続きです。
2016年09月17日
6代目宮内庁長官 湯浅利夫さん
・皇太子家に第二子を希望
・秋篠宮家に第三子を希望
・徳仁の雅子の人格否定発言について、「ご発言の真意を直接殿下に伺いたい」
・依願退職
経歴 wikiより抜粋
1959年(昭和34年)
東京都立日比谷高等学校を経て、東京大学法学部卒業。同年、自治庁入庁。
2000年4月
宮内庁次長に就任。
2001年より
宮内庁長官。
2003年6月10日
記者会見で皇太子夫妻の第2子への期待について
「やはりもう一人ほしい」
「多くの国民もそう考えているのではないか」
と発言した。また同年12月
「秋篠宮様のお考えはあると思うが、皇室と秋篠宮一家の繁栄を考えると、三人目を強く希望したい」と発言した。
2004年5月10日
皇太子徳仁親王の定例記者会見において、いわゆる人格否定発言があったことを受け、「御発言の真意を直接殿下に伺いたい」との見解を発表、
直接の面会を求めたが日程の調整がつかず持ち越された。
その後、皇室の重要事項の相談相手たる宮内庁参与に積極的に関わってもらう考えを明らかにした。
2005年4月付
宮内庁長官を依願退官。
同年9月1日より
財団法人自治総合センター会長に就任している。
2008年(平成20年)4月29日
瑞宝大綬章受章
2011年(平成23年)4月1日
公益財団法人菊葉文化協会理事長に就任。
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悠仁さまご誕生までの時系列
2003年
12月
【皇室】湯浅利夫宮内庁長官が(天皇の意の下で)第三子を要請
【東宮家】翌日、雅子倒れる。
2004年
4月
【東宮家】皇太子が雅子の人格否定を非難。湯浅利夫宮内庁長官が「御発言の真意を直接殿下に伺いたい」との見解を発表、
直接の面会を求めたが日程の調整がつかず持ち越された。
12月
【清子さま】婚約を発表
【秋篠宮家】反論。
秋篠宮様インタビューで(雅子の人格否定発言)逆襲。
2005年
3月
【清子さま】19日 納采の儀
【秋篠宮家】紀子さま、受診される。
紀子さまの掛かりつけである愛育病院の関係者がその内幕を明かす。
「次の子を考えています」と内々にご相談があったのが秋頃でした。
ただ、ご相談があったからといって何か特別なことをしたわけではありません。
大事にしましょう。自然なかたちでお生まれになるのを待ちましょうとお話ししました。(週刊文春2006年2月23日号)
※2006年の2月に、秋篠宮さま「東宮家に遠慮していたが、子供を作るお許しを得た」という発言を掲載しており、「お許し」が降りたのは、御診察をお受けになった秋ごろろとおもわれ。
11月
【清子さま】賢所皇霊殿神殿に謁するの儀。朝見の儀。結婚式。披露宴。
4月
【皇室】湯浅利夫宮内庁長官、依願退官。羽毛田長官と交代。
2006年
9月
【秋篠宮家】悠仁親王誕生 各地で瑞祥が現れる。
愛子さま御誕生より失敗続きだった神事が成功。
清子さまの.ご成婚と、悠仁さまご誕生。
秋篠宮家に強いられていた産児制限が解かれたことで悠仁さまご誕生となりました。
秋篠宮家、清子さまが、美智子から解放されたことは、西武グループの堤家の没落と堤義明の逮捕と関係があるように思います。
国や皇室のために頑張ると、美智子や朝鮮系マスコミから酷い目にあるのよね。
美智子の怒りを買った方
宇野首相
美智子「昭和天皇が愛でた貴重な御所の雑木林を伐採して56億の宮殿をつくりなさい」
宇野首相「やめてチョンマゲ」
宇野首相の女性スキャンダルが週刊誌に掲載され退陣。
ほかに自宅に実弾を撃ち込まれた編集者さんもいましたね。
正田美智子の実父・堤康次郎の子、義明氏が没落し逮捕されたら、ヤクザがらみの暴力的な粛清は止みましたが、、。
反日マスコミも、美智子も、悠仁様抹殺を宣言しています。
田原総一朗
「悠仁さまは事故にあうかもしれないから、愛子さまでいい」
特例会見問題
「宮内庁によれば、羽毛田の発言について同庁に1千件の電話やメールが届き、多数が羽毛田の発言を支持するものであったという。一方、民主党に対しては批判が殺到した。」
国民が宮内庁におくったメールとかは、いちおうは読んでるのね。
宮内庁長官と次官が変ったのなら、
・本物の愛子様の消息について
・今の皇后が明仁皇太子とご成婚した正田美智子と別人であることについて
・「美智子」が複数いることについて
・徳仁の病状について
・このままでは将来吊るされるだろう影子を保護するべきということについて
・行方不明のティアラなどの皇室財産のゆくえについて、
根気強く宮内庁にメールをおくってみようとおもいます。