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皇室|四国愛媛の謎・砥部の謎2

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続きです

コメント欄より

すり替わりは真実だと思います。

「秋篠宮 偽物 でれでれ草」の画像検索結果

赤坂の広大な一等地を2011年に中華人民共和国が購入しています。赤坂御用地と地下で繋がっているというのも、単なる噂ではないように思えます。

秋篠宮両殿下と真子様は完全に別人と思います。

秋篠宮様は斜視がいつの間にか治り、黒髪になられた。肩幅が狭くなるにはまだお若い。

紀子様は日本語が微妙ですし、歯並びも。

漏れ伝わる職員に対する癇癪も本人ではなく中国の人だから?等と思ってしまいます。

真子様は身幅が違い、ホンモノに比べ小さいのでは?よく似ているけど顔の輪郭がスッキリしていません。

共通しているのは品がないこと。

※頭部の大きさをあわせると、身長が違ってきます。

誰も触れませんが、誕生したときから佳子様はどちらにも似ていませんね、、、。

本当に怖ろしいことですが手引きしている大がかりな団体がいるのでしょうね。出なければ不可能なことです。

本当の方達はもう二度とお戻りにはならないと思います。生きる証拠ですもの。

以上

 

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四国の愛媛県砥部。ここが新たな疑惑のスポットになりそうです。

 

コメント欄より

こんにちはテンノーコーゴーの日程を拝見して?何で砥部で昼食?

 

砥部だけ、じっと眺めていると異質です。

で砥部のページを見たら、パン屋さんが沢山。

 

以下

>町内に大手3社パンメーカーや運輸物流会社が存在する。

>四国シキシマパン本社、松山工場(シキシマパン関連企業)(岩谷口)

>山崎製パン岡山工場愛媛営業所、デイリーヤマザキ愛媛営業所(八倉)

>タカキベーカリー西四国営業部、松山工場(重光)

 

こんなんもありました。

>伊藤ハムミート販売西(株)松山営業所(八倉)

小麦繋がり?でしょうか

あと気になるのは、砥部焼で有名なところです。

焼き物の歴史は、大陸からの人たちから始まることが多いです。

大洲藩の保護の元・・・みたいですが、大名繋がりで何かあるかも。

で、愛媛出身。

砥部町の子? 妄想でした。

砥部訪問だけ異質です、ホントに。

あと松山のANAホテルって、町の真ん中、繁華街です。(泊まったことあります、便利だから)

警護やりにくい場所。

先日ある島の皇室お泊まりの宿(御用達)に宿泊してきましたが、やや人里離れた高台でした。

昭和天皇やご成婚秋篠宮ご夫妻のお写真が何枚もありました。

ご成婚夫妻のお顔をまじまじと拝見して、今のお二人の顔には、たとえお年を召してもならん、と再確認してきました。

身長は・・・ご成婚紀子様、けっこう大柄でした。

 

話横道から戻します。

そもそも、道後あたりに伝統的高台の宿(警護しやすい)とかの代々の御用達があるはずだけど。皇室は道後、イメージありますけどね。

何でANAかな。皇族は今や裏で利権繋がりのにおいがぷんぷんしますから、ANAとは要するにそういう関係なんでしょうかね。

ちなみに松山は、JALも飛んでいるはずです。なのに、なんでANA ?の疑問もあります。

気になったんで、2017愛媛国体の記事を調べました。

 

以下愛媛新聞より

>県は26日、愛媛国体の開催に合わせた皇族の来県予定を発表した。

10月9、10両日には秋篠宮ご夫妻が来県し、10日は松山市の県総合運動公園ニンジニアスタジアムで行われる総合閉会式に出席される。

9日は大洲市の長浜高校水族館や松山市の道後温泉本館を視察、10日午前中はニンジニアスタジアムで陸上競技を観戦する。

国体会期中は故寛仁親王の長女彬子さま(2、3日)、故高円宮の三女絢子さま(2~4日)、故寛仁親王の次女瑶子さま(4、5日)、秋篠宮家長女眞子さま(5~7日)、寛仁親王妃信子さま(6~8日)も来県される。眞子さまは5日に今治市の野間馬ハイランドを視察するほか、6日は砥部町でバドミントン、7日は西予市で相撲、伊方町でバレーボールを観戦する。

天皇、皇后両陛下は9月29日から3日間の日程で松山市と砥部町を訪れ、30日にはニンジニアスタジアムで開かれる総合開会式に出席される。両陛下の来県は1993年11月以来、24年ぶり。

