続きです。
普段は別居し、写真撮影にだけ集まってくる家族
うーん。前衛的過ぎてついていけない(笑)
着物にブーツの長女さん。
内田家とは関係ありませんが、「前衛的なファッションは、時代がかわるとワライモノになる」とレオナルド・ダビンチが書いてましたね。
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コメント欄より
※管理人|次男さん、やっぱり、目を引っ張って片目づつの大きさを変えてたんですね。
でれでれ草さま
内田家に関する今回の記事、とても興味深く読ませていただきました。
シブがき隊のメンバーで、何故もっくんだけが解散後急に特別扱いされ始めたのか、
そして結婚相手の也哉子さんの登場当時からの、これも特別な感じ。
不思議に思っておりました。
ネットで探せばすぐ出てくることですが、二人の出会いはお母さんの希林さんが「お父さんとご飯でも食べていらっしゃい」と送り出した先に、偶然本木さんがいたことになっています。
まだ十代の也哉子さんが、本木さんの通訳として同行したエピソードもあり、恋愛というよりは仕組まれたお見合いのような印象です。作り物感が凄いのです。
色々検索してみたのですが、チャンネル桜 旧掲示板スレッドツリー という所に書いてあったことが本当でしたら、「繋がる」感じです。
( 自由討論 たかじんのそこまで言って委員会 2004年9月21日)
内田裕也は在日であり、妻の樹木希林も在日で、彼女は芸能界では朝鮮の母と呼ばれている方なのだそうです。
この書き込みに書かれていた芸能人、岩城滉一、安岡力也、白竜、そして内田裕也。
昔やり取りしていた方とお会いした時に、ズラズラと出てきた名前と一致しています。
松田優作(この方も在日でしたね)のマネージャーをしていた方に、その方が可愛がられたという話から出てきた名前。
その方は彼らが在日であるとは言いませんでしたが、「僕は日本人が好きだよ」と話を締めくくったのを覚えています。
思ったよりも、半島のコネクションが色濃いですよね。
そこへもってきての高円宮が試写会(?)にお出ましだという事で、どうしても出たかった旨のコメントをわざわざ発表された樹木希林さん。何だかにおいますね。
以上
ありがとうございました。
コメント欄より
この玄兎君の何かのサインのようなポーズも変ですが、長女のロングドレスなのに足がニョキっと出ているのも変です。
位置がおかしいような気がします。こんな太ももの付け根から割れてるドレスは見たことがない。
チャイナドレスだってここまでの割れ方はしていない。もしただのロングドレスの上からこの足を付け足したのならそこには意味があるのでしょう。たぶんイルミちゃんのモンロー、マドンナ、ガガのような性接待も含めた存在なのかも。でなければこんな足むき出しポーズなんてしないと思います。
それと昔から気になっていたのは本木雅弘がなぜ婿養子になったのかということです。
一節には内田裕也を尊敬していたので婿になったなんてのが載っていましたが、本木家の方があれだけ売れていた息子を婿養子に出すはずないと思うのです。何かよっぽどの家系でもなければ賛成しないですよね。
内田裕也なんてチンピラのようですし尊敬する所なんてなさそうです。
そしてあの也哉子さんという方とすっと結婚した感じでしたが、年齢が19歳と若い所くらいがよかった程度で見た目はもっさり、婿養子になってもいいほどの大恋愛には見えませんでした。
葬式の時も夫婦で気丈に等と美化されていましたが、樹木さんと娘との関係が希薄な感じだったので自然の態度だったのではないかと感じました。娘が子供の時に泣くと「自分を憐れんでいるのね」と言っていたと話していて、泣くことも許さないのかと驚きました。
樹木さんは美化されていますが、内田裕也を一生自分の元に縛り付けて、それをまるで駄目亭主を手のひらで転がす妻という出来た妻像に転換成功しました。
また本木雅弘がオーナーでオセロ中島が家賃滞納した騒動の時もなかなか出て行かずに大変だった時も謝罪不要、問題なし等と良い人発言してましたね。
