本日は紀元節・皇紀2681年
本日もお越しいただきありがとうございます。
※徹夜明けで半分寝ながら書いてたら、Twitterでもブログでも、皇紀間違ってた。めちゃ恥ずかしい。
本日は紀元節
めでたいのう
皇紀2681年。日本国は、まだまだ続くよ!
神武天皇
神武天皇で検索するとイラストがいっぱい出てきます。どれも素敵だけど、いらすとやさんの神武天皇さんが可愛いくて、シンプル。いらすとやさんの神武天皇さんが、実像に一番近い感じがする。
神武天皇さん。後年、「武仁」とおくりなされましたが、宮崎県生まれの九州男児で、本名は、神日本磐余彦天皇(かむやまといわれびのみこと)。
古代の日本の言葉と古代ヘブライ語や風習が、似ているをこえて、同じであることは、よく指摘されていますね。同祖論というやつです。
大昔の文献や歌は、ヘブライ語でもよめて、日本語でもよめて、それぞれ詩として完成されているものが多く、人知をこえてますね。
何度かにわけて、大陸からユダヤ系方々の移民したようです。旧約聖書の士師みたいな霊能者が引率してやってきたんでしょう。
人口500万くらいだったころに、50万人の大陸からの移民があり、弥生時代が始まったと聞いています。
ヘブル語としての解釈
「カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコト」という呼び名は、日本語としてはこれといった意味がない。しかし、ヨセフ・アイデルバーグはこれにヘブル語解釈を施した。もし若干の訛りを考慮し、これをヘブル語として解釈すると、「サマリヤの王、ヤハウェのヘブル民族の高尚な創設者」という意味として読むことが可能だとしたのである
https://nihonjintoseisho.com/blog001/2018/03/05/japan-and-israel-3/
「摂政関白」とか「征夷大将軍」みたいな感じで、個人の名前ではなさそう。
狭野という名前もつたわってますので、こっちが普段の呼び名としては、普段の呼び名だったのかも。長兄の、五瀬(いつせ)と並べても違和感ないし。
三本足の金色の霊鵄は、正統なる皇統男子には、欠かせないアイテム
神武さんよりはるか後年、天平のころ、眉目秀麗で碧眼だった聖徳太子には、超ブサイクなイトコいました。御名を蜂子皇子。父上が天皇だったので、当然、皇位継承権を持っていました。政変がおこり父帝が倒れた後、仏教に帰依し出家して無抵抗主義を表明。その後、東北に逃亡して修験道の開祖となるくらいですから、蜂子皇子さんは、聖徳太子と同じく霊能者だったんでしょう。この蜂子皇子の羽黒山の開山のおりには、金色の霊鵄があらわれ導いたらしい。ピンチの時に現れるらしい金の霊鵄は、天皇家の家系に伝わる高貴な霊かなにかだとおもう。
神武さんは、4兄弟の末子で、15歳で太子に。とありますから、昔は末子相続だった時代があったのね。ブラジルでは今でも末子が家を継ぎ親の面倒を見るらしい。物質より霊のほうに重きを置いていた時代でしたから、家系の物質は末子が相続し、長子はシャーマンになり、家系の霊的な何かを相続していた時代があったと思われ。
神武天皇76年、3月11日、崩御。
享年は127歳。『古事記』では137歳。
近代人とくらべて長寿なので、「存在自体が嘘っぱちや」という人もいますが、モーゼは120歳、その後継者のヨショアは110歳でなくなっています。昔の人は100歳越えは当たり前だったらしい。さらに、メソポタミア時代の中東の遺跡の人骨を調べたら、平均寿命が140歳くらいだったらしいから、徐々に寿命が減っていった結果、神武天皇の時代において、享年127歳ってのは、普通じゃないでしょうか。
さて、三本足の金色の霊鵄さん。本物の文仁親王や、本物の悠仁親王のところにも、顕現しているのだろうか。というか、顕現しててほしい。
今、皇統が、めっちゃ危機なので、助けに来てね。