続きです。
コメント欄より
守谷さん、役者みたいな雰囲気ですね。
新しいケイが登場して、小室はお役御免なのでしょうか。
舞台劇を見せられてるように感じます。
更なる曲者、真打ち登場だったら嫌ですね。
国境なき医師団は、児童買春疑惑がありましたね。隠蔽体質が批判されてました。
ところで、以前絢子さんは閣議の了承なしにスウェーデンに行き、呆れていたら、眞子さまも了承なしに英国に行ってしまいました。
偽同士は連動してるんですかね。
以上
コメント欄より
高円宮絢子様ご婚約について、
私は、日本郵船からの連想で、英国がらみと思ってましたが、久子さんがらみで、『フランス』『パリ』『マルセイユ』がキーワードかもです。
コメント欄にもありましたが、
高円宮三姉妹の似て無さ‥‥。
そして、高円宮久子様も、少なくともお母様の鳥取二三子さんには似てませんでした。
鳥取二三子さん、お祖母さまとしても、お孫さんである三姉妹とあまり似てません。
ですが、、、。
フランス大使館ホームページ、2013年、
高円宮久子様のお母さま、鳥取二三子さんの叙勲ニュースより、
https://jp.ambafrance.org/article7023
鳥取二三子さんは、品のある感じです。
お若い時はかなり美人だったのでは‥‥。
そして、ここに、フランスから叙勲され、一緒の写真に収まっているALF~フランス語婦人会の顧問、横川洋子氏。
あれ?! 高円宮絢子様って、、、
実はこの方からのご養子??‥って思うくらい、
絢子様とよく似てると思うのですが。。
いかが思われますか?
猪首体型から、頬・顎のフェイスラインまで、、とても似てる気がするのです。
他人のそら似かもしれませんけど、、カナダも、元はフランスの植民地で、東海岸部の公用語は、フランス語と英語でしたよね。
八幡和郎氏のコラムに名前の上がっている、久子さんの母方家系より、
元柳河藩藩士の次男で明治維新で新政府の軍司令官の一人となった 曽我祐準子爵。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%BE%E6%88%91%E7%A5%90%E6%BA%96
(大正天皇がまだ明宮~はるのみや~と呼ばれていた皇太子時代の教育係もしてました。薩長閥とは反目してたようです。)
その息子の曽我祐邦(そがすけひろ)子爵。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%BE%E6%88%91%E7%A5%90%E9%82%A6
フランスに軍事留学。
ここと、鳥取二三子さんの父親、友田二郎氏のフランスとの関わり。
守谷慧さんのご両親がパリ時代にお住まいだったフォンテーヌブローは、パリの日本人がよく住むところ
なんですかね。。。
また、友田二郎氏も務めたマルセイユの日本領事館、友田二郎氏の後任のマルセイユ領事官だった山本氏の息子。
元外務省出身・山本和夫氏が、平成元年~、浩宮さんの東宮侍従長に。
雅子さんとの出会い演出組です。
調べても、元アルゼンチン大使くらいで経歴には上がってませんが、スペインとも繋がりがあるようです。
広く見ると、鳥取滋治郎氏が勤めた東海観光は、西武セゾングループ。
西武セゾングループのひとつ、朝日食品工業→(株)ジョイアス・フーズに名前変更が、2016年1月29日に、日清製粉グループ本社が株式65.1%取得。
ホント、広く見ると、、、ですが、鳥取氏も、西武・堤家、日清製粉・正田家 と関わりがあるのかな。。。
とりあえず、話が長くなりましたが、勝手ながら、絢子様は横川洋子さん筋からの養子ではないかと思っているわけです。
そして、何故かフランス繋がり。。
オチはありません。
すみません!
私のコメントに貼り付けた、在日フランス大使館、2013年の叙勲シーンより、久子さんのお母様、鳥取二三子さん、、、、こ
の肌質、この亀のような首の出方。。。ミッションズ・美智子の一人でもおかしくない気が‥‥。
肌質、見れば見るほど、美智子さん。
どう言う事?!
私の目の曇りからでしたら、申し訳ありません。
以上
素朴な疑問
ありがとうございました。
そういえば、千家に降嫁した、三笠宮崇仁親王の次女の容子さん。フランスに留学されてましたね。
カンボジアで亡くなった守屋さんのお母様も、今一つわからない方ですね。
旧姓が久子と同じ鳥取??
用意されていたかのうように、ネットでも「守谷さんはエリート、高学歴、高収入、すごい」というトピが乱立していますが、これ、コムロの時も、おなじようなトピやサイトが乱立しました。ちょっと気になります。
3代前からの家系が今一つ不明点が多いのですが、やはり、守谷氏も、雅子のように「用意された方」なのかな、と思いました。
ネットから拾ってきた画像ですが、この左右の久子さん、やはり、別人だとおもうんですね。
久子さんを気に入り、3男の憲仁親王の妻に決めたのは、三笠宮崇仁親王でした。
久子さんは三男の憲仁親王より年上でしたし、30歳を少しこしていました。すでに、婚約者もいました。が、あえて、3男の嫁に迎えます。
当時、親王妃に相応しい、旧華族や名門の学習院卒の20代の美人の令嬢がいなかったわけではなく、宮内庁はお妃候補をエントリーしていたとは思うのですが、三笠宮は、あえて、美人とは言えない年上の久子さんを選びました。
内々に、貞明皇后=朱貞明の4男の妻には、貞明の親族から迎えること、といったような、契約のようなものがあったのかもしれませんね。
貞明皇后が九条家とは関係のないひとで、学習院の卒業者名簿に名前がないように、色黒で中国人的な鳥取家の一人娘の久子さんは、鳥取家とは何の関係もない人だと思います。しかし、中国人の貞明とは親類なのかもしれません。
やはり、隠れた系図がありそうです。
以上