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朱貞明(貞明皇后)の朱姓と秘密結社・洪門と浩宮
さて、皇室ですが、大正天皇の皇后であり、昭和天皇、秩父宮、高松宮、三笠宮の母上の貞明皇后。
過去にも取り上げさせていただきましたが、鬼塚英明氏によると、貞明皇后の本名が朱貞明であり、中国人クエーカー教徒であり、少女時代に千代田遊郭に送られてきた稚児だったといわれています。
正体不明の女性が皇太子妃になるというのは、戦後の美智子や雅子だけではなく、この人から始まっていることことですね。
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「洪」の字の謎
まえまえから気になるのが、この人、朱姓なんですね。
この人の息子のヒロヒト天皇は、孫で皇位継承者になるであろう新宮に給わった名前が、
「浩宮徳仁」
徳という字は皇族にとって不吉で、このおくり名をもつ天皇、皇太子は、不遇の死を遂げており、死後、怨霊になるのを封じるための呪として使われていると指摘が多いです。昭和天皇は、皇族の血をひかない托卵子の新宮に、「本懐を遂げず夭折せよ」という呪として、利用したのかもしれません。というか、そうだとおもいます。
一種の呪詛でもあるのですが、気になるのが浩宮の浩ですね。
洪水の「洪」と同じ意味があるんでしょうが、日本では、おもに人の名前にしか使わない感じですね。
「洪」という字は、人名には使いませんので、仮に、「洪」という字を代用したい場合は「浩」の字をつかうかもしれませんね。
コメント欄より
伏見様の記事や、でれでれ草様始め、皇室関係の情報をずっと追っていて気づいた事がありました。
多分、他の皆様もお感じかと思いますが、、、
(その時代の流行も勿論考えられますが、)
関係者のお名前に、○一郎・○太郎・○二郎・○三郎がとても多い様に感じます。
全てがそうだと言う訳ではありませんが、雅子さんの祖父・江頭豊の父親も江頭安太朗。
美智子さんの父親は正田英三郎。
美智子さんの弟嫁の倉敷の実家は、大原孫三郎・大原総一朗。
政治家も橋本龍太郎・大二郎の兄弟。
石原慎太郎・石原裕次郎兄弟。
小泉純一郎・小泉孝太郎・小泉進次郎 親子。
立憲民主党の共同代表の玉木雄一郎。。。
気になる人の家系図を開くと、本当に多いのです。
そして、上記しました水平社や解放同盟の委員長も。
本当に、全てがそうだとは言いませんが、この名前の付け方には、何か暗号(サイン)があるのでは‥‥と思います。
在日同士が名前に使用する漢字ですぐわかる様に、部落同士でもすぐわかる、とか。
(それと、ちょっとズレますが、「竜」や「龍」の字を下の名前につけてる方達は、私は一応警戒してます。)
他に有名人いたかな‥‥と、考えてましたら、
古いところで作家・劇作家の川口松太郎氏を思い出し調べてみました。
大した期待もせずに開いたWikipediaに、下記の記述がありました。
(↓ウィキより参照。)
『親は誰だかわからず、戸籍では島岡春吉姉よね私生児川口竹次郎庶子認知入籍とされる[3]。
貴族の落胤との説もあった[3]。
養父の川口竹次郎は大酒飲みの左官職であった[3]。』(参照ここまで。)
明治32年生まれなのに、親が不明らしいです。
家族は、奥様に女優の三益愛子、息子に俳優の川口浩・恒・厚の3人、娘は1人、晶。
さて、ここで、○一郎・○二郎問題の次に、「浩」の字が目にとまりました。
「浩」の字は、水を満々とたたえた様子、水がほとばしる様な勢い(転じて中国では洪水の表現にも使われました。)、
それを受けて豊かと言う意味もあるそうです。
浩宮様の命名の回に詳しくありますが。。
ちなみに、人名に「浩」を使えるようになったのは、1951年からなのですが、川口浩氏は1936年生まれです。
本当にたまたま浮かんだ名前を検索しただけなのに、ヒントがいっぱいでした。
「浩」と「愛子」のお名前が並列に。
お時間があったら、川口浩氏のWikipediaを開いてみて下さい。
直木賞1号で映画会社大映の専務を務められ、お母様は国民的母親女優でしたのに、後半生の家族の不幸ぶり、短命ぶりが、何か父親の成功の代償かしら‥‥と思えるくらいです。
次に「浩」で連想。
里見浩太朗、石坂浩二、愛親覚羅浩(あいしんかくら・ひろ)、と脈絡なく浮かんだ名前ですが、里見浩太朗は、山口組系芸能社「神戸芸能社」との関連が。。
そこには、美空ひばり、橋幸夫、山城新伍と並んで、高田浩吉の名前もあり、「浩」はその世界の方がよく使う漢字でもあった様です。
里見浩太朗もいろいろ発見があったのですが、(前妻が巳智子さんと言う名前、後妻が聖心女子大学とか)
一番は、愛親覚羅浩さんでした。
https://www.suginamigaku.org/2014/10/h-saga-hiro.html
記事のコピペが出来なかったのですが、
浩さんの生い立ちのところにある記述に目が点になりました。
嵯峨侯爵家のお生まれなのですが、
母方の祖父は醤油屋(ヒゲタ醤油)の実業家、
そして、彼女は長女なのですが、弟・妹が生まれて親が忙しいとは言え、母方の実家、祖父母から育てられていました。
同級生の談では、公家言葉等はご使用で無かったとの事。
普通、華族では○子と名づけられる場合が多かったと思いますが、「嵯峨浩(さが・ひろ)」って、モダンと言えばモダンですが、長女に付けるかしら??
