美智子皇后の真実⑥
母としての美智子様「新しい皇室をつくる」子育て
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1965年(昭和40年)11月30日、第二男子礼宮文仁親王誕生。
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1969年(昭和44年)4月18日、第一女子紀宮清子内親王誕生。
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苦労の多い美智子妃にとって、唯一の娘である紀宮の存在は大きな心の支えとなったとされる。1977年(昭和52年)から10年間は、毎年2人で陵墓・史跡訪問を含む小旅行を行なっていた。
旅行中は、母子別の部屋に宿泊 一緒にいるのは撮影時のみ
無題 Name 名無し 15/11/28(土)23:14 id:Fya8fBek No.1462966
週に2回だったけ?
ケチの美智子がお金がかかるって、毎日風呂にも入れてくれなかったんだよ。
体操があった後の日は悲惨だったそうだね。
サーヤを語ると、必ずコメに書かれていたのが、耳垢と臭い髪の毛と近視と、
消しゴムもめったに買ってくれなかったという事と、
幼稚園児が持つような籐のカゴしか持っていなかった(買ってくれなかった)ので、
小学校の高学年時代も其れを使っていた。
美智子が内廷皇族の皇族費を一人で、衣装代として使いきっていたということ。
秋さんの新居がアレだったのも、サーヤの結婚式が延期されたのも、
ふくら雀が結べない、美智子のお古の着物と帯しか準備してもらえなかったのも、
美智子と今上が欧州旅行の準備で、散財したからみたいだね。時期が合致するんだよ。。。
無題 Name 名無し 15/11/29(日)04:50 id:qERIqwPs No.1463039
たった八日間の欧州旅行に、
美智子の衣装代が三千万円だったとか。
一回袖を通したものは、二度と着たくない、
生地も仕立ても織も最上級でないと我慢が出来ないんでしょう。
子どもの為に母親は我慢出来るもんですがね、
美智子は違う、鬼母、鬼姑だ。
(ここまで)
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清子さまが、時代遅れで、みすぼらしい身なりをさせられていたという証言は、結構たくさんありますね。
お兄様の御下がりのシャツをきせられている清子さま。
美智子様の「暖かい」ご家庭
※皇室の写真様よりお借りしています。
http://blog.livedoor.jp/royalfamily_picture/archives/1044999797.html
「家族で演奏会をしましょう。サーヤは楽譜をめくる係ね。アーヤは聴衆係よ」
(ここまで)
長男教の美智子さまの、子育て。
・徳仁さま=愛玩用
・文仁さま=搾取用
・清子さま=放置子のちに女官あつかい
皇室の「ご家庭が」一般市民化し、一般市民の機能不全の家庭のテンプレ通りになりました。
これが、明仁天皇が、皇太子時代にあこがれていた「暖かい家庭」でしょうか。
伝統をつぶしてまでも、手に入れる価値にあるものだったのでしょうか。
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これら子女の出産にあたり、皇室の慣習である宮中御産殿での出産や、乳母制度、傅育官制度を廃止した。
1984年(昭和59年)、銀婚式となる結婚25周年の会見で「夫婦としてお互いに何点を付けるか」との問いに対し、皇太子が「点数を付けることは出来ないが努力賞ということで」と答えたのを聞いて、美智子妃は「私も差し上げるのなら、お点ではなく感謝状を」と答え、同席していた記者たちからも感嘆の声があがった。
外国報道機関(10社)を代表して南ドイツ新聞のヒールシャー記者の質問
「ローマ法王との会見について、神道を家系とする天皇陛下はどんなご感想をお持ちか。また、カトリック系大学を卒業されている皇后陛下のご感想もお聞きしたい」
⇒「ごめんあそばせ」を連呼。智子は回答を断固として拒否。
居合わせた日本人記者「やっぱり美智子さんってこわいなあ」
家庭内実力者は美智子
さらに、明仁天皇は、皇太子時代より、何かきめるときは
「あちら(ミチコ)の人のいいように」
「あちら(ミチコ)の人は、どうおもっているの」
というので、美智子さまに聞かなければならないらしい。
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1986年(昭和61年)3月、子宮筋腫の手術を受ける。
このため同時期に予定されていた訪米は翌年に延期、訪韓は中止になった。手術の際も皇太子の公務の妨げとなることを好まず、中止の判断はぎりぎりまで下されなかった。退院の際、宮内庁病院玄関前で皇太子の胸に顔をうずめる姿がみられた。
カメラが回っていないところでは、、、
美智子様の韓国への愛
美智子さまの、 韓国に対する愛は留まるところを知らない。
生母の富美は、朝鮮系の大陸夫人ではと疑ってしまうくらいに深い。
油断すると、ファッションも、所作も、発言も、すべて韓国に帰一するのは不思議な話。
2015年09月15日
韓国への届かぬ思い25年!
