皇族女性の結婚
佳子さまが31歳に
おめでとうございます。
佳子様と皇統男系男子とのご縁組みは、もうとっくにまとまってるはず。
でも公表できないのは、誰かの死を待ってるような気がするんよね。
例えば、CIA日本のトップの森デブとか。
国外で決定される戦後の皇族の結婚
上皇后美智子(=正田美智子)と母・正田富美(上海夫人)
戦後、皇太子明仁親王妃候補にねじ込まれたのが、幼少時より耳にピアスをしてる正田美智子。今の上皇夫人です。
あの当時、耳にピアスをしてるのは中国人かパンパン(米軍兵士の娼婦・愛人)でした。母親の正田富美は「上海夫人」と言われていました。

美智子さま「御徒町が恋しい」
http://www.yuko2ch.net/mako/makok/makok.htm
… 無題 Name 名無し 15/10/15(木)20:22 id:feDM8vdk No.1435572
「御徒町が恋しい。」
…御成婚の後、皇居の《籠の鳥》となられた、お可哀想な
美智子妃殿下が そう、おっしゃったそうな…。
「アメ横」に、自由の身であった頃は通っていたそうな。
「アメ横」→戦前は「しょうべん横町」と呼ばれた。
戦後は、闇市の場となり
愚連隊の温床となった。
その中の最大の集団「血桜団」は、朝鮮人連盟と結託して、
賭博、かっぱらい、恐喝、女衒、街娼のショバ代を
稼ぎの源とした。
…今尚、中国人.韓国人であふれ、風俗の多い場所です。
(ここまで)
当時、御徒町に出入りしていた日本女性は2種類しかいなかったそうです。
1オンリーさん
2パンパンさん
1は、進駐軍の将校用の特定の彼女さん、愛人さんです。愛人になるかわりに、生活の面倒を見てもらい、身内の留学やビジネスの口をきいてもらったりしていたそうです。旨く行けば、軍人さんの正妻にしてもらえました。
2は、進駐軍さんたちの相手をするフリーな女性たちです。路上に立ち、日々、頑張っておられました。
ご成婚後、明仁夫人になった後も、新聞記者にタバコの火をつけてさしあげたこともあり、ネクタイを締めて差し上げたりしてました。婚前は、大人の男性の接待をしていたか、自らが喫煙していた可能性もあります。

戦後の2人の皇太子妃の決定は、海外報道のスクープ「皇太子妃が決定、正田美智子」「皇太子妃が決定、小和田雅子」から始まりました。そこから国内の報道が同じ内容の報道で埋め尽くし、宮内庁が発表し、形になるという工程です。
明仁皇太子、徳仁皇太子の妃は旧宮家の別の女性が内定してたのですが、外国の報道が神託となり上書きされたのです。つまり、外国で決まったのです。
詳細は過去記事をご覧ください。
米国大使館に出入りするエージェントたち
CIAエージェントだったと思われる脚本家のLGBTで変態の井沢満は、終戦前のソウルで生まれた。井沢が今は閉鎖されたGooブログで、アメリカ大使館で岸信介を見かけたことに触れていた。

Gooブログ 井沢満のブログより
松の内
2018年01月05日 | 日記
※一部転載
アメリカ大使館邸に行ったことがあります。
アーミン・マイヤー駐日アメリカ合衆国大使 の時代だから、大昔のこと。
門には立派な門松が飾られ、そこで皇后陛下のご母堂でいらっしゃる正田冨美さんを
お見かけしたのでした。今思えば遠慮せずお話させていただいていたら、相当強い思い出に
なったろうと思われます。色んな意味で。
(略)
安倍総理の母方祖父でいらっしゃる岸信介さんをお見かけしたのも大使館邸です。
コーヒーの角砂糖を、トングを使わず指でつまんで入れていらっしゃったのが印象に残っています。
岸信介という政治家に関し私に知識があれば、そういう細かい仕草も分析の役立つのかも
しれませんが、あいにく不勉強です。
https://blog.goo.ne.jp/mannizawa/e/dd99dbd022c1ad8960db31ed87062651
https://blog.goo.ne.jp/mannizawa/e/dd99dbd022c1ad8960db31ed87062651
あの世代で大使館に出入りしてたところをみると、井沢満も岸信介と同じくアメリカのエージェントだと思う。
そして正田美智子の母親の「上海夫人」正田富美も。
結婚前、正田美智子は聖心女学院の関係で欧州に行ってますね。
一人旅なのに、明らかにプロのカメラマンによる撮影。この写真を撮ったのは誰なのか?

パンパンや米兵が出入りしていたオカトマチに入り浸っていた正田美智子。
正田美智子の欧州旅行の目的は、処女膜の再生手術だったのかもしれない。
スクープ前の光景
明仁皇太子妃内定のスクープのずっと前、皇太子妃に内定する前、秩父宮妃殿下が正田家の行きつけの台湾人経営の美容院におなりになり、居合わせた正田美智子のことを「この子がお妃になるのよ」と語っておられたそうな。
闇市の帝王 七尾和晃
第五章 封印された「戦後」P208~
ところで、虎ノ門のホテル・オークラにテナントを構えている与儀美容室も戦後の一時期、王の黄色合同会館に店を構えていた。
与儀美容室は現在も、皇室ご用達として日本でも有数の格調高い美容室である。王は回想する。
「与儀八重子さんは沖縄の出身で、そこで銀座で沖縄料理屋を3件も経営していた宮城あきこさんの紹介でうちに入ってきたの。昭和27年から33年くらいかな。ワンフロアを月に35万円くらいでかしていました。髪を結わう女の人の椅子が10くらいあったんじゃないですか。
結婚する前の正田美智子さんのお母さんもきてましたよ。で、美智子さんは待っている間、私の部屋であそんでおったわけ。三階の社長室は応接間がでかいから、そこに座ったり、本を読んだり、雑誌を読んだり。
その美容室には秩父宮勢津子さんもきていて、そうしたら勢津子妃が『あの子を皇后(※原文ママ)にするから』って言って、そんな話がでて1年か2年くらいしたら、本当に婚約しちゃったの。
だから、美容室にもこれなくなったわけよ。皇后(※原文ママ)になるものだから、護衛が付いたっているから」
婚約が発表されたのは1958年11月27日だった。
この与儀美容室を語るときの王は、なによりもそれがわが身の誇りであるかのように懐かしんでみせた。
2006年、王はあるとき、ホテル・オークラの与儀美容室まで出向いたことがあった。
「娘さんたちとはなしたら、母親から聞いたことがあるといって、昔、私のところに入っていたのを覚えていましたよ」
転載以上
GHQ(現CIA)のエージェントだった正田美智子と明仁皇太子との結婚を、昭和天皇も拒めない何かの理由があったみたい。
今のCIAのエージェントのリストに、昭和裕仁天皇の名前がありますね。あの大戦は、昭和天皇が仕掛けた敗戦革命だったのかもしれない。

https://www.kinokuniya.co.jp/03f/book/9784877852962.pdf
管理人は、高円宮承子ちゃんや、佳子さまのような、本物の皇族女性たちの結婚が止まってるのは、占領側のアメリカと日本の岸信介などのエージェントたちが勝手に結んだ「皇族女性に関する何かの約束」「親王妃になる女性に関する何かの約束」があったのだと思ってるんだ。
その内容が阿漕なので、皇族女性の結婚が停止してるんかな、と思うんだ。
いずれにせよ、欧英米が皇室を破壊し杳としてるのは間違いない。
欧英米も、国賊たちも、
はやく@ああなれ