嘘で固めた内田家という感じがします。それなのに注目の家族でこれからもやっていくのでしょう。
以上
ありがとうございました。
樹木希林さんの謎
樹木希林さんのご両親は、戦後、都内の公園で屋台を出していて、繁盛していたとか書き込みをよんだことがあります。戦後、立地の良い場所で屋台にせよ店が出せたのは、朝鮮系だけだそうです。
別に、芸能人が朝鮮系が多いことに問題はないのですが、「国際金融同盟=イルミちゃん=グローバル派=共産主義=親中国派」の工作員として、クーデターまがいの陰謀に噛んでいるのが、朝鮮系と同和系の人間ばかりというのが問題です。
本木氏は、シブガキ隊というアイドルグループのメンバーでしたが、宮沢りえちゃんや、樋口可南子さんと同時期に、ヘアヌード写真をだして話題になったり、俳優として評価されていますね。いい役にめぐまれ、賞を沢山とっています。
「シブがき隊のメンバーで、何故もっくんだけが解散後急に特別扱いされ始めたのか、」
管理人も不思議に思ってました。本人の資質もあるんでしょうが、追い風を受けているなあ、と、奥さんの閨閥のおかげなのかな、、とおもってましたが、どうなんでしょうね。
ただ、成功した在日の俳優夫妻の娘と結婚しただけで、ここまで恩恵があるのかどうなのかが疑問です。
樹木希林さん自身が、「特別な人」だったのかもしれませんね。
本木 雅弘wikiから
本名 内田 雅弘(うちだ まさひろ)
生年月日 1965年12月21日(52歳)
出生地 埼玉県桶川市(旧・北足立郡桶川町)
身長 174 cm血液型 A型
所属芸能事務所はジャニーズ事務所 → 個人事務所「メンズアート」。
1965年
埼玉県桶川市に誕生。実家は15代続く農家。兄と弟の3人兄弟の次男。父が農業高校時代の卒業文集を眺めていてたまたま目に留まった名(雅弘)を命名した。
1981年
TBSドラマ『2年B組仙八先生』でデビュー。他に薬丸裕英、布川敏和、三田寛子も、このドラマでデビューしている。
1982年
シブがき隊としてデビュー
浦和学院高等学校1年在学中の途中から明治大学付属中野高等学校定時制に編入するが2年の途中で中退した。
1988年
シブがき隊解散、俳優に転身。シブがき隊を“解隊”後、俳優活動を開始。翌年、『ファンシイダンス』で役に合わせて坊主頭で挑み、映画初出演ながらシブがき隊のイメージを覆す演技を見せた。
1991年
篠山紀信撮影によるヘアヌード写真集『white room』を出版する。
1992年
ソロとして初出場した第43回NHK紅白歌合戦(曲は井上陽水のカバー「東へ西へ」)で、コンドームを首からぶら下げた衣装や臀部を見せるパフォーマンスをサプライズで行い、物議を醸した。しかし、この演出はエイズ(後天性免疫不全症候群)撲滅のメッセージが込められていたという。
1995年
現在はエッセイストなどとして活躍する内田也哉子と結婚。本木が海外の映画賞を取材する番組に、内田が通訳として同行していて知り合う。彼女が17歳の時にプロポーズした。婿養子に。
1997年
長男・雅樂(うた)誕生。
長男の内田雅樂はカリフォルニア州の大学に在学しながら身長190cmの長身を活かしてUTA名義で2018年のパリ・コレクションにてモデルデビュー。
1999年
長女・伽羅(きゃら)誕生。
長女の内田伽羅は『奇跡』などの映画に子役として出演しているほかモデルとして活動、
2009年
アカデミー賞外国語映画賞を受賞している。アカデミー賞のレッドカーペットではインタビューに英語で答えた。この映画での活躍により2009年3月20日、埼玉県民栄誉章を受章。
2010年
次男・玄兎(げんと)誕生。
義父はロックミュージシャン内田裕也、義母は女優の樹木希林。
岳父が長年主催している「ニューイヤーロックフェスティバル」には直接・間接的に毎年協力している。
以上
気になるのは、
「実家は15代続く農家」って普通記載しますかね。商家、武家、庄屋、公家、ならわかるんですが、、。
こういう家系の事は、普通は、他人にはわかりませんから、ファンによるかきこみではなく、本人の意思を汲んだ事務所か、本人によるものだと思うんですね。。
重いので別けます。