>愛媛国体に合わせ来県中の秋篠宮家長女眞子さまは6日、重要文化財に指定されている内子町内子の芝居小屋「内子座」や、砥部町大南の砥部焼伝統産業会館などを視察された。

以上

 

ニセ眞子さん、砥部行っていますねえ・・・

関連で行われた障害者関連のスポーツ大会でコータイシとヒサコさんも愛媛訪問。

コータイシ 10/28 宿泊道後ふなや

ヒサコさん 10/30 宿泊道後ふなや

このご両名の宿泊がノーマルな皇室の宿泊地だと思われます。

 

追加 

秋篠宮もふなやです。

うーん、テンノーコーゴーANAホテル宿泊、あやしい・・・・

ちなみに国体に行っていないのは、マサコだけです。

 

コメント欄より

私達がいるほうを見てくれました。

【2014/10/15】http://www.ehime-np.co.jp/

「第62回動物園技術者研究会」出席のため来県している秋篠宮さまは15日、愛媛県立とべ動物園(砥部町上原町)と瀬戸内海巡回診療船「済生丸100」を視察された。

 

すみません。再度自分のコメントにつけさせて下さい。

上記の自分で貼りつけた記事に違和感・・・再度愛媛新聞のサイトに行って調べました。

記事は2017/9月27日掲載で,まるっともってきてコピペ。

閉会式の秋篠宮さんから書いてあります・・。

フツー、開会式から記述しませんか?テンノー・コーゴーから。

その後に秋篠宮さんの日程。で、その他の皇族さんたちの詳細。

しかし、開会式出席のテンノーコーゴーの日程は、最後にとってつけたように最後の3行。

急に来県が決まったからの3行付け加え?ではなのか。

宿も御用達宿がとれないでANAになったか、それともわざわざANAを使ってやんわりの口封じか脅しか,それとも犯人は現場に戻るではありませんが、コーゴーの現場点検とか。

とにかくおかしいと本能がさわぎます。

ニセミッチー、悪いことたくさんしてますなあ・・・てきな。

転載ここまで

 

コメント欄より

微感餅さんのコメント、興味深いです。砥部、気になります。

ニンジニアって何ぞや?

と思って調べたら、会社名なんですね。

由来は、>世間を「馬」に例え、当社が馬を釣るニンジンの役目となるが如く「世の中の30センチ先を行き、それを技術力・想像力で実現しよう」という願いを込めて命名された。

馬に例えるとか、変わった思考ですね。

北朝鮮のミサイルが通過するルート、何故か愛媛だけスルーされたことがありましたね。何かあるんですかね。

以上

 

wiki ニンジニアネットワーク株式会社(Ningineer Network Co,ltd.)

愛媛県伊予市に本社を置く、オフィス用品などの通信販売を行なう企業。

愛媛県松山市に本社を置く株式会社東洋印刷の関連企業。静岡県三島市の東洋印刷株式会社とは無関係である。

ニンジニアネットワーク」とは「ニンジン、エンジニア、ネットワーク」の3つの言葉を掛けたもの。

世間を「馬」に例え、当社が馬を釣るニンジンの役目となるが如く「世の中の30センチ先を行き、それを技術力・想像力で実現しよう」という願いを込めて命名された。なおロゴの「ニンジ『ニ』ア」の上部分はニンジンの絵になっている。

以上

 

ありがとうございました。

愛媛、、、例の田布施や、昭和天皇が使った軍人が、やたら多かった大分、、

瀬戸内海に面しており、船さえだせば、気軽に行き来出る藩どうしでした。綺麗にトライアングルを形成しますね。

江戸時代の鎖国は緩くて、朝鮮の済州島から海女さんが気軽に出稼ぎにきてたくらいですから、外人のいききはできたんでしょうね。各藩が独立してましたので、江戸時代であっても隠れキリシタンや司祭を隠したり、密貿易に励んだりするのは可能だったと思います。

ちなみに済州島は李氏時代では罪人の島流しの先としての棄民島であり、半島本土の人々からは差別されていたそうですが、気候は温暖で女性は気性が穏やかでよく働く女性が多いそうです。

 

愛媛は、伊達政宗の血筋の宇和島藩という思い込みがあったので、伊達藩かとおもってましたが、例の砥部は松山藩→大洲藩→新谷藩(大洲藩の分家)、のようですね。

最後は新谷藩で維新を迎えます。

 

wiki 新谷藩(にいやはん)

