秋篠宮家の影武者@コメント欄より 山階宮と秋篠宮様のおもかげ

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本日もお越しいただきありがとうございます。

ふたたび秀逸なコメントをいただきましたのでご紹介させていただきます。

コメント欄より

単純に、そんなに早くから家禽(ニワトリ)の研究されているのなら、、と
山階鳥類研究所からの連想で。。

総裁は2009年から秋篠宮様なので、今更ながらのベタなのですが、
私の感覚では、なんとなく白髪の宮様に眼差しが似ている‥‥。

山階宮菊麿王の写真↓
http://omugio.exblog.jp/iv/detail/?s=16304277&i=201306%2F28%2F92%2Fa0287992_3123541.jpg

 

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その山階宮菊麿王の叔父さん、
小松宮彰仁親王↓
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9D%BE%E5%AE%AE%E5%BD%B0%E4%BB%81%E8%A6%AA%E7%8E%8B

私の中では、、です。

また、山階宮菊麿王の父親で、小松宮彰仁親王の兄、
山階宮晃親王↓
http://omugio.exblog.jp/iv/detail/?s=16304277&i=201306%2F28%2F92%2Fa0287992_3121818.jpg
不機嫌そうなお顔ですが、への字口が、なんとなく黒髪の宮様っぽい感じ。。
あくまでも、私の目にはです。

山階宮菊麿王は、学究肌で、気象研究所を筑波に作られたそうです。35歳と若く薨去されてますが、死因が書いてありません。
直接ではない、他の皇族の縁談話の中から推察すると、肺病であったようです。
この方の息子さん(親王?)も30代・20代と早世されてます。

山階鳥類研究所は、山階宮菊麿王の第二王子
山階芳麿氏(戦後皇籍離脱)が開設されたそうです。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E9%9A%8E%E8%8A%B3%E9%BA%BF

 

山階 芳麿

(やましな よしまろ、1900年(明治33年)7月5日 – 1989年(平成元年)1月28日)は、日本の元皇族。旧名、芳麿王。山階宮菊麿王と同妃範子(先妻)の第二王子。

山階鳥類研究所の創設者。階級は陸軍中尉。位階勲等は正三位勲一等。爵位は侯爵。学位は理学博士(北海道帝国大学)。生前に受けた栄誉及び表彰歴としては第1級ゴールデンアーク勲章受勲及びジャン・デラクール賞受賞などがある

 

親子揃って学究肌の様です。
因みに、菊麿王の御子様は6人、上3人と下3人で母親が違い、下3人は少し不出来だったそうです。芳麿氏は前妻のお子様です。

実は、山階鳥類研究所を検索しましたら、2代目所長の欄に
旧福岡藩の黒田家の名前があったものですから、
黒田長久氏です。山階芳麿氏とも縁戚関係になります。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E7%94%B0%E9%95%B7%E4%B9%85

黒田 長久(くろだ ながひさ、1916年11月23日 – 2009年2月26日)は日本の鳥類学者、軍人、外務官僚。

侯爵で鳥類学者だった黒田長礼の長男。母は閑院宮載仁親王二女・茂子女王。妻は侯爵、海軍中将の醍醐忠重の娘、和子。黒田長政から数えて福岡黒田家15代目の当主である。今上天皇ははとこに当たる。同じ鳥類学者である山階芳麿は義理の従兄弟でもある。父と同じく日本鳥学会会長を務めた。

1900年(明治33年)7月5日、皇族・山階宮菊麿王の第2子として東京市麹町区に誕生した。昭和天皇とは実母(範子妃)、香淳皇后とは継母(常子妃)を通じての従兄にあたる。生家は敷地が約5500坪。幼い頃から鳥に興味を持ち、6歳の誕生日に一つがいのオシドリの剥製を贈られる。

1907年(明治40年):学習院初等科入学。学習院中等科のとき、明治天皇からの沙汰により陸軍中央幼年学校予科に入る。陸軍中央幼年学校本科、陸軍士官学校(33期)を経て陸軍少尉に任官。砲兵将校となる。

1920年(大正9年):7月5日に叙勲、勲一等旭日桐花大綬章受章。皇室の内規に従って臣籍降下を願い出て、7月20日の皇族会議で認められる。7月24日、大正天皇から山階の家名と侯爵の爵位を与えられ、従四位に叙せられる。陸軍砲兵中尉となるが、動物学研究の望みを断ち難く、軍を退役する。