愛親覚羅浩さんも、美智子さんと同じく、用意された女性なのかも‥‥と思った次第です。
もしかすると、マジシャンが仕込むタネの様に、あちこちにトランプの切り札を仕込む感じで子供を作ったり、養子縁組していて、結果的に「用意された」になっているのかもしれませんが。
美智子さんにあまりに状況が似ていてびっくり致しました。
雅子さん、美智子さんの、家系図の名前を眺めているだけで、符号が浮かんできます。
そちらの方達が好む名前が見えてきますね。
○二郎・○三郎の後は、男子は一文字が多かったり、
安西家にも、符号に合う名前が多いです。
ただ、ちょっと残念なのは、、、紀子様の家系図にもそれを見つけてしまう事です。
いつも長くなってすみません。
ただ、俯瞰で家系図を眺めていると、徳仁さんの「浩宮」の「浩」は、わかる人にはわかる暗号で、(部落系?)雅子さんも、わかりやすい暗号なのかもしれません。
美智子さんが決まっていた様に、筋書きは決まっていたのだろうと、、思います。
女の子が生まれたら、「愛子」と決まっていて、
もしかすると、男子が生まれていたら「厚」の字が使われていたのでは‥‥と想像致します。
以上
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洪門と朱姓
テイメイ皇后の本名とされる、朱姓と浩の字につながりそうなのが、秘密結社「洪門」という組織なんですね。
洪門
wiki
洪門(こうもん、拼音:Hóng mén)は中国明朝末期清朝初期に興った秘密結社、“反清復明”(清を倒し明を復活させる)を主旨とする。
洪門とは全ての山堂及び反清組織を纏めた総称であり、それは天地会、三点會、三合會、致公堂、或いは紅幇…など多岐に渡る。 対外部には「天地會」、対内部「洪門」と呼称している。
鄭成功を教祖を仰ぐ枝葉が多いが、実際の成立に深くかかわったのは陳永華であったらしい(古来の口伝)。
“洪門”という名前の由来
明太祖の年号が“洪武”であったこと。
明の皇帝の姓は朱(紅色を意味する)であり、洪と紅は中国語で同音であることから。洪門の創始者鄭成功は明皇帝朱の姓を授けられ、国姓爺と尊称されている。
“漢”という漢字の“中”と“土”部分を除くと“洪”になる、漢族が中土(中原の土地)を失したという意味から。
鄭成功は父は明の高官、母は日本人だった方です。
明が亡びようとしている時代に生まれ、勃興する清に抵抗して反抗し、明朝の復帰を頑張った人でしたが、台湾へ上陸したあと疫病にかかり若くして亡くなっています。台湾の中興の祖といわれている方で、台湾の国父的存在であり英雄でもあります。
その鄭成功の朱姓を取り込んで正統性?を醸し出していますが、これ、偽南朝を名乗る朝鮮部落のタブセ民と似てませんか。
ふとそんな気がしました。
貞明皇后の出自
さらに、諸説の一つに、テイメイ皇后=朱貞明が、明皇帝だった朱氏の子孫であるというものがありますが、、、
個人的な印象ですが、テイメイの非貴族的な容姿と性格、下品さ、貪婪さをみるに、名門王侯貴族の末とは違うと思います。
たいせつな名門の姫を、明治天皇が元勲と遊ぶための施設「千代田遊郭」に送るでしょうか。
鳥取久子=高円宮久子の母方が、テイメイ皇后の親類と称してますが、これ、久子は事実を述べていると思います。もちろん、「母方」は公卿の九条家ではなく、テイメイと同じく、正体不明の中国の暗黒社会からきたのでしょう。
鼻根が西洋人なみにたかい鼻、顔の幅の狭いカオが定番だった、当時の名門大名や公卿の顔とかけ離れた、テイメイの顔立ちや容姿もさることながら、久子とその3人の娘の下品さ、非日本人的容姿と言動、からみて、テイメイも久子は日本人ではないでしょう。久子は、正体不明のテイメイと同じところから来た人であり、久子は本当のことを言ってるのだと思います。
もしかして「朱」を名乗らせたのは、洪門という秘密結社員の暗号であったのかもしれませんね。この人も複数いた可能性がありますしね。
秩父宮妃など、カトリック会津閥と連携してますから、クリスチャンであり会津に何らかの関係のある人なのは、間違いなさげです。
