読者様からのコメントを再掲載します。
コメント欄より
でれでれ様
拙コメを記事にしていただきありがとうございました。
私も、今の所確実に男系男子を固持して旧皇族の男子の復帰に前向きなのは安倍さんだけなので、当面安倍さん支持で行くしかないと思っています。
たぶん私たちの知らない所で色々交渉があって、悠仁さまが人質にされているので言い分が通らなくて、気に入らない政策もやらされているのかもしれませんし・・・。
(そうであって欲しいです。)
名前の話はすごく興味深かったです。
大河ドラマでも、直「虎」、「龍」雲丸、井伊直政の幼名は「虎」「松」です。ドンピシャですね。
以下は妄想ですが、私は本物の秋篠宮家ご一家は佳子様までの4名で、悠仁様は愛子様同様試験管ベビーだったのではないかと思っています。
1.ちょっとチャラくて斜視の宮様と背の高い紀子様(本物)
2.まじめに公務をするよくできた白髪の宮様と紀子様(偽物)
3.口ひげが半分の影の薄い宮様と中国人っぽい紀子様グループ(偽物)
の三段階説を支持していますが、ダヤンさんの言うようにタビストックが宮内庁とS価の双方から替え玉を請け負ったとすると、
1→2は宮内庁、2→3はS価だと思います。
もともと1の宮様は、さんざんミチコに嫌がらせされていたし、あんまり皇籍に未練がなかったような気がします。
でも皇籍を離脱して若い皇位継承者がナルだけになると、旧皇族の皇籍復帰が叫ばれるようになって困る。
一方で、小和田やマタ子のの魔の手が幼い眞子様・佳子様にまで及びそう出し、このままでは命も危険。で、宮内庁と相談してすり替わった。
このすり替えはアキ・ミチも承認して、1の宮様もしっかり引継ぎをしてうまくいった。
かたや小泉・小和田一派は皇室財産乗っ取りのために着々と女性天皇擁立を進める。
反対勢力がそれを防ぐために、あのタイミングで試験管ベビーで悠仁さまをつくり、2の偽者紀子様に着床させて生ませた。
小泉氏が国会で「紀子さまご懐妊」の一報を聞いた時、たぶんすぐ試験管ベビーだとピンと来て、男に決まってるからあっさり女性天皇擁立を凍結させたと思います。
問題は、悠仁さまの生物学的父と母は誰か?
試験管ベビーなら、夫婦とか関係なく、どんな男女の組み合わせでもできる訳です。
私はこの計画を進めたのは安倍さんだと思っていますが、もし安倍さんが愛国者なら、おそらく悠仁様は旧皇族の男系男子から提供された精子で作られたのではないでしょうか?
そうすれば、皇族の血統を正すこともできるし、法律的には秋篠宮さまの血統ですから、秘密資金の継承者としても問題なし。
数々の吉兆を考えると、悠仁さまが即位すればすべてうまくいくはずだったと思います。
ところがS価+北朝鮮が311に悠人様を拉致。
そして秋篠宮家が2→3にすり替わった・・・。
安倍さんにしてみれば自分の計画でこの世に生を受けた幼子が、拉致されて北朝鮮でひどい目にあっているかもしれないとなれば
もうこれは拉致問題「命」でやるしかないでしょう。(人道的な面からも国体保持の面からも秘密資金の面からも。)
この妄想通りなら、1の本物秋篠宮家4名はどこかでご無事と思われます。
ただ気になるのは、山路さんが「明治天皇の血脈」でないと権利がないと書いていたこと。
もし明治帝すり替え説に立った場合、日本は権利者ではなくなってしまうのでしょうか?
日本の将来を思うと、それも困りますよね・・・。
全部私の妄想で終わればいいのですが・・・。
コメント欄より
宮内庁にある秋篠宮様ご略歴
昭和63年 学習院大学法学部政治学科ご卒業
↓
昭和63年~平成2年 英国オックスフォード大学大学院動物学科にてご修学
平成8年 理学博士(国立総合研究大学院大学)
矢印の所に無理を感じるのはワタシだけでしょうか。
もしかして、黒髪の家禽研究の方が留学の主体だったとか?
やがて「お逃げ」になるために下準備が既に始まっていたとか。
確かに怪しくないのは、常陸宮様だけとなったようですね・・・
常陸宮様ご学歴など・・宮内庁HP
昭和33年 学習院大学理学部化学科ご卒業
これはすんなりと理解できます。
昭和44年~平成13年1月 (財)癌研究会癌研究所客員研究員
今夜はこの辺で。
2006年の悠仁様誕生前にご準備されたのでは?
