2・皇太子妃冊立の陰謀
① 昭和天皇の崩御後、「カルトの王女」小和田雅子が浩宮徳仁親王の妃に決定
1989年01月07日 小和田雅子と浩宮の交際と結婚に反対し続けていた昭和天皇が崩御
1992年8月16日、皇太子徳仁親王と小和田雅子、柳谷謙介宅にて5年ぶりに再会。
1993年1月19日、皇室会議にて徳仁親王妃に内定、06月09日に結婚。
雅子は北朝鮮系工作員であり
かつ、カルトの王女なのです。
まんまと工作員をねじ込みました。
しかし続きがあるのです。
2023年11月15日 池田大作氏死去
雅子の実父と言われていた池田氏が死去が公表されました。きかっけは読売のスクープです。仮にこれがなかったら、まだ生存していたかもしれない。言うまでもなく創価学会はCiaの下部組織です。
改元の風が吹いてきました。
② マウントバッテン公の死去後、皇太子妃にダイアナ・スペンサーが決定
1979年08月27日 チャールズ皇太子の叔父マウントバッテン卿、暗殺される
1980年 ダイアナ・スペンサーと皇太子チャールズとの交際が開始。
1981年 ダイアナ・スペンサーと皇太子チャールズが結婚
エリザベス女王の笑顔が凍っています。表の世界(王家)と裏の世界(イルミ王)の政略結婚だったのかもしれない。
マウントバッテン公が生存し続けていたら、皇太子とダイアナとの結婚は反対してただろうといわれてますね。欧州の王女を妻にするよう勧めたであろうと。暗殺されなかったら、皇太子が尊敬し慕っていたマウントバッテン公のアドバイスを受け入れ、欧州の王女を妻にした可能性があります。
たしかにカルトな勢力は、英国、日本の皇太子妃に自分らの娘をねじ込むとういう陰謀は成功しましたが、王朝の運と拮抗して王統簒奪、皇統簒奪には至っていません。
皇統簒奪、英国王家乗っ取りのプロセスがほぼ同じなので、黒幕は同じ勢力だというのがよくわかります。