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信子妃・吉田茂・麻生家・白洲家の謎と疑惑の維新㉒コメント欄より「名前の法則」

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本日もお越しいただきありがとうございます。

皇室記事を書き出して以来、「あ、なるほと」と気づきをいただける、秀逸なコメントを多くいただいています。

この場を借りて御礼申し上げます。

鬼塚系の記事をまとめるときに転載させていただこうと思っていましたが、いつになるかわかりませんので、転載させていただきます。

怪しい方々の名前の法則

コメント欄より

>水平社の故・『松本治一郎』元委員長
>部落解放同盟中央本部 『上杉佐一朗』委員長

伏見様の記事や、でれでれ草様始め、皇室関係の情報をずっと追っていて気づいた事がありました。
多分、他の皆様もお感じかと思いますが、、、
(その時代の流行も勿論考えられますが、)
関係者のお名前に、○一郎・○太郎・○二郎・○三郎がとても多い様に感じます。
全てがそうだと言う訳ではありませんが、
雅子さんの祖父・江頭豊の父親も江頭安太朗。
美智子さんの父親は正田英三郎。
美智子さんの弟嫁の倉敷の実家は、大原孫三郎・大原総一朗。
政治家も橋本龍太郎・大二郎の兄弟。
石原慎太郎・石原裕次郎兄弟。
小泉純一郎・小泉孝太郎・小泉進次郎 親子。
立憲民主党の共同代表の玉木雄一郎。。。
気になる人の家系図を開くと、本当に多いのです。
そして、上記しました水平社や解放同盟の委員長も。
本当に、全てがそうだとは言いませんが、この名前の付け方には、何か暗号(サイン)があるのでは‥‥と思います。
在日同士が名前に使用する漢字ですぐわかる様に、部落同士でもすぐわかる、とか。
(それと、ちょっとズレますが、「竜」や「龍」の字を下の名前につけてる方達は、私は一応警戒してます。)

 

 

他に有名人いたかな‥‥と、考えてましたら、
古いところで作家・劇作家の川口松太郎氏を思い出し調べてみました。
大した期待もせずに開いたWikipediaに、下記の記述がありました。

(↓ウィキより参照。)
『親は誰だかわからず、戸籍では島岡春吉姉よね私生児川口竹次郎庶子認知入籍とされる[3]。貴族の落胤との説もあった[3]。養父の川口竹次郎は大酒飲みの左官職であった[3]。』(参照ここまで。)

明治32年生まれなのに、親が不明らしいです。
家族は、奥様に女優の三益愛子息子に俳優の川口浩・恒・厚の3人、娘は1人、晶。
さて、ここで、○一郎・○二郎問題の次に、「浩」の字が目にとまりました。
「浩」の字は、水を満々とたたえた様子、水がほとばしる様な勢い(転じて中国では洪水の表現にも使われました。)、
それを受けて豊かと言う意味もあるそうです。
浩宮様の命名の回に詳しくありますが。。
ちなみに、人名に「浩」を使えるようになったのは、1951年からなのですが、川口浩氏は1936年生まれです。
本当にたまたま浮かんだ名前を検索しただけなのに、
ヒントがいっぱいでした。

「浩」と「愛子」のお名前が並列に。
お時間があったら、川口浩氏のWikipediaを開いてみて下さい。 直木賞1号で映画会社大映の専務を務められ、お母様は国民的母親女優でしたのに、後半生の家族の不幸ぶり、短命ぶりが、何か父親の成功の代償かしら‥‥と思えるくらいです。

次に「浩」で連想。
里見浩太朗、石坂浩二、愛親覚羅浩(あいしんかくら・ひろ)、と脈絡なく浮かんだ名前ですが、
里見浩太朗は、山口組系芸能社「神戸芸能社」との関連が。。

そこには、美空ひばり、橋幸夫、山城新伍と並んで、高田浩吉の名前もあり、「浩」はその世界の方がよく使う漢字でもあった様です。
里見浩太朗もいろいろ発見があったのですが、(前妻が巳智子さんと言う名前、後妻が聖心女子大学とか)
一番は、愛親覚羅浩さんでした。
https://www.suginamigaku.org/2014/10/h-saga-hiro.html

記事のコピペが出来なかったのですが、
浩さんの生い立ちのところにある記述に目が点になりました。

嵯峨侯爵家のお生まれなのですが、
母方の祖父は醤油屋(ヒゲタ醤油)の実業家、
そして、彼女は長女なのですが、
弟・妹が生まれて親が忙しいとは言え、母方の実家、
祖父母から育てられていました。
同級生の談では、公家言葉等はご使用で無かったとの事。

普通、華族では○子と名づけられる場合が多かったと思いますが、「嵯峨浩(さが・ひろ)」って、モダンと言えばモダンですが、長女に付けるかしら??