皇子が誕生すると本格的に家族全員が危ないと考えられてもおかしくないともいます。
・・・・・・以下はWIKIより・・・
秋篠宮様名誉学位
× 鯰 ↑家禽
ו1995年(平成7年)9月、タイ・カセートサート大学から名誉博士号(水産生物学)、ブーラパー大学から名誉博士号(理学)授与。
ו1999年(平成11年)、タイ・コンケン大学から名誉博士号(水産学)授与。
↑•2001年(平成13年)8月、タイ・シーナカリンウィロート大学から名誉博士号(理学)、チュラーロンコーン大学から名誉博士号(理学)授与。
・・理由・・このあとにラオスに鳥類研究に行かれています
↑•2003年(平成15年)8月、タイ・ウボンラーチャタニー大学から名誉博士号授与。
ו2007年(平成19年)3月、タイ・キングモンクット工科大学から名誉博士号(水産学)授与。
以下の2件は不明・・
•2011年(平成23年)3月、タイ・カセートサート大学から名誉博士号、チェンマイ大学から名誉博士号授与。
•2012年(平成24年)11月、タイ・タンマサート大学ランシット校から名誉博士号(農業技術)授与。
シロートですけど、普通研究って、一つのモノとか同分野方面でやりますよね。
鯰と家禽って、違います。
明らかに別人だと思います。
しかし、ご両名ともタイに関わっておられる。
はてさて。
鯰ご一家も家禽ご一家も今上の血をひいてはおられるのかも。
ただ、だれがお産みになったか?なのか・・・・
それとも、それぞれ血が違うのか?
父が違うのか、母が違うのか。
☆ 秋篠宮様 タイ(あるいは近隣国)への訪問歴
タイは♥ 近隣は◆ 何だかな・・・?怪しいお立ち寄りがある
♥1989 7月16日から8月18日 オックスフォード留学中・・魚類調査
?1990 4月10日から25日 ケニア・ マダガスカル・・ここは複数回訪問
1990 6/29 川嶋紀子嬢と結婚
1991 10月眞子内親王誕生
♥1992 9月13日から28日 魚類研究
♥11月5日より11月24日 スリランカ、パキスタン、インドとの国交樹立40周年 タイ、シリキット王妃の還暦式典紀子妃同行
◆1994 8月4日から14日 インドネシア 鳥類調査研究
12月 佳子内親王誕生
♥1995 9月16日から22日 タイ 紀子妃同行
カセートサート大学・プーラパー大学 名誉学位授与式の出席
10月 オーストラリア
※1996年 家禽の研究で博士号
◆1997 2月26日より3月7日 紀子妃同行 ネパール・ブータン
◆1998 8月3日より8月14日 中国 紀子妃同行 鳥類研究
? 9月25日から10月8日 アルゼンチン 紀子妃同行(ドイツお立ち寄り)※ 南米でドイツお立ち寄りのパターン
♥1999 6月27日から7月8日 ベトナム・ラオス・タイ 招待 紀子妃同行
? 10月ドイツ招待
2001 ?5月 オランダ結婚式招待
◆6月21日から28日 カンボジア 紀子妃同行
♥8月2日より5日 シーナカリンウイロート大・チュラーロンコーン大名誉学位授与式 紀子妃同行
◆8月5日より16日 ラオス 鳥類研究
*愛子内親王誕生
2002 モンゴル
?10月 オランダ 葬儀出席
2003 ♥8月7日より21日 ウボンラーチャニー大学学位式。シリキット王妃72歳祝い、家禽類研究のため
◆9月27日から10月7日 トンガ・サモア、フィジー
12月 湯浅長官、第三子をの発言
2004 ?3月オランダ ユリアナさんの葬儀
堤家没落へ
清子内親王婚約へ
2005 ?ルクセンブルグ 葬儀出席
♥8月17日から8月24日タイ 家禽類の日タイ共同調査研究(シリントーン王女)
2006 ?10月30日より11月7日 パラグアイ(フランス・チリ・ニュージーランド立ち寄り)
9月6日悠仁親王誕生
2007 ♥3月14日から3月23日 タイ 私的訪問
♥8月13日から25日 マダガスカル 私的訪問
眞子内親王と タイ立ち寄り
2008 ◆1月18日より25日 紀子妃同行 インドネシア インドネシア友好年で招待
2009 ?5月10日から23日 オーストラリア・ブルガリア・ハンガリー・ルーマニア
紀子妃同行 日本ドナウ交流年2009
2010 ◆3月23日から28日 ラオス(タイ立ち寄りが中止になったはず)
・・・・・・・・・・・・・
2011年以降はワタクシ的には「変わられた」と(妄想ではありますが)思っているので区切ります。
後は前に書いたモノへと続きます。
こう見ていくと、ほとんど毎年のようにタイへ行かれていますね。
国王が「我が子のよう」と言われるのもわかる気がします。
それと2005年の家禽プロジェクトは、王女様との共同研究。
実は、これが本格的に身を隠すプロジェクトではなかったか?と思います。
鯰ご一家と家禽ご一家。
家禽ご一家はできのいい方々で、妄想ですが、シリントーン王女も知っておられると思います。
2011年以降も、訪問されていますよね。
以上
ありがとうございました。
本物の秋篠宮ご一家の亡命先は、タイじゃないでしょうか。
タイ王室は、世界でも3本の指に入るほど裕福な王家ですから、SPか傭兵をつけて保護し、ご一家を援助するくらいは朝飯前だと思います。ナルの即位式には、王族を派遣せず、首相夫妻をよこしました。専制君主的な色を残しているタイ王室は、ロックなところがあるのかも。