大洲藩の支藩である。藩庁として新谷(現・大洲市内)に新谷陣屋が置かれた。

元和9年(1623年)、大洲藩2代藩主・加藤泰興の弟・直泰が幕府より1万石分知の内諾を得て成立した。

内紛の後、寛永16年(1639年)に藩内分知ということで決着し、寛永19年(1642年)に陣屋が新谷に完成した。藩内分知は本来は陪臣の扱いであるが、新谷藩は幕府より大名と認められた全国唯一の例である。

寛永9年(1632年)、中江藤樹は当藩に任地替えとなったが、母への孝養を理由に故郷の近江国へ脱藩した。

以上

 

この「母への孝養を理由に故郷の近江国へ脱藩」という点が妙に中国臭いです。

中国と日本の決定的な違いは、「公」に関する観念のあるなしですね。

軍隊を指揮する武将が、母が病気だから孝行のために、戦線を離脱し家に帰ってしまう、それが美談になる国です。

日本では、逆にそれは「私情を優先したとして」非難されます。家庭を犠牲にしてまでも国や君主に孝行をつくすことを美としますが、、、

管理人は、マイナーな藩のどこかで、リハーサルとしての、プレ維新があったと考えているんですが、、、

もしかして、ここかな?

なんちゃってキリスト教の中国系・洪門系が乗っ取ったとか、、、どうでしょ。

 

貞明皇后は、九条家の人間ではなく、クエーカー教徒の朱貞明という中国人とされていますが、この人とは母方の血縁と称しているのが、高円宮の久子です。

久子の加齢の仕方や、異様なまでの虚栄と傲慢な言動から見て日本人ではないとおもいますが、この人、四国の香川の鳥取家の出身とされています。高円宮と知り合ったのは、加奈陀の大使館のパーティー、高円宮が急死したのは、加奈陀の大使館、と、カナダとの関係が強いので、やはり中国系ではないかとおもわれますが、繋いでいくと、全部つながりそうですね。

しかし、今の高円宮久子は、ご成婚した久子と同じ人でしょうか。

また、機会があれば、比べてみたいと思います。

 

砥部町 wikiより

江戸時代 初期は加藤嘉明の松山藩に属した。

1635年(寛永12年)8月 松山藩と大洲藩との替地により大洲藩の所領となる。

砥部焼が振興される。

新谷藩の成立により大南・岩谷口・大平・下麻生が新谷藩の所領となった。

以上

 

砥部焼wikiより

砥部焼は、江戸時代中期に陶器を焼く窯として始まったが、大洲藩・九代藩主、加藤泰候(かとう やすとき)の時代に、藩の財政を立て直すため、砥石くずを使った磁器づくりを命じたことに起源を発するといわれている。

命じられた杉野丈助(すぎの じょうすけ)が砥部の五本松という所に登り窯を据え、苦労の末に1777年(安永6年)にようやく白地に藍色の焼き物作りに成功したといわれる。

焼き物に必要な薪も近くの山々で豊富に採れたうえ、傾斜地に流れる渓流や小川は水車を据えるのに適しており、原料の砥石を砕き陶土にするのに盛んに用いられた。

嘉永元年(1848年)、トンバリと呼ばれるレンガ造の窯が導入される。

※大政奉還は1867年、明治元年は1868年、廃藩置県は1971年、

明治期に入ると、廃藩置県により、工芸技術者の行き来が盛んになり、それまで各藩が抱え込み、門外不出とされた陶磁器作りの技術が流出し、瀬戸や唐津、あるいは京都などの当時の先進地の情報が砥部にもたらされるようになり、砥部焼も量産が可能となった。

明治5年頃からは松前(現在の伊予郡松前町)の唐津船で、販路を全国へと広げていった。もともと、松前は海に面しており、小船を生かし沿岸の街を行き来する商人が居た。ただ、松前は松山藩、砥部は大洲藩であり、住民の交流は乏しかったが、松前の商人が砥部焼の商品性に着目し、商品として扱うよう求めたものであり、これも廃藩置県の一つの副次効果といえる。

その後、輸出商品として、郡中港(現在の伊予港(伊予市))から出荷された時期もあった。

以上

 

続きます。

くるくるくるくる

sea otter GIF by Monterey Bay Aquarium

 