秘密結社・洪門・キリスト教
犯罪性の高いといえば失礼に値するのかもしれませんが、反政府組織としての歴史が長いというのでしょうか、、、ロックな秘密結社のようです。
フリーメイソンとロゴがにているのが、もうアウト。パクリなのかもしれませんし、分派なのかもしれません。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%AA%E9%96%80
wikiより抜粋編集
洪門組織
清朝乾隆帝の治下にあっては、洪門は既に瓦解していた。明朝を復活させる希望はなく、民間における反清情緒はすでに収まっていた。それに伴い、乾隆はアメと鞭を使い漢人を重用したため、反清組織は既に存在しなくなっていた。
それに代わって興ったのが地方性の組織で、宗教的な意味合いを持つ白蓮教、相互補助的な性質を持っていた天地会などが知られている。これらの組織は保護費、賭場経営、売春、アヘン館などを収入源とし、低層の者は盗み、誘拐、詐欺などを生業とした。
白蓮教
南宋を初めに活動が見られる。清朝中期、自称白蓮教徒達は四川、陝西、湖北あたりで政府に対する武装反抗を行い、川楚教乱と呼ばれた。
天地会
清初、福建沿海地区では人民は生活に困窮し、自発的に相互補助組織として天地会を組成した。1761年までは、雲龍和尚を指導者とした。その後反地方政府型組織となり、反清運動に加入した。
入会時は拇指を天に指し、小指を地に指す、または左手の中間の三指で胸を押さえる。加入すれば、結婚及び葬式時に資金の援助を受けることができ、他人との紛争時には助力を受けることができ、強盗に遭った際には暗号を示せば侵されず、会をより広めれば金銭が貰えた。
拝上帝会
1843年に洪秀全によって成立された、太平天国の全身である。
三合会
天地会は乾隆によって反清組織とされ、加入した者は死刑を処された。そのため広東に伝わったとき、満人を欺くために洪の水偏だけを取り、三点会とした。しかしこれでは洪門をうまく表せないため、三合会と改名された。その後湖南に伝わり「哥老会」となり、そこからさらに「潘門」、別称「潘家」、「慶幇」と分かれた。
天地会は広く伝わり、その他にも「清水会」、「匕首会」、「双刀会」、「紅旗会」、「剣仔会」、「八卦会」、「添弟会」、「致公会」、「紅幇」、「胞哥」などの名称がある。
三合会はまた太平天国と辛亥革命に協力した。
マレーシアの華人黒社会“洪門”
“華記”は香港の三合会と密接な関係を持っている。
哥老会
中国共産党の指導者の一人朱德元帥は若いときに哥老会に入ったことがあり、その助けを得た。
義和団
清末、山東から河北にかけて存在した秘密結社。
“扶清滅洋”(清を助け西洋を斥ける)をスローガンとし、1900年の義和団の乱(拳匪之乱)を引き起こした。
紅花会
金庸による武侠小説の書剣恩仇録における創作。
華記
マレーシアの華人黒社会組織にして洪門の一派で、長い歴史がある。
現在の洪門
1992年7月28日にアメリカにて第三届世界洪門親和大会が開かれ、世界各地より集まった100人以上の代表によって二日間の議論の後、世界洪門総会の成立が宣告された。
首届会長は李志鵬で、総会はホノルルに設置されている。
以上
革命を補助ばかりしている組織という印象があります。
社会をひっくり返して、そのあとはどうするつもりなんでしょ。
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太平天国の乱
洪門とかかわりの深そうな太平天国の乱ですが、共産革命や明治維新と近いものがあると思います。
wiki
太平天国の乱(たいへいてんごくのらん)は、清朝の中国で、1851年に起こった大規模な反乱。
洪秀全を天王とし、キリスト教の信仰を紐帯とした組織太平天国によって起きた。長髪賊の乱ともいわれる。
以上
太平天国の乱・洪秀全の霊夢から始まった
・広東省花県の客家出身である洪秀全は、度々院試(科挙の初期段階)に失敗したため、約40日間病床に臥せていたが、その間不思議な夢を見たた。
・上帝ヤハウェと思われる気品漂う老人から破邪の剣を与えられ、またイエスらしい中年の男から妖を斬る手助けを受けたというものだった。
