転載|霊的カニバリストへの道

他人になろうとする人、来世がない人
「自分を変えたい」
人生は選択の連続です。
「自分を変えたい」立派な発願だけど、分かれ道があると思う。
① 最高の自分になるため努力する人
② 自分以外の人間の誰か、他人になろうとする人
②は絶対失敗する。
そして、人間の不幸と地獄に行く罪の多くは、②の「他人になろうとしたこと」に起因してる気がする。
他人の人生・幸せ・運を盗む人・・
これは実話です。
昔、北海道に、因縁の差し替えができる霊能者がいました。
霊能者には重篤な病気を持った妻がいました。
この霊能者は妻の快癒のために神仏に祈るのではなく、健康な信者さんと妻の因縁の差し替えを行い妻を救い、次々と信者さんをコロシてきたらしい。
妻は因縁が重いらしく、治ってもまた病気になる。
そのたびに、信者さんを犠牲にする。
通報を受けた高位の霊能者が、件の霊能者の御霊体を一〇〇年間縛り霊力を封じる形で成敗しました。
ここからは管理人の実体験からの推測になりますが、似た能力を持つ霊能者がたぶん、某仏教系団体の界隈にいると思う。幸い、クライアントにはいなかったけど、似た例を知ってるんですね。
他人運を盗む人
2chのまとめサイトで、気になる書き込みがありました。
保存していなかったので、転載ができないのですが、だいたいこういう内容です。
派遣社員の独身女性の話
「自分は運が悪くて、一生懸命働いているのに正社員になれる話がつぶれた。友達は運が良くて、正社員で働き結婚しお子さんもいる云々」
書き手の方は、その友達に対して疑いもなく「いい人」だと好意を持っているのですが、運のいいトモダチに運を取られてるのではないかと、読み手が感じてしまう内容でした。
実は似た話があるのです。
お茶を飲みながら数人の女性と世間話をしていたのですが、才能がある美人さんが「自分には、とても親切にしてくれる友達がいる」という話をされました。
詳細は書けませんが、聞いていた参加者の全員が「運を取られてるんじゃないか?」と同じ印象を持ちました。
もう一つあります。
これも詳細は書けませんので暈して書きますが、
女性A:美人、義両親との関係はいい、健康
女性B:義両親との関係に悩んでいる、気管支喘息の発作持ち
AとBの基調が徐々に入れ替わったんですね。
AがBを問い詰めると「悪気はなかった」「祈ってた」と言ったそうです。
どこの宗派はか知りませんが、霊能者にけじめをつけてもらったそうです。
もちろん、先天の運と後天の努力で幸せな人生を送ってる方は多いです。運がいいこと=他人の運を盗んでいるわけではありません。
しかし、レアなケースがあるかもしれない、と思うことが散見されたんですね。
管理人自身も、似たケースに遭遇しているからです。
詳細は書きませんが、出会う時期や居住する地域、学校、職場、それぞれ全然違うのですが、某仏教系団体に所属してるのはわかってました。この人たちは、共通する行動をとるのです。その後、運が動くのです。もちろん偶然の可能性もあります。断定はできません。
友達味方のふりをして近づき、影では宗派の仲間と集まり嘲笑罵倒、そのくらいならまだ問題はありません。
しかし、仮に教団や霊能者の指導でまじないを使い、他人の運を吸い取りながら自己実現、受験、就職、結婚と目的達成しながら生きているとしたら正当性はあるでしょうか。
宗教とは、悪事に免罪を与えるものではないはずです。
霊的カニバリスト
管理人の遭遇したケースで、「どうしても償わなくてはならない罪」があり、そのために「偉大なことをしなくてはいけない」という理由で、霊能者を使い他人の運を盗み続けた凡庸な人がいました。しかし、他人の運を盗んでも中身は凡人なので大した功績は残せませんでしたね。
他人になりたい、何かを盗もう、依存しよう、利用しようと考える時点で凡人なのです。
・まじないをして運命を捻じ曲げ狂わせた罪、
・他人の運、人生、幸福、を奪った罪、
・努力せずに他人からかけがえのないものを盗み欲を満たす搾取の罪、
ダラダラ迷惑をかけながら生きて、賠償不能な天津罪(怠りの罪)が積みあがりました。
先天的に気を吸う力を持ち、意識的に「喰える人間」を探しながら生きてる人もいます。あるいは何かのトレーニングの結果その手の技能を身に着けて悪用する人も知ってます。
善人説で生きてる境界線の薄いPHOSフォスフォラスやPulsポステーラが餌食になります。
サイキックバンパイアと呼ばれてますが、管理人はこの手の人たちを霊的カニバリストと呼びたい。
天津罪・国津罪
罪には二種類あり、
・国津罪=他者や社会に対する罪、サツジン、セットウなど刑法民法で裁かれる罪
・天津罪=怠りの罪、搾取、怠慢、ジサツなど
天津罪の方が重いらしいです。
霊的な何かを使い、他人の運、人生、幸福、を奪いながら生きるのは、搾取と怠慢の最たるもので、他人から盗んだクレジットカードで豪遊し続ける人生よりたちが悪い究極の天津罪(怠りの罪)なのだけど、本人には罪悪感はないんですね。
山に入って山菜を摘むような感覚、社会競争に勝ち抜く手段の一つ、嫌いだし、悪い人だし、私はかわいそうな人だし、何が悪いの?と自己弁護しながら平気な顔で生きています。
普通に暮らしていれば、こういう生き方は思いつきもしないし、手段として知っていても選択し実行することはないのですが、こういう人たちはたいてい、家族も仲間も同じ宗教、同じ霊能者のドグマにどっぷり浸りエコーチェンバー状態なので判断ができなくなっています。
「来世がない=最終処分」二度と会わない人たち
人間はみな輪廻転生で永遠に生きる存在で、因と縁があれば来世でまたあうこともあるのだけど、この手の人たちとは二度と会うことはないでしょう。
その人たちには「来世がない」から。
人間は一人一人が天命(テーマと消化するべき課題)をもって生まれてきます。神仏のご加護と自己研鑽が十字に組んで御霊を磨き進歩向上していくのです。
各自、天命をもって生まれてきているのに、それを放棄したからです。他人の天命の邪魔をしたことも許されることではありません。神が与えてくれた自分の人生を放棄し愛さなかっただけではなく、一人の運命が狂うと、連動してその人の縁のある人たちの運命も狂います。
「ごめんな」で済む話ではありません。
そういう人は、「最終処分」になるでしょうね。
「最終処分」とは
※漫画「強制霊媒師 斎」小林薫(ぶんか社)より転載


人間の御霊は丈夫にできてるので溶けるのに時間がかかるらしいですね。
法則を超えるということは、輪廻の法則や救済から除外されるということ
わが国には、何度病気になってもけがをしても生き続ける不死身の元日本国首相がいます。カルト票で生き延びてきた人です。
海外のグローバルな大富豪たちには、あきらかにサタニストで悪業を山のように積んできたのに、生涯健康で長寿を全うした方々も多い。
これらの人たちは、現世での出世や願望実現のために魔術や霊術をつかい法則を捻じ曲げ乱用した結果、最後には天に見放されたのだと思います。
森羅万象、因果応報の法則の世界から外れたから、悪行を積んでも決裁されず、寿命が来ても人生が終わらず、乗り物である肉体が機能しなくなるまで生き続るのだと思う。
そして、法則から外れるということは輪廻転生の法則からも外れたということでもあります。来世はないでしょう。
こういう人たちは、かかわるとめんどくさいので、呪い返しをした後は放置しておきましょう。
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