成の天皇即位パレード。美智子が中心。美智子の即位式のよう。
明治時代以降の恩赦 wikiより
天皇の崩御・即位など皇室に慶事・弔事があった時や、1952年のサンフランシスコ講和条約締結時、1953年の日本国憲法公布時など、国家的に大きな出来事のあった年に行われてきた。
ざっくりまとめると
明治時代の恩赦
1889年(明治22年)の大日本帝国憲法発布(明治22年)、
1897年(明治30年)の英照皇太后崩御
※明治天皇の生母なんですが、この方のお墓には、明治以後の皇族は参らないそうです。つまり、関係のない人なのではないのかと鬼塚氏は書かれてました。
大正時代の恩赦
※今回は譲位するので例外ですが、天皇崩御と新天皇即位はセットでしたね。
1912年(大正元年)明治天皇崩御、
1914年(大正3年)昭憲皇太后崩御、
1915年(大正4年)大正天皇即位、
1919年(大正8年)裕仁親王成年式、
1920年(大正9年)李王世子李垠・梨本宮方子女王成婚、
1924年(大正13年)裕仁親王成婚、
1925年(大正14年)普通選挙法公布の際
1924年(大正13年)関東大震災時の混乱の際の犯罪に対する特別基準恩赦が行われた。
昭和
第二次世界大戦前
恩赦は1927年(昭和2年)の大正天皇崩御、
1928年(昭和3年)の昭和天皇即位、
1934年(昭和9年)の明仁親王誕生、
1938年(昭和13年)の大日本憲法発布五十周年祝典、
1940年(昭和15年)の紀元二千六百年祝典、
1942年(昭和17年)の第二次世界大戦戦勝第一次祝賀
戦後
1945年(昭和20年)の第二次大戦終局、
1946年(昭和21年)の日本国憲法公布、
1952年(昭和27年)の平和条約(サンフランシスコ講和条約)発効
同年、皇太子(明仁親王/上皇)立太子礼、
1956年(昭和31年)の国連(国際連合)加盟、
1959年(昭和34年)の皇太子成婚、
1968年(昭和43年)の明治百年、
1972年(昭和47年)の沖縄復帰の際
1947年(昭和22年)には、太平洋戦争終結の恩赦及び日本国憲法公布の恩赦における減刑令の修正が行われた。
平成
1989年(昭和64年/平成元年)
昭和天皇崩御の際には、過去数件行われた死刑囚への恩赦(特別減刑)は行われなかった。
同年2月13日、政府は大赦令及び復権令を公布。特別基準恩赦の内容を公表。大喪の当日である同月24日から実施。
こ戦後の恩赦は、「法律変更などによる量刑不均衡の是正のための救済」や「社会的影響のないレベルの罪や社会復帰後に何ら問題を起こしていない人に対しての復権」が中心となっている。
1993年 皇太子(徳仁親王/今上天皇)成婚
保護観察所による保護観察の執行の免除16人と復権が、「保護観察で更生した」として推薦された64人に対して行われた。
2016年の恩赦は、刑の執行の免除が5人、復権が24人、2017年の恩赦は、刑の執行の免除が1人、復権が22人である。
2019年、令和即位の礼、55万人規模の恩赦が与えられる予定
※恩赦55万人、即位の礼とパレードは決行(下)へ続きます。