・洪秀全は病が癒えてから広州に受験で訪れた際、そこでプロテスタントの勧誘パンフレット『勧世良言』を入手し、以前に見た不思議な夢の意味を「理解」し、キリスト教に目覚めることになる。
・この不思議な夢とキリスト教の接合は、ロバート・モリソンが聖書を翻訳する際にゴッド(God)を音で表記せず、「上帝」という訳語を与えた為起こったと思われる。
廃仏毀釈との共通性とキリスト教
・暦日は、断りがない限りグレゴリオ暦による。
・洪秀全はキリスト教の教えの中でも特に上帝が唯一神であることを強く意識し、偶像破壊を熱心に行った。
・元々多神教的な土地柄である中国では儒教・道教・仏教にまつわる廟が多かったが、それらを破壊し、ただ上帝だけをあがめることを求めた。
カルト性
・1847年、太平天国の前身組織拝上帝会を広西省桂平県金田村に創設。約3千人の信徒を獲得。
・炭焼き・貧農・鉱山労働者・客家などの低階層が中心であった。
・この桂平県で成功した大きな理由の一つに病調伏等の現世利益重視の布教がある。単なる宗教的熱意や倫理を説くばかりでなく、現在の生活でのメリットを強調することで馮雲山は多くの信徒を獲得したのである。
・1850年、拝上帝会は金田村に集結して団営という軍事組織を結成し、そこでは厳しく男女を別ち、それぞれ男営・女営に入営させた。
・鉄砲や大砲等の武器を密造し、革命の準備を進めていたが、金田村に集結する過程で清朝の軍隊や自警団との小競り合いが発生した。金田村に集結した人々は1万から2万といわれるが、このうち成年男子は3千人ほどだったという。しかしそれでも数倍もある清軍を打ち破り、革命の火蓋を切った(金田蜂起)。
以上
廃仏毀釈など一神教を強制しているところや、天皇皇后の御真影を各家庭で神棚に祀り、榊を備えて神としてまつり拝む、これは、日本神道とちがうカルト性も明治維新と似たところがあると思います。
冷静になってみると、シャーマン=神=支配者、という構図は、三位一体の変形ウリナラ・バージョンという感じがしますね。
維新後の皇室の神事が、維新前の神道とは違い、一種、独特のものであり、キリスト教的な要素があるとの指摘も多いのが気になります。
不審死の数々
ブルース・リーの不審死
洪門に話をもどしますが、ブルース・リー、ジャッキー・チェンなどの芸能人がこの結社に属していたとされていますが、不審死したブルース・リー、その息子も、『組織』のいうことを聞かないから、見せしめに、、、という説もあります。あくまで風説です。
成田空港不審死体の女性
例の成田空港でみつかった、「ライトグリーンのドレスの女性」の公表されている死因について、リンチにあった末の亡くなり方ではないのか、という読者様のご指摘がありましたが、この暗黒社会的な亡くなり方が気になるところです。
金正男暗殺
そして、昨年、金正男が2人の女性に毒ガスを噴射されなくなりましたが、これ、おかしなところが、いっぱいありますね。
・一般女性が2人が、猛毒ガスを扱えるわけがないし、本物の猛毒ガスなら女性2人の命もあぶないはず。
・「たまたま」写真がとれた。「たまたま」防犯ビデオに映っていた。
・マスコミを通じて死体をアホほど晒していたが、犯罪性の高い組織による見せしめのための儀式殺人のように見える。
・金正男は武器商人だった。黒い世界でなにか不義理なことを起こしたので、その制裁をうけたのではないのか。
・殺害場所はマレーシア(洪門の華人黒社会がある)だった。
などなど、、、。
イルミちゃんや石屋さんとちがい、内部告発があまりなさげなので、かえって本気のヤバイ黒組織という感じがします。
石屋さんのルーツではないのかという説もありますが、よくわかりません。
無政府主義というのでしょうか、そういうことを目指すのは、たいてい暴力団などの黒社会の考えですね。
そして、男女平等、階級社会の撤廃と破壊をもくろみ、過去の歴史も社会階級も伝統も更地にしたいと考えるのは、社会の最下層にいる人たちです。
明治維新をはじめ、革命を起こしてきた組織は、そういうところから集まった組織なのかもしれません。