愛親覚羅浩さんも、美智子さんと同じく、用意された女性なのかも‥‥と思った次第です。

もしかすると、マジシャンが仕込むタネの様に、あちこちにトランプの切り札を仕込む感じで子供を作ったり、養子縁組していて、結果的に「用意された」になっているのかもしれませんが。
美智子さんにあまりに状況が似ていてびっくり致しました。

雅子さん、美智子さんの、
家系図の名前を眺めているだけで、符号が浮かんできます。
そちらの方達が好む名前が見えてきますね。
○二郎・○三郎の後は、男子は一文字が多かったり、
安西家にも、符号に合う名前が多いです。
ただ、ちょっと残念なのは、、、
紀子様の家系図にもそれを見つけてしまう事です。

いつも長くなってすみません。
ただ、俯瞰で家系図を眺めていると、徳仁さんの「浩宮」の「浩」は、わかる人にはわかる暗号で、(部落系?)
雅子さんも、わかりやすい暗号なのかもしれません。
美智子さんが決まっていた様に、筋書きは決まっていたのだろうと、、思います。
女の子が生まれたら、「愛子」と決まっていて、
もしかすると、男子が生まれていたら
「厚」の字が使われていたのでは‥‥と想像致します。

 

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コメント欄より

でれでれ草様。ご返信有難うございます。
以前、津軽華子様の時に貼り付けた家系図サイトからです。
http://episode.kingendaikeizu.net/23.htm

嵯峨浩さんのページですが、母方の醤油屋業と、濱口家と茂木家キッコーマンとの合資会社等の記事の後に、
正田美智子さんのご実家、正田家の醤油業は、「キッコーマンの茂木家から指導を受けて始めた」とあります。

(こちらのサイトは文章のコピペ禁止なので、サイトを開いて読まれてみて下さい。)

嵯峨家は、味の素の鈴木家と閨閥関係にあります。
キッコーマン、味の素、日清製粉、、、、
アメリカ仕込みの、モンサントみたいな、と言ったら言い過ぎかもしれませんが、糧食財閥が出来あがりますね。
富の集中、そしてネットではよく言われてますが、
製菓メーカーに事件が相次いだ時に無傷だったロッテの怪しさの様に、上記のキッコーマン・味の素・日清製粉の不祥事はあまり聞きません。

さて、少し話題変わりまして、
美智子さんのお友達、緒方貞子さんの岳父で、元朝日新聞副社長、後に政治家になられた緒方竹虎氏。
http://keibatugaku.seesaa.net/article/438279444.html

父親の緒方道平の名前はありますが、どのサイトを見ても母親の名前がありません。
なかなか緒方竹虎氏の妻の名前がわからず、上記のサイトで見つけましたが、
妻コトは、神奈川県の原牧三の三女となってますが、
これまた母親の名前が無く、兄弟に長男 一太郎・次男 研二・三男 四十郎(←緒方貞子氏のご主人。)
とてつもなく怪しいのです。

そして、生きていれば首相候補であっただろうと言われる(心臓疾患による突然死。)緒方竹虎氏を偲ぶインタビューが、西日本銀行のサイトにありました。
答えるのは、元衆議院議員で、その後福岡市市長を昭和47年~昭和61年の長きにわたり務められた進藤一馬氏。
ただ、進藤一馬氏は、玄洋社社長であった過去(今回知ってびっくり!)があります。
インタビューの中ほどに、緒方竹虎氏は、歌も上手く、
一時期過ごされた静岡県の「ちゃっきり節」や、
「白頭山節」が上手であったとの事。
関西民謡に「白頭山節」が上がってましたが、ご存知でしたか?
http://kansai-uta.hateblo.jp/entry/2015/09/01/%E7%99%BD%E9%A0%AD%E5%B1%B1%E7%AF%80

もちろん、「白頭山節」の「白頭山」は、朝鮮半島の白頭山です。上記記事にもあります。
緒方竹虎氏は、CIAスパイ説濃厚な方でしたが、
戦前の東久邇宮内閣の時に、情報局の一本化を図ろうとしたが、
陸軍の抵抗にあい実現しなかったとの事。