1925年(大正14年)4月21日:伯爵酒井忠道(旧小浜藩)次女・寿賀子(すがこ)と結婚。1929年(昭和4年)4月:東京帝国大学(のちの東京大学)理学部動物学科選科(のちの大学院)に入学(講座主任は谷津直秀教授、担当は田中茂穂助教授(魚類学))、2年にわたって動物学の基礎を学ぶ。1931年(昭和6年)3月:東京帝国大学理学部動物学科選科修了。

1932年(昭和7年):山階鳥類研究所の前身である山階家鳥類標本館を設立した(同研究所については後述)。1939年(昭和14年):北海道帝国大学(のちの北海道大学)教授小熊捍(おぐま・まもる)の指導を受け、鳥類の雑種における不妊性の研究に取り組む。1942年(昭和17年):「鳥類雑種の不妊性に関する論文」によって北海道大学から理学博士号を授与された。1946年(昭和21年)5月12日、貴族院議員を辞職[1]。間もなく公職追放となる[2]。

その後、鳥類の染色体の研究に取り組み、1947年(昭和22年)に鳥類の分類に染色体による分類法を導入して、国内外から高い評価を得た。1949年(昭和24年)、関連論文の集大成『細胞学に基づく動物の分類』を上梓し、1950年(昭和25年)に日本遺伝学賞を受賞した。戦後のタンパク質不足から、文部省から「ニワトリの増殖」について研究委託を受け、多産で肉質がよいニワトリの品種改良にも取り組んだ。その他、バリケンとアヒルの雑種ドバンの増殖研究にも力を入れた。鳥類の保護にも大きな熱意を注ぎ、日本鳥学会会頭、日本鳥類保護連盟会長、国際鳥類保護会議副会長、同アジア部会長等を歴任した。

1966年(昭和41年)、紫綬褒章受章。1977年(昭和52年)、鳥学の世界のノーベル賞とも言われるジャン・デラクール賞を受賞。1978年(昭和53年)、「世界の生物保護に功績があった」としてオランダ王室から第1級ゴールデンアーク勲章を受章した。

1989年(平成元年)1月28日、88歳で逝去した。

 

 

黒田清子さん、のご主人の黒田氏と遠縁でも血縁関係があるのか存知ませんが、
清子さんご本人も鳥類がお好きだったのかもしれませんが、山階鳥類研究所に非常勤勤務されてたのは、
やはりレールが敷かれてたのかな??とか思いました。

と、横道にそれましたが、

秋篠宮様には、もしかして、山階宮様系のお血筋が入ってるのではないかなぁ‥‥と言う妄想です。

斜視の宮様は、徳仁さんが英国留学から帰られた後、
「兄は、留学から帰ってきてから人が変わった」と言われた方だと思うのですが、
この方も、ちゃんと家族愛をもってらっしゃった方だと思います。

皇族方のお写真にも、斜視っぽいものがありますね。

この方も、皇統の血筋だと思います。

山階宮様とゆかりがあるかもと想定して、
山階宮菊麿王は筑波と関連が深い。
悠仁様も筑波大付属に進学しようか云々ありました。

唐突ですが、、
私のヤマ勘では、筑波当たりに隠されていらっしゃるのでは‥‥なんて思います。

でれでれ草様が記事に書かれた様に、
黒髪の宮様になっても、美智子さんにとって、
秋篠宮様はご自分の手駒では無いようですので。

妄想ですが、、希望はあると思います。

以上

 

ありがとうございました。

 

ペンギンにはこえられない

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2 件のコメント

  • 目と唇の位置は三者とも同一のようなんですが、耳の位置や目の形他、比べてみると違っていますね。鼻はほとんど同じに見えます。三卵性の三つ子、といわれても納得するレベルです。

    けれど、性格というのか人格の違いは顕著ですね。年齢が行くにつれ、内面や経験、見識や品格が顔や姿勢、立ち居振る舞いにも現れてくるようです。蓄積によるものというのか、心身の使い方がハードウェア化するというのか…。

    クローンや托卵だけでなく、バイオテクノロジーを使った遺伝子操作やキメラといった可能性まで感じられるのは、気の回しすぎでしょうか?

    • 3人の宮さまは、頭蓋骨の大きさや黒目の距離が違うんですね。骨格身長もちがいますし。普通に別人かなとおもいます。

      昭和天皇に人工授精でつくった息子がいるという話がかかれてました。
      試験管に入れた天皇の精子を選ばれた4人の貴婦人に注入し、そして生まれた息子がいると。
      この隠れた親王は、結局認知もされず悲惨な環境でなくなるのですが、それをスクープした出版社がエライ目にあったとこをみるとほんと臭いんですね。
      試験管ベビーやクローン以外にも公開されていない技術を駆使していてもおかしくないと思います。

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