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何かと話題になっているユリコちゃんですが、石井妙子氏の著書『女帝 小池百合子』によると、ユリコちゃんには、従姉妹がいたそうな。お名前は咲子さん。
天然の美人さんですね。品があります。パクるしか能のないユリコちゃんと違い、無から有を生み出すクリエイターの才能があった方です。咲子さんは、レコードを出しています。デビュー作は「AIRPORTS」。
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AIRPORTS
世界の大空港 国際線スチュワーデス 小池咲子さんがご案内する世界の大空港
1・プロローグ/新東京国際空港(成田)/アムステルダム:スキポール空港(オランダ)
2・フランクフルト空港(西ドイツ)/メキシコ空港(メキシコ)カイタク空港(香港)
3・ロスアンゼルス空港(アメリカ)
M1:「涙のカノン」/M2:「高度1万メートル」/M3:「青春の光と影」
実況録音
<エスコート>小池咲子
咲子さん
咲子さんは、日本の中学を卒業すると神戸のアメリカンスクールに進学し、本格的に英語を身につけます。アメリカンスクールに1年通い英語を会得した咲子さんは、英国のパブリックスクールに留学します。しかし、お父さんがなくなったため、学業を断念し、オランダ航空のスチュワーデスになります。
咲子さんは、仕事で訪れる大空港や現地の「音」を収録し、自身が散文調のナレーションをいれ、レコードにしました。外国旅行も稀で、ネットもない時代、しかも、美人さん、そして、国際線のスチュワーデス、とういことから、レコードより咲子さんにスポットが当たり、話題になったようです。
1978年の年末 1枚目の咲子さんのレコードがキングレコードから発売。
1979年4月 ユリコちゃんが、竹村健一氏の番組のアシスタントに抜擢。
週刊誌や女性誌が「現役スチュワーデスのレコードデビュー」と大きく取り上げましたが、ユリコちゃんのデビューはほとんど話題になりませんでした。
2枚目のアルバムは1980年「サラート」。咲子さんはラジオドラマにも出演します。
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/f340692424
≪おもな内容≫
★ファッション提案特集/日常着として皮を着こなす
★ファッション徹底特集/ニット・コーディネーション
★都会派のショートコート
★今、必要なスカート、ベストチョイス「巻頭特別企画/長期調査シリーズ:モア・リポート女の生と性」(9P)
「インタビュー/宇崎竜童」(6P)
「ノーベル賞受賞経済学者・話題の著”選択の自由”の共著者/ミルトン、ローズ・フリードマン夫妻にきく」(4P)
「世界の音を集めたスチュワーデス/小池咲子」(2P)
売り切れになってますが、
同じ時期に、ユリコちゃんは、ルックルックこんにちは、の竹村健一さんのアシスタントに抜擢されましたが、あまり、話題にはなりませんでした。
【連載】ワカキコースケのDIG! 聴くメンタリー 第3回『~砂漠のレコード~サラート(祈り)』
※http://webneo.org/archives/22208
当時、「KLMオランダ航空スチュワーデス」の肩書でメディアにも登場していた小池咲子の、前年の『世界の大空港』(未入手)に続くプロデュース第2弾。アラビアの風景を題材にした画家・藤沢章の個展に刺激を受けて「この絵を“音”にしよう!」と思い立ち、アラブ首長国連邦のドバイを拠点に録音した。そう、ライナーノートで自ら解説している。
(中略)
つまり、フンイキ勝負。異国ムードあふれる絵画のイメージを、現地録音を主な素材にして(一番のセールス・ポイントにはしつつ)作り上げた、音のフィクション、幻想(幻聴)の旅なのだった。
(中略)
1979年の“気分”を表現したレコード
それに、リリースされた年が79年、昭和54年だってことを、僕は特に面白く感じている。
(中略)
こうした(エネルギー不安を巡る)アンビバレンツな感情が、中東の再認識=異国への憧憬のかたちで思い切り振れたのが、79年の久保田早紀の大ヒット曲「異邦人」であり(あのイントロの旋律を思い出されたし)、そして、セールス的には比べるべくもないだろうが、『サラート(祈り)』だったのだと思う。「NHK特集『シルクロード』」も、初回の放送は80年だが、撮影と大がかりな前宣伝は79年から始まっていた。
さらに言えば、前年には女性のめざましい社会進出で「キャリアウーマン」が流行語になり、国際線が、成田の新東京国際空港(現・成田国際空港)に移転した。
国際線スチュワーデスとしてホントに「翔んでる女」だった小池咲子による『サラート(祈り)』は、今、僕が考える以上にキャッチーな、時流を穿つレコードだったのだ。