本誌の取材にフィージンは、興奮気味に語った。
「美智子さまが握手してくださったのですが、ずっとずっと私の手を放そうとなさらなくて・・・。驚きましたが、とても光栄でした。手からは穏やかな、お母さんのようなぬくもりを感じました。」
’08年に共同通信が両陛下の側近に取材しています。
その側近は「(両陛下は)機会があれば(訪韓を)と思っておられるが・・・。
(韓国は)地図より遠い隣国になってしまった。
(訪韓を)夢のままで終わらせたくないが」と、語っています。
’05年6月に両陛下は太平洋戦争激戦地のサイパンを訪問された。
外務省関係者は明かす。
「サイパンご訪問で、両陛下は韓国人犠牲者の慰霊碑にも拝礼されました。
“突然ご訪問された”と公表されましたが、実は、
もともと両陛下は韓国人慰霊碑の拝礼を望んでいらしたのです。
しかし、騒ぎが大きくなることが懸念されて、事前には発表できなかったのです。」
マナーも朝鮮風
ファッションも朝鮮風
ほんとうに、変わったお方。
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晩年の昭和天皇一家の写真にて、美智子妃が腰を悪くしていた香淳皇后の体を支えている写真が複数公表されている。秩父宮妃とは共にマラソンを観戦した姿も目撃、報道された。また文仁親王・清子内親王は高松宮妃と関係が深く、孫のように可愛がられていたといわれる。
昭和天皇がお倒れになっていらい、国中が慎んでいたのに、明仁皇太子と美智子夫人は、軽井沢の知人の別荘で、大さわぎで遊んでいた証言があるのね。
美智子さんのピアノにあわせて、左翼の友達がダンスを踊って楽しんでたらしい。
この知人というのが、社会党の方で、左翼繋がり。
嬉々として、まってたのね。
昭和天皇が崩御されるのを。
実父、義父が、崩御されるのを。
左翼と一緒に、日本の敵といっしょになって、嬉々として。
無題 Name 名無し 16/08/02(火)22:28 id:l6AqxPMM No.1711034
>テニスコートでの恋を成就されただけに、天皇、皇后陛下のテニスの腕前はなかなかのものである。
だが、衆人環境の中でわざわざプレーされる必要があるのか、との疑問もわいてくる。
「国民と共にある皇室」を実践されていらっしゃるおつもりなのだろうが、
皇后陛下がショートスカートの裾をなびかせてラケットを振られるお姿を見守る人々の目は、必ずしも暖かいものではない。
… 無題 Name 名無し 16/08/02(火)22:29 id:l6AqxPMM No.1711035
>テニスといえば、御所内のコートでは毎日のようにお楽しみになられているが
先帝陛下が崩御され、さらに、皇后陛下のお妹様の大谷智子さまがお亡くなりになったときだった。
テニスは、宮内庁では遊びではなく表芸扱いなのだが、
このときばかりは庁内に服喪のためテニスを当分、控えるようにお達しが出された。
ところが、お三方だけが気になさられることなく、ふだん通りのテニスをされたことがある。
両陛下と皇太子殿下である。
(ここまで)