小和田家のルーツ新潟村上市で地震発生①

小室圭と婚約した眞子様はニセモノ




公開されている写真から、大正天皇ご夫妻には影武者らしき存在が確認できる。影武者制度は、皇統をまもるため有事の時に備えるための制度だったと思われるが、戦後、代理人である影武者たちの暴走が止まらない。

①勝手に活動を行いそれを公務として報道している、➁勝手に影武者が婚約会見を行い皇族の配偶者を決めた、③偽物が愛子さまになりすまして女性天皇になろうとしている。
公開映像、画像などオープンソースを中心に検証しています。


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W選をうたれたら、公明=創価はオワコン。なもんで、ヤケクソになった創価をはじめ、在日+同和+宮内庁の創価朝鮮閥+朝鮮系+人民解放運+マスコミが、愛子天皇実現のために最後の勝負に出ています。この状況で、小和田のルーツで、新潟で地震が発生しましたね。

「雅子さま」の父方小和田家のルーツ新潟村上市で地震発生

06月18日|新潟県で震度6強 8000戸超停電、微弱な津波を観測

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO46273510Y9A610C1CC1000/

「原発に異常なし」官房長官

18日午後10時22分ごろ、新潟県村上市で震度6強を観測する地震があった。気象庁によると、震源は山形県沖で震源の深さは14キロ。地震の規模はマグニチュード(M)6.7と推定される。山形県と新潟県で少なくとも7人がけがをしたほか、両県で8千戸超が停電している。

安倍晋三首相は被害状況を早急に把握し、対策に全力を挙げるよう指示した。

気象庁は新潟、山形、石川各県の沿岸に津波注意報を発令。新潟市で10センチの津波を観測した。

以上

幸いにして死者はでませんでしたね。

しかし、時期が時期だけに、気になりますね。

 

雅子の父方|小和田家|朝鮮人が勝手に村上藩士の末だと勝手に名乗っているだけ

形式上は、小和田家の出身地で本籍地、とされているところですね。

しかし、小和田家の家系は3代先までさかのぼることができません。

新潟にいたころ、小和田家は、「よど号」のハイジャック犯人の家とは、隣同士だったとか。半島からの密入国者が住みつく街だったのではないのでしょうか。

小和田恒

1932年(昭和7年)、新潟県北蒲原郡新発田町(現:新発田市)に生まれる。

本籍地は新潟県村上市。

小和田恒の石碑

「ご生誕の地」だそうな。

「小和田 生誕の地 石碑」の画像検索結果

※こういうセンスが、日本人ばなれしています。

小和田家は、村上藩の藩士の子孫を名乗っていますが、実は、朝鮮系だろうといわれています。

「小和田雅子 コリアン」の画像検索結果

北朝鮮の木船が、新潟に漂着した事件がありました。海流の関係で、北朝鮮から船をだすと、新潟にたどり着くケースが多いのでしょう。おそらくは、密航者が、新潟の被差別民を背中乗りし、段階を得て村上藩士を名乗るようになったと思われます。

実際、本家とされている方々は、あんな人たちしらない、と言っていますしね。

小和田匡利(道蔵)が12歳で長男をつくり、14歳の時次男金吉を作ったと考えたらつじつまが合う

あるホームページから  syutuji.htm

※奇妙な写真ですね。サングラスをしたままのお寺さん、だれも数珠を持っていない。

村上藩士小和田家

・江戸時代、山屋家は代々俸禄二人扶持の下級藩士であったてことでこれはこれで間違いではないけれど俸禄二人扶持は厳密に言うと武士ではない.。

・扶持取りは原則非戦闘員なので戦の時は雑用係。平時は中間か小者だったはず。

・壬申戸籍(明治5年制定・昭和43年に封印)には「士族」ではなく「卒族」となっているはず。

 

小和田金吉(宮内庁が隠蔽する小和田家の歴史)

・まず、小和田新九郎と小和田新六匡安と小和田匡春(道助)(1858年64歳で死亡)が、兄弟であることには間違いない。

・新六の息子が小和田郡蔵。匡春(道助)の息子が勝治であることも間違いない。

・勝治の弟が兵五郎であることも間違いなし。

・小和田兵五郎の息子が小和田匡利(道蔵)であることも間違いないのである。

さて、問題はその先、小和田匡利(道蔵)の3男となっている小和田金吉。こいつがクセものである。

 

小和田雅子ー恒ー金吉ー毅夫ー金吉ー匡利(道蔵)

・雅子様の父が小和田恒。祖父が毅夫。曽祖父が小和田金吉。

この金吉、1867年生まれのあたりの人になるが、この人の代に村上を離れ新潟に移住した。

・だが、この人が村上を離れた年もわからない。村上にいるとき何してた人かもわからない。(足軽ということになっている)

・どうも金吉の父は小和田匡利(道蔵)となっているがそうではないらしい。

宮内庁が隠蔽してるのはこの金吉の父の名前がわからないということと、半島出身という点らしい。

小和田匡利(道蔵)が12歳で長男をつくり、14歳の時次男金吉を作ったと考えたらつじつまが合う

※1868年時点で(もし生きていたら)

・小和田匡春(道助)(1858年64歳で死亡) 74歳

・匡春(道助)の次男 勝治        48歳?

・勝治の弟兵五郎(5男として)      42歳?

・小和田兵五郎の息子(3男)が匡利(道蔵)15歳?

・匡利(道蔵)の次男金吉         1才

金吉の戸籍がないのは明治30年代に金吉が死亡し(若死)、死亡から80年たって雅子様が嫁いだ頃戸籍は処分されたからではなくて、初めから存在しなかった。

(明治19年式戸籍ならどんな役所でも取り寄せ可能だし、19年式戸籍を廃棄している自治体はほとんどない。)

以上

ざっくりまとめると

・村上藩に所属していた小和田家は存在する。が、2人扶持だと、武士ともいえないし、士族とは言えない。

・雅子の曽祖父「金吉」が新潟にくるまでの履歴が、一切不明。何者なのか、何をしていたのかがさかのぼれない。

・小和田匡利(道蔵)が12歳で長男をつくり、14歳の時次男金吉を作ったと考えたらつじつまが合う

・「金吉」が、小和田家の戸籍を、勝手に拝借しているとしか考えられない。

・「金吉」は、どこから来た、何者なのか。

重いので分けます。

 

 

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