 

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17 件のコメント

  • シノワズリーのペールブルー、ペールグリーン、
    画像に思わず「あー、そうか」と声をあげてしましました。
    鋭いコメントが多くて、唸りどおしです。
    もう何年も週刊誌を買わなくなってしまいましたが、
    目次チェックも不要かなと思えてきました。
    みなさまの基礎知識、直観力、推理考察力、すごい。

    昔、ほうぼうに不思議な人脈をお持ちのおぢさまに、
    九州の某焼き物の本家でものすごい火祭りをやる。
    とんでもない高さの火柱を半島からも見えるくらいにして、
    「我々は故郷半島からここまで来たよ」と表明するんだ、と
    教えていただきました。当時は、共韓(共感)~無韓レベル
    でしたので、ふーんと聞き流してしまいましたが、
    そういう素地を持つ人々も日本史の中でいろいろ暗躍
    してきたんでしょうね。
    東京大空襲の時に、墨田区の火柱が世田谷区まで見えたと
    いうので、九州から半島まで見える火柱っていったい
    どれだけと思います。ネットがある今なら、あちこちに
    画像入りブログ、ツィートが多発、拡散するでしょうけど、
    当時は、「火事かも」なんて通報があっても報道しない事は
    できたでしょうね。21世紀になるちょい前のことです。

    • >九州の某焼き物の本家でものすごい火祭りをやる。とんでもない高さの火柱を半島からも見えるくらいにして、「我々は故郷半島からここまで来たよ」と表明するんだ、

      「故郷忘れがたき候」だったと思いますが、司馬さんの著書で、明に出陣した際、半島からつれてきた陶工の子孫の方に関する著書を詠みましたが、陶工の子孫の方々、何代だっても、異邦人のままなんですね。
      故郷に帰りたい、とはいうものの、江戸時代を通しても、故郷に帰った形跡がないですね。

      最近では研究も進み、半島の陶工も、朝鮮から強制的につれてきたのではなく、現地に通訳を連れれ生き、リクルートの募集に応じて来日したといわれてます。
      半島では陶工は奴隷の身分ですが、日本ではテクノクラート、士分あつかいで、士分階級の娘さんとの結婚もでき、尊敬もされてました。
      異邦人だけど、特別扱いされてましたから、居心地はよかったんじゃないかと思いますね。
      半島まで見える火柱、見てみたいですね。

  • でれでれ草様、更新有難うございます。
    砥部焼ですね。。
    先ほど、別の記事に捏造歴史又は恣意的に破棄された史実があったかも‥‥と、コメントしましたが、
    北部九州で最近聞いた事。
    14代続く旧家の出身で、現在はご自身で会社を起こされて、自身の家や地域の歴史を調べていらっしゃる社長さんのお話しです。
    博多は有名として、松永安左衛門出身の壱岐、北部九州の平戸、唐津、小倉、山口県の日本海側は、幕末期、
    物流・海運業が盛んで、外国との交易(密貿易、多分。)で多額の利益を上げていて、特に壱岐は「日本のフェニキア」と呼ばれていたらしいのに、そういう事を歴史教科書では教えてないよね‥‥との事でした。
    江戸期は、壱岐は松浦家の管轄でした。
    対馬は宗家が藩主の対馬藩でしたけれど。
    この、宗家と松浦家は、かつての自領の石高を誤魔化して、爵位授与の際には、本来よりも位の高い爵位をいただいたそうです。
    あ、すいません、砥部焼でした。
    焼き物の産地、伊万里、鍋島、波佐見、唐津、高取、萩、薩摩、、ちょっと内陸で小鹿田(おんた)、小石原焼き。

