権力は「反対」ではなく「無関心」により空洞化する
論考 『支配はなぜ完璧になれないのか』Luc Lelièvre
~システムは人間の参加なしでは動かない
https://unbekoming.substack.com/p/anthropological-reversibility
「権力は、大声での抵抗ではなく、人々が気にしなくなり、信じなくなり、必要最低限以上の自分自身を投資しなくなった時に、空洞化する」
監視技術が発達し、官僚制が複雑化した現代社会では、個人の選択肢は狭められ、従う以外の道はないように見える。しかし、どんなに強固に見えるシステムも、実は継続的な「人間の参加」に依存しており、この参加が静かに撤回され始めた時、支配は空洞化していく。
🔹 完全支配は神話である:権力の源泉は参加にある
国家も大企業も、その権力の源泉は物理的強制力だけではない。法令を実行する官僚、手順に従う専門家、物語を信じる市民といった、無数の人々の日常的な「参加」がシステムを動かす燃料だ。ハンナ・アーレントが指摘するように、真の権力は暴力ではなく、人々が共に行動し、その権威を認めることにこそ存在する。したがって、システムが自らの不可避性を声高に主張すればするほど、それは自らの存続がいかに自発的な参加に依存しているかを、逆説的に暴露していることになる。
🔹 静かな撤退という戦術:無関心がシステムを重くする
では、参加の撤回はどのように行われるのか。それは必ずしもデモや革命といった劇的な形を取らない。むしろ、ルールは守るが創意工夫はしない、表面上は従うが内心では信じない、関心を公式の場から別の共同体や活動へ移す、といった「静かな撤退」の形を取る。この撤退が広がると、システムは信頼の低下を補うためにより多くの規則を作り、判断を数値で管理し、監視を強化する。つまり、システムは弱くなるほどに重くなり、やがて自らの重さに耐えきれなくなる。変化は崩壊ではなく、「蒸発」のように進行する。
📌 希望は抵抗ではなく「継続」の方法にある
人類学的可逆性の理論は、世界をリセットするような救済主義や、権力への単純な反抗を説かない。その代わりに、私たちが既にシステム内部で行い得る現実的な選択に光を当てる。意味を見いだせないルールに盲従するのをやめ、与えられた役割を最小限だけこなす。その積み重ねが、やがて見かけはそのままに、中身の空っぽなシステムを生み出す。社会を動かす最終的な力は、為政者の意志ではなく、無数の人々が日々、どのようにシステムに「参加するか、しないか」という微小な選択の総和にある。

参考文献:Anthropological Reversibility: A Theory of Human Agency Under Conditions of Apparent Total Control (2026) – Luc Lelièvre (Unbekoming)
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