無限拡散|東アジア反日武装戦線の残党ブロガー⑤
出所した加藤三郎と「みもり」の接点
《加藤三郎:ネットを駆使して、ブログをやっている元爆弾テロリストさえいる(怒)》
加藤三郎・・・wikiより
1948年7月25日 – )は、日本のテロリストで日本の新左翼の元活動家。神社本庁爆破事件など数多くの反日武装闘争という名の爆弾テロを実行した
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反日思想との出会い
1970年頃から、朴慶植の『朝鮮人強制連行の記録』や太田龍の『辺境最深部に向かって退却せよ』を読んだことで、「日本帝国主義の悪行」を知り、「犯罪民族・日本人」の「罪深さ」を痛感し、過激な反日主義思想を培っていった。同時期、北海道で自生している麻を発見、マリファナを精製して活動資金を捻出しようとしたが、名古屋の地下街で大麻所持の現行犯により逮捕され、そのときに太田龍の著書を持っていたことから、自身が「反日主義者」であることが警察に露見した。
1974年8月30日、三菱重工爆破事件が起きると、加藤は事件を起こした東アジア反日武装戦線の刊行物『腹腹時計』を読み、彼らの反日闘争に強い影響を受けた。やがて加藤は「武装闘争」という名のテロ行為に手を染めることになる。
《加藤三郎:「死刑」を回避するため計算づくで「死傷者」を出さなかったのか、単に要領が悪かったのか評価の別れるテロリスト》
非合法活動の開始
手始めに、坂上田村麻呂の墓や明治天皇の関連施設にペンキで落書き(加藤の表現によれば「ペンキゲリラ闘争」)をすることにした。坂上田村麻呂は「桓武期の蝦夷侵略軍の総大将」、明治天皇は「アイヌモシリを侵略した天皇」というのが攻撃の理由であった。1975年5月に決行し、新聞社にも犯行声明の電話をかけたが、結局報道されることはなかった。
続いて1976年1月6日には平安神宮放火事件も起こしたが、この事件もほとんど報道されなかった。
加藤は「反天皇制闘争」を黙殺して葬り去ろうとする「天皇制日本国家の陰謀」と思い込み、ますます敵対意識を強めることになった。そして爆弾テロを起こすに至った。
《加藤三郎:「犯行声明」を「イタズラ電話」扱いされ、プライドを気づつけられた加藤、爆弾テロを決意》
加藤が起こした爆弾テロ事件は以下の通りである。様々な組織名があるが、全て加藤の単独犯行である。
一連のテロ事件は多くの負傷者を出したが、死者は出ていない。
1976年1月6日 – 平安神宮放火事件
1977年1月1日 – 梨木神社爆破事件
1977年2月21日 – 東急観光爆破事件
1977年5月2日 – 東大法文1号館爆破事件
1977年6月30日 – 三井アルミ社長宅爆破事件
1977年10月27日 – 神社本庁爆破事件
1977年11月2日 – 東本願寺爆破事件
《加藤三郎:「黄金爆弾(糞尿爆弾)」大作戦》
1 「犯行声明」を出しても相手にされない加藤は奮起して「大プロジェクト」を企画
2 「くそ~今に見ていろ僕だって」
3 糞尿爆弾を作成
4 誤爆
5 糞尿まみれになり心に深い傷を負う
【必殺黄金爆弾】
加藤は、1978年の正月三箇日に明治神宮で糞尿を飛び散らせる「黄金爆弾」の製造に取り掛かっていたが、1978年1月1日に潜伏先のアパートで誤爆してしまった。糞尿を飛び散らせることを目的とした爆弾であったため威力が小さく軽傷ですんだが、加藤自身は糞尿まみれとなってしまい、加藤の心の方は深い傷を負った。
逮捕後一・二審とも懲役18年の判決が下った。
加藤は2002年12月に刑務所を出所し、現在は岐阜県内で自給自足の生活を送っている。
《加藤三郎:ブログもやっている(怒)》
ブログ 行く道、帰り道、悲しみの道から、感謝を生きる共生の道へ
https://ameblo.jp/soyokazetanpopo3618/entry-12150262279.html
プロフィール欄に現住所を記載
プロフィール欄
お住まいの地域:
岐阜県
自己紹介:
岐阜県加茂郡七宗町神渕10568-1
とご丁寧に書いている。
早速、地図で確認すると
《「腹腹時計」みもりが、加藤の住所のすぐ近くまで行っていた》
夢の宮~開運のツボ~
2017年7月21日 22時11分更新の記事 タイトル 皇族の手相Vol4 文仁親王の手相
コメ欄
5. みもり
2017/07/22 00:24
(略)さて、最近夫と子供と一緒に「世界の淡水魚水族館 アクア・トト岐阜」に行ってきました。こちらには、入り口に金のナマズの展示がされているのですが、金のナマズさん、岩陰に隠れて、微笑んでいらっしゃいましたよ。夏には最高のスポットですので、お時間のあるときに、ぜひ足を運んでみてくださいね。
「アクア・トト岐阜」という水族館は、住所は岐阜県各務原市川島笠田というところだが、加藤三郎の住所とは、遠くない、車で行けば、1時間もかからないだろう。
前回の記事で、長野県の諏訪市在住設定(極めて怪しい)の「腹腹時計」のみもりが、自動車とは言え、あんなに遠くて、全国的な知名度も高くない岐阜県の水族館に行くこと自体が不自然だと指摘した。
しかし、それが、加藤三郎の家に「生活資金」を届けるか、または、加藤と水族館で落ち合って、周囲には観光客と思わせて、「密談」したと考えると辻褄は合う。
加藤は表示している岐阜県の山中で「自給自足」の生活を送っていると書いてある。
確かに、それは可能だ。
近所の畑を借りて、野菜類を栽培する。コメは近所の農家から分けてもらう。
タンパク質は、渓流で川魚を釣ればよい。
しかし、それで「生命の維持」はできても「貨幣」は生まれない。
それにもかかわらず、この男は、FX(外貨売買)までやっている。
東アジア反日武装戦線の、警察、公安のマークから漏れた人物、または「公然支援者」から、「現金援助」を受けていると考えるのが自然だろう。
「腹腹時計」みもりが「他人名義の偽造パスポート」で入出国を繰り返して、資金援助と「工作指示」を出していてもおかしくないのだ(怒)