    私、まだまだアナログで、最近、プリントスマッシュと言うアプリでファミマのコピー機で印刷出来るのを知り、
    ある書類を印刷しようとしたら、
    間違えて過去にPDFダウンロードした、学術資料をプリントアウトしてしまいました。
    『謝国明と博多についての一考察』と言う論文です。
    宋の商人で帰化人の謝国明(和名:謝太郎国明~くにあき~)と、博多での唐人街、承天寺始めとした寺社との関わり他。。
    宋の時代から、博多(筥崎宮周辺)を始め、
    肥前の平戸、有明海沿岸の神崎荘、薩摩の坊津、等の九州の沿岸、、越前敦賀も。
    私貿易が盛んだったとの事。
    荘園の荘官との婚姻関係や、権門寺社に入る方達も多かったらしいです。
    ずいぶんと遡りますが、、沿岸部は、大陸との付き合いに慣れている、と言うか実際儲かってたでしょうから、
    大陸人が入る隙間はかなりあったと思います。
    謝国明は、かなり儲けたらしく、承天寺に広大な寺領を寄進してます。
    ここに、ちょっとひっかかる、粉モノの文章がありまして、
    日本に初めて酒蒸し饅頭を持ち込んだのは、謝国明であると、また、年越しそばの由来も謝国明とあります。
    そう言えば、豊前・豊後国、そして四国、特に沿岸は粉モノ文化で、小麦をよく食べます。
    豊後には、団子汁とか、「やせうま」と言うキシメンのもっと太いバージョンみたいな郷土食があります。
    大陸人が多かったかも?
    美智子さん実家も何故か、「日清」製粉ですし。

    再び、焼き物生産地に戻りますが、
    美濃焼、瀬戸焼もありますね。
    松平容保含む4兄弟の故郷の松平家は、焼き物産地に近くなかったかな?

    焼き物は、土も探しますが、登り窯、そして燃料の薪も必要。
    山との関わりが深いです。
    サンカは、関わってないでしょうか。

    少しズレますが、某ブログで、新幹線で鉈を振り回したとされる青年は愛知・静岡関係、ネットから裏商売に集まり、女性拉致監禁殺人も愛知周辺、それと、、忘れましたが、もう一つ愛知で事件があり、
    「愛知ばかり、ですね。。愛知に警察関係者がウヨウヨしていてもおかしくないように、フェイクニュースが混じってないでしょうか?」と言う推理でした。

    脱線してすみません。
    焼き物は実際、海外輸出で儲けてたのですから、
    焼き物産地は、海外との接点は確実にあったと思います。

    窓口に帰化大陸商人が関わっていてもおかしくなさそうです。(何せ、愛国は薄いけど、血族は大切にしますから。)

    • >焼き物は実際、海外輸出で儲けてたのですから、焼き物産地は、海外との接点は確実にあったと思います。
      焼き物が盛んだった藩が怪しいですね。
      中国で動乱があり中国の窯が起動しなくなったので、日本の焼き物で需要を埋めたということを本で読みました。
      焼き物をやっていた藩は、そうとう、儲けてたはず。

      >ずいぶんと遡りますが、、沿岸部は、大陸との付き合いに慣れている、と言うか実際儲かってたでしょうから、
      大陸人が入る隙間はかなりあったと思います。

      粉モノといえば、大阪も盛んですね。
      大阪は、我孫子とか、どう考えてもシナ風の地名がのこってますし、妙に、うどんすきだし、たこ焼き、お好み焼きなど、粉モノの食べ物が好きみたいです。
      九州は、南蛮系の影響が強そうですが、大阪は、気質も個人主義が発達しがちで、中国の影響が強そうです。
      粉モノが好きなのは、本能かもしれません。
      貿易が盛んになると、異国の影響をうけ、そうなるのかもしれませんね。
      鎖国なんて笑っちゃうくらい嘘でしたね。
      江戸時代、アジアや、欧州と自由に行き来していた武士や商人がいても不思議はなさそうです。

  • 同じく、謝国明の論文より、
    日本からの輸出品は、真珠・金・水銀・日本刀とあります。
    真珠は勿論入江のある沿岸部ですが、
    日本刀の産地、焼き物の産地が重なる場所は、
    交易商人の出入りがあっていたと思います。

    刀剣は、備前、美濃の関とかが有名ですが。
    博多には、多々良(たたら)と言う地名が残ってます。
    昔から良い刀剣の産地は、良い陶器の産地でもあるとの事。
    砥部焼は、砥石からとか。砥石は刀や刃物と関係深いですね。
    刀剣ではないですが、太平洋側の土佐刃物は有名です。
    土佐の刃物も瀬戸内海を通過して輸出しててもおかしくないですね。

    粉モノ文化ですが、残念ながら、山口県のことはよくわかりません。
    瓦そばくらい?
    それと、島原は、島原素麺が有名です。
    粉モノ文化、焼き物産地、大陸商人、キリシタン(ヨーロッパ商人)、
    繋がりがあるかもですね。