福岡市で育ったのに、黒田節でも、博多祝い唄でもなく、
「白頭山節」を得意としていたって、、、?
緒方竹虎氏も、朝日新聞も、本当に真っ黒ですね。
犬養家と緒方家の閨閥として、緒方貞子氏がいるのですから、両家ともに非常に近いものがあるのだろうと思います。

またまた、家系図を調べてましたら、男性で「松」「竹」の字が名前にある方は、もらい子、或いは母親の出自が表に出せない可能性が多いと感じてます。
松竹梅の「梅」が無いのは、最下層から這い上がるのに、
松竹梅でも下ランクの「梅」の字は使いたく無かったのかな?と想像してます。
公卿・大名の習わしはわかりませんが、
長男などは、父親や祖父から一字もらったり、お寺の住職さんから名付けてもらうとか、、、が庶民の当たり前と思っておりました。

今回もだいぶ長文になり、失礼致しました。

以上

ありがとうございました。

 

癒されます

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6 件のコメント

  • でれでれ様

    拙コメを記事にしていただきありがとうございました。
    私も、今の所確実に男系男子を固持して旧皇族の男子の復帰に前向きなのは安倍さんだけなので、当面安倍さん支持で行くしかないと思っています。
    たぶん私たちの知らない所で色々交渉があって、悠仁さまが人質にされているので言い分が通らなくて、気に入らない政策もやらされているのかもしれませんし・・・。
    (そうであって欲しいです。)

    名前の話はすごく興味深かったです。
    大河ドラマでも、直「虎」、「龍」雲丸、井伊直政の幼名は「虎」「松」です。ドンピシャですね。

    以下は妄想ですが、私は本物の秋篠宮家ご一家は佳子様までの4名で、悠仁様は愛子様同様試験管ベビーだったのではないかと思っています。

    1.ちょっとチャラくて斜視の宮様と背の高い紀子様(本物)
    2.まじめに公務をするよくできた白髪の宮様と紀子様(偽物)
    3.口ひげが半分の影の薄い宮様と中国人っぽい紀子様グループ(偽物)

    の三段階説を支持していますが、ダヤンさんの言うようにタビストックが宮内庁とS価の双方から替え玉を請け負ったとすると、
    1→2は宮内庁、2→3はS価だと思います。

    もともと1の宮様は、さんざんミチコに嫌がらせされていたし、あんまり皇籍に未練がなかったような気がします。
    でも皇籍を離脱して若い皇位継承者がナルだけになると、旧皇族の皇籍復帰が叫ばれるようになって困る。
    一方で、小和田やマタ子のの魔の手が幼い眞子様・佳子様にまで及びそう出し、このままでは命も危険。で、宮内庁と相談してすり替わった。
    このすり替えはアキ・ミチも承認して、1の宮様もしっかり引継ぎをしてうまくいった。

    かたや小泉・小和田一派は皇室財産乗っ取りのために着々と女性天皇擁立を進める。
    反対勢力がそれを防ぐために、あのタイミングで試験管ベビーで悠仁さまをつくり、2の偽者紀子様に着床させて生ませた。
    小泉氏が国会で「紀子さまご懐妊」の一報を聞いた時、たぶんすぐ試験管ベビーだとピンと来て、男に決まってるからあっさり女性天皇擁立を凍結させたと思います。

    問題は、悠仁さまの生物学的父と母は誰か?
    試験管ベビーなら、夫婦とか関係なく、どんな男女の組み合わせでもできる訳です。
    私はこの計画を進めたのは安倍さんだと思っていますが、もし安倍さんが愛国者なら、おそらく悠仁様は旧皇族の男系男子から提供された精子で作られたのではないでしょうか?
    そうすれば、皇族の血統を正すこともできるし、法律的には秋篠宮さまの血統ですから、秘密資金の継承者としても問題なし。
    数々の吉兆を考えると、悠仁さまが即位すればすべてうまくいくはずだったと思います。

    ところがS価+北朝鮮が311に悠人様を拉致。そして秋篠宮家が2→3にすり替わった・・・。

    安倍さんにしてみれば自分の計画でこの世に生を受けた幼子が、拉致されて北朝鮮でひどい目にあっているかもしれないとなれば、もうこれは拉致問題「命」でやるしかないでしょう。(人道的な面からも国体保持の面からも秘密資金の面からも。)

