皇室 「悠仁親王の守護神 」明仁天皇、「皇室の守護神」昭和天皇

小室圭と婚約した眞子様はニセモノ




公開されている写真から、大正天皇ご夫妻には影武者らしき存在が確認できる。影武者制度は、皇統をまもるため有事の時に備えるための制度だったと思われるが、戦後、代理人である影武者たちの暴走が止まらない。

①勝手に活動を行いそれを公務として報道している、➁勝手に影武者が婚約会見を行い皇族の配偶者を決めた、③偽物が愛子さまになりすまして女性天皇になろうとしている。
公開映像、画像などオープンソースを中心に検証しています。


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悠仁親王の守護神・皇室の守護神

明仁天皇(上皇)のお気持ち

和船に同乗 明仁天皇(当時)と悠仁さま

 

和船に特別な意味があるらしいですね。

明仁上皇は、愛子さんを乗せたことはありません。

皇室|訂正あり|和船の明仁天皇と悠仁様、ほか | 皇室ブログ・でれでれ草

 

明仁天皇(現上皇)さまのお気持ち「未来の天皇陛下は悠仁親王」

※https://zatsuneta.com/archives/003808.html?fbclid=IwAR1jC7T-UEeVvdmh7OmT8h8XPSnHgM0-9fRGGXh2nNNKyKbLnzW3XrsESQcより転載

2017/9/21

未来の天皇陛下が悠仁さまだと分かる七五三の一部分

秋篠宮家の長男・悠仁さまの七五三にあたる宮中行事の時の写真で、ある部分に天皇家の歴史的な伝統の継承が見られ、悠仁さまが将来天皇陛下になることが分かる。

現状の皇室典範のままなら2018年(平成30年)末にも想定される天皇陛下の退位が実現した時、悠仁さまは皇位継承順位2位となる。(2017/12/15追記:天皇陛下の退位は2019年(平成31年)4月30日予定と決まった。)

2011年(平成23年)11月3日、5歳になる悠仁さまの「着袴の儀」(ちゃっこのぎ)、「深曽木の儀」(ふかそぎのぎ)が東京・元赤坂の赤坂東邸で行われた。健やかな成長を祈って行われる伝統行事で、男子皇族が両儀式に臨まれるのは、1970年(昭和45年)の秋篠宮さま以来、41年ぶりであった。

 

着袴の儀は、平安時代から皇室に伝わる儀式で、5歳になったときに初めて袴(はかま)を着ける。深曽木の儀は、着袴の儀に引き続き行われ、袴の上に童形服を着て碁盤の上に立ち、髪先を少し切った後、掛け声とともに飛び降りる。

注目すべきは装束の襟元で、秋篠宮さまの時とは綴じ糸が異なる。

上の写真では確認できないが、秋篠宮さまの綴じ糸は「斜め十字」になっているのに対し、悠仁さまの綴じ糸は「縦十字」になっている。この縦十字の装束は現在の皇室では天皇陛下と皇太子さまの2人だけがお召しになる習わしになっている。

装束には「高倉流」(斜め十字)と「山科流」(縦十字)の2つの流派があり、江戸時代、高倉流は武家や神主、山科流は公家の方々という使い分けがされていた。

皇室では今でもその流れを汲み、天皇陛下と皇太子さまの2人だけが山科流で、秋篠宮さまや高円宮家の次女・典子さまの旦那様である千家国麿氏は高倉流となっている。

綴じ糸が斜め十字の装束

https://zatsuneta.com/archives/003808.html?fbclid=IwAR1jC7T-UEeVvdmh7OmT8h8XPSnHgM0-9fRGGXh2nNNKyKbLnzW3XrsESQc#google_vignette

※転載以上

 

「注目すべきは装束の襟元で、秋篠宮さまの時とは綴じ糸が異なる」

「秋篠宮さまの綴じ糸は「斜め十字」になっているのに対し」

 

「悠仁さまの綴じ糸は「縦十字」になっている」

 

「この縦十字の装束は現在の皇室(※2017の時点)では天皇陛下(明仁天皇)と皇太子さま(徳仁親王)の2人だけがお召しになる習わしになっている」

1964年のナルちゃん この時点では皇太子ではなく皇孫だったのですが、わかりにくいですが、綴じ糸は、十字になってます。

 

 

即位の礼のナルちゃん天皇も綴じ糸は、十字になってます。

 

立皇の儀の秋篠宮さまも、十字の綴じ糸になってます。

皇太子(クラウンプリンス)=皇嗣(クラウンプリンス)ということです。

 

まだ悠仁さまも、愛子さんもお生まれになっていない時期、皇位継承について聞かれた明仁天皇(当時)は、「眞子がいる」と言って、皇統断絶をミッションとするGHQ=CIAの工作員・美智子を激怒させたそうな。

これは、旧宮家の皇統男系男子が眞子さまとご成婚され皇籍に復帰して即位するという意味であって、眞子さまが天皇になるという意味ではありません。

奈良時代、天智天皇系の崇徳女帝の死後、天武天皇系の臣籍に下った皇統男系男子が皇籍に復帰して即位した例があります。これはごく普通の流れです。

明仁さんは、平民妃の正田美智子の尻に敷かれてきたけど、皇位継承については間違えなかった。

文仁親王殿下の即位、悠仁親王殿下の立太子、即位への準備は、粛々と冷静に皇室典範に従って進められてるのです。

ネット上で海外からいくら工作しようと、愛子の出番などありません。

 

昭和天皇の気持ち

ナルちゃんの成年式の当時の天皇は昭和天皇でした。

着袴の儀では、皇孫というお立場だったけど、十字の綴じになってます。

 

しかしご成年式では、綴じ方だけを見ると、一親王として扱ってますね。

ナルちゃんは軽い知能の遅れがありました。公務などで訪問する先には、侍従から「浩宮さまには小学生にものをいうように」してくださいとあらかじめ注意が入ったらしい。

本来なら、戦後の皇族男子は学習院大学法学部政治学科にに入り学位を取らなくてはならないのですが、ナルちゃんは学習院大学法学部政治学科に入学すらできませんでした。これに昭和天皇は激怒したそうです。ナルちゃんについては、他にもいろいろ香ばしい話は伝わっています。

昭和天皇は、いずれナルちゃんを廃嫡しようとを考えてたのかもしれない。

今年は昭和100年。

改元の年になると信じている。

 

ニセモノが天皇に即位?