    この妄想通りなら、1の本物秋篠宮家4名はどこかでご無事と思われます。
    ただ気になるのは、山路さんが「明治天皇の血脈」でないと権利がないと書いていたこと。
    もし明治帝すり替え説に立った場合、日本は権利者ではなくなってしまうのでしょうか?
    日本の将来を思うと、それも困りますよね・・・。
    全部私の妄想で終わればいいのですが・・・。

  • 本題と無関係な内容で失礼します。リンク先サイトやアカウントを参照しましたが、関西民謡や関西唄なるジャンル分けは日本には存在しません。存在するとしても当該人物だけです。つまり真っ当な体裁に見えますがミスリード目的に設置した怪しい可能性も払拭できませんので要注意です。※当方の指摘は白頭山節の実在そのものは否定していませんので誤解なさらないでください。
    二つめ、日本語の「松竹梅」という語ですが、大半の現代人が誤解していますがこの語の原義は「優れた同格を示す語」であり「1、2、3」ではありません。つまり、いうなれば「松竹梅=三(大)巨頭」という意味です。こちらも氏名の考察を妨げたい意図は全くないので、以上よろしくお願いします。

    • すみません。
      ミスリードのつもりは無かったのですが、、
      西日本銀行の進藤一馬氏のインタビュー記事を貼ってませんでしたので、
      貼っておきます。
      インタビュー記事は長いので、
      他の事もいろいろと参考になります。

      http://www.ncbank.co.jp/corporate/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/hakata/034/01.html
      (上記より参照。↓)

      (進藤一馬氏の写真が掲載されている下あたりからです。)

      『四島

      なにか西郷隆盛あたりを髣髴(ほうふつ)とさせるものがありますね。大きな人だったんですね。
      緒方さんの人間面ですけれども、緒方さんはチャッキリ節や白頭山節などもお上手だったそうですね。

      進藤

      うまかったですね。歌だけじゃなく、何をやってもスジがよく、すぐ覚えられる。中学に入る前から福岡の一到館という幾岡先生の道場で剣道を修業されて、その筋がいいというので、大阪の先生が養子にほしいと言うぐらいでした。
      チャッキリ節は終戦後の追放時代に、静岡に行ったりしてのんびりしていた頃、覚えられたのでしょうね。
      調子がいいですもんね。すべてにおいて調子はずれということがないですよ。小学校のときも成績がよくて、2学年特進されたことがあります。優等生で何をやってもよくできる。だけど、天才という感じの人じゃないですね。

      四島

      学校も無欠席だったそうですね。真面目で努力の人で……。

      進藤

      小学校から修猷館まで無遅刻、無欠席、無早退(笑)。これはお兄さんの大象さんも同じで、それで修猷館卒業のとき先生方がお金を出し合って、英語の辞典を贈ってくれたそうです。

      四島

      いい話ですね。』

      いろいろと良い話が載っている中で、ここだけを取り上げなくても良いのでは‥‥と思われるかもですが、
      福岡在住者としては、上げるなら、嘘でも「博多祝い唄」が無難では、、と思います。
      また、身近に、小学校入学時や編入時に、2学年下の年代にわざと入れる、半島出身者例を幾つか知っています。
      何故か、「2学年」下なんですね。
      そして、良い成績を取る。
      戦前・戦中・戦後の昭和20年代までは確実にありました。(私の存じ上げている方達がその世代ですので。)

      「関西民謡」は、白頭山節を知らなかったので、
      検索したサイトからの表現を借りました。
      その様な民謡があった事は全く知らず、、
      そう言うジャンルがあるのだろう‥‥、と言う参照、表現拝借でした。

      白頭山節は、
      もしかすると、福岡でもディープなところでは知られているのかもしれませんが、
      日常的には耳にしたことがありません。
      この西日本銀行の四島頭取さんが
      ご存知だったご様子なのが不思議なくらいです。

      太郎次郎の由来も調べてはいました。
      https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%BC%A9%E8%A1%8C%E5%90%8D
      輩行名(はいこうめい)と言い、嵯峨天皇が皇子につけたのが最初とあります。
      武士の時代になってからは、関連項目の仮名(けみょう)で
      検索されると、更に詳しく載っています。

      ただ、それらを調べていっても、○太郎、○一郎等の名前が不思議なくらい多すぎに感じます。

      明治からの苗字でも、現在の通名のように、
      一部の方達の、出自の誤魔化しの意図もあったかと疑っています。

      伊藤博文が、その同士と2人で、江戸末期に学者を暗殺しました。
      『群書類従』を編纂した盲目の学者、
      塙保己一(はなわ・ほきいち)
      https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%99%E4%BF%9D%E5%B7%B1%E4%B8%80
      の跡を継いだ息子、
      塙忠宝(はなわ・ただとみ)です。
      https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%99%E5%BF%A0%E5%AE%9D
      彼らふたりの学者としての業績・知見を想像すると、
      自分達がこれから歴史捏造するのに邪魔だったからでは?
      と思えます。

      ここでは関係ありませんが、塙保己一の記事の中に、
      『群書類従』を英国王室やベルギー王室に昭和天皇が献上の約束をして、弟宮がのちに自ら納めに渡航したとのエピソードが載っています。
      学術的興味と言うより、日本人研究の第一級資料として悪用されてないか‥‥と思っています。。

      話がそれましたね。失礼致しました。
      単なる偶然で、ミスリードになりかね無いかもしれませんが、そのつもりは全くありませんでした。

      進藤一馬氏へのインタビュー記事は、別の角度からも
      興味深いと思われますので、
      お時間ありましたら、読んでみて下さい。
      (進藤一馬氏のWikipediaを開くと、福岡市長時代は何もしなかったと評価されてます。(苦笑)市内某所の桜並木の話が有名ですが、正直、それしか良い事をした事例は知りません。)

  • すみません、陰謀論を考え過ぎて、
    記憶だけでは正しく無かったので、訂正です。

    ・誤
    『『群書類従』を英国王室やベルギー王室に昭和天皇が献上の約束をして、弟宮がのちに自ら納めに渡航したとのエピソードが載っています。』

    ・正
    『1921年、昭和天皇が皇太子であったころ、ケンブリッジ大学を訪問した記念に『群書類従』を寄贈することを約束され、実弟である秩父宮が届けた。その他、『群書類従』は、ドイツの博物館、ベルギーの図書館、アメリカの大学等にも贈られた。』

    ただ、たいそうな文書量になります。
    何故、寄贈の約束をされたのかな?とは思います。
    途中ではありますが、続群書類従が印刷されたからかな?ど思います。

    【続群書類従】
    正編と同様に25部に分かち2103種、1000巻、1185冊の一大叢書。 群書類従に続いて塙保己一が計画し、没後は弟子たちが引き継いだ。
    経済雑誌社が1902年(明治35年)から1914年(大正3年)にかけて活字本を刊行したが、第19輯までで中断。その後、1922年(大正11年)に残りの刊行を目的として「続群書類従完成会」が設立され、1923年(大正12年)から1928年(昭和3年)にかけて第20輯上から第33輯下までが刊行された。さらに戦後、書目にありながら所在不明となっていた欠本の調査が進められ、1969年(昭和44年)に第34輯、1972年(昭和47年)に第35-37輯が刊行され、完結した[1]。

    • いつもありがとうございます。
      東久邇宮稔彦の名前が出てきますね。
      鬼塚史観のなかでは、秩父宮の実父といわれていますが、興味深い組み合わせですね。
      >白頭山節は、もしかすると、福岡でもディープなところでは知られているのかもしれませんが、日常的には耳にしたことがありません。この西日本銀行の四島頭取さんがご存知だったご様子なのが不思議なくらいです。
      管理人は、関西で育ちましたが、邦楽を少し齧っていますが、白頭山節というのは、聞いたことなかったですね。
      生粋の日本人が好んで歌うものだろうか、、とちょっと疑問に思ってしまいます。

      >伊藤博文が、その同士と2人で、江戸末期に学者を暗殺しました
      >彼らふたりの学者としての業績・知見を想像すると、自分達がこれから歴史捏造するのに邪魔だったからでは?と思えます。

      http://www.spjd.or.jp/?p=1013
      「伊藤は盲目の国学者・塙保己一の子息であり、尊王思想に染まっていた伊藤は、彼が廃帝の事例を研究中との誤伝を信じ込み、斬殺したのである。」とありますが、、、
      明治帝が即位したのが1868年10月、伊藤が塙保己一の子息を暗殺したのが1863年2月、
      伊藤が、武士として認めてもらいたいから、とか、度胸試しではなく、「易姓革命」「廃仏毀釈」などの計画や陰謀に関わっていた伊藤が、将来の禍根を絶つため目的をもって、家系図や各神社の縁起などを研究し、さらには廃帝の事例を研究していた学者を暗殺したとなれば納得がいくところがありますね。

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