    • ありがとうございます。
      >土佐の刃物も瀬戸内海を通過して輸出しててもおかしくないですね。
      ありえたと思います。
      欧州ではなく、アジアへの輸出もあったのかも、と想像が膨らみます。
      密貿易していた大名もいましたし、大航海時代は終わってなかったんですね。

  • コメントを掲載していただき恐縮です。
    四国は、お遍路さんの地でもあり、他国人の流入・流出はほかの地以上に盛んというか江戸期以前よりフツーにあったと思います。
    また、村八分となったハンセン氏病の方々も四国で路傍で亡くなるまでお遍路としてまわっておいでだったといいます。今は札所寺院の改修や新築でなくなりましたが、そういった方々の宿も境内にありました。
    更に「患者狩り」にひっかからないように通常の遍路道とは違う山深い道や、フツーの人の行かないような里もあったやにも聞きました。
    キリスト者とハンセン氏病の、外に出てこない関わりとかあったかもです。

    ヒサコさんとの関わりのある香川ですが、小麦の地です。
    香川と徳島の境は険しい山ですが、平家の落人伝説の美馬やソロモンの秘宝伝説の剣山もあり。
    話ががばらけてしまいましたが、いろいろな根が、四国にはありそうですね・・・

  • >日本からの輸出品は、真珠・金・水銀・日本刀とあります。
    アラモード様の上記の一文について
    四国は真珠はありますね。
    宇和島湾は、宇和島真珠の養殖で有名です。
    真珠ではありませんが、土佐珊瑚もいまだにとれますし有名ですね。ただ、今はいいものは全部中国に持って行かれるようですが。

    金や水銀についても中央構造線にそってさまざまな鉱山がありました。
    有名なところでは別子銅山です。砥部にもありましたね。
    日本の鉱山一覧(以下)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%89%B1%E5%B1%B1%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7
    四国では愛媛が一番多彩に採掘されていたようです。金ももちろんありました。
    水銀は、例えば四国札所の阿波21番太龍寺までの歩き遍路の山道には、水銀鉱山のあとだったかありました。確か「辰砂採掘跡」だったような。
    鉱床が今も多分あります、石がそういう鉱石でしたし。
    別子銅山あとから連なる赤石山は石マニアには採掘に行きたいお山の一つのはずです。(行きたかった私・・・)
    四国札所の開祖弘法大師は「山師」だったとか四国山中の鉱床ハンターだったといわれているようですし、アラモード様の言われている「サンカ」は古代より存在していたと思います。
    大江健三郎の書く小説にその面影はありますね。
    彼の出身は愛媛の山奥、内子の更に奥だったはずです。

    愛媛に日本刀つくりの技術はありませんが、瀬戸内海の向かいの備前ではありましたし。
    愛媛はクロスロードだった(である)考えると「何か」があってもおかしくないというか、ありそうですね。
    長々失礼しました。

    • >愛媛はクロスロードだった(である)考えると「何か」があってもおかしくないというか、
      空海と四国は関係が深いですが、錬金術師としての空海に関する本を読んだことがあります。
      空海は、中東から伝わった古代の叡知や秘儀を吸収して、真言宗をまとめたと思われるので、水銀との関係も深そうです。
      あれだけ医療知識があったのに、早くに亡くなったのは水銀中毒だったという人もいますね。
      しかし、瀬戸内海に面している藩で海に面している藩は、要注意ですね。
      鎖国なんていうファイアーウォールなんてなかったってことですね。

  • でれでれ様、おはようございます。

    先日の鍋島直大の記事の辺りに戻ってしまうのですが、今の徳川宗家は会津松平家からの養子、会津松平は遡ると血統的には水戸徳川6代藩主治保(はるもり)に遡れるという事で、ということは今の徳川宗家も水戸徳川の血筋になっているということになりそうです。

    徳川将軍家の婚姻についてざざっと調べましたら、家光の頃から正室は京都のお姫様を貰うケースが多い(公武合体策?)ので子供が出来れば公家の血が混じるということですね。また、11代家斉は子沢山で越前や会津の松平をはじめ、鍋島、鳥取の池田、毛利などの外様大名家との縁組をしていることがわかりました。家斉の血をあちこちの大名家に入れる、、政略結婚ですよね。
    そういう訳で鍋島家などに家斉の娘が輿入れすることで、外様大名と政治的に対立しにくくなるということでしょうか。

    昨日の高円宮絢子様のご婚約報道、お相手のフランスはパリの幼稚園→慶応大学→三菱系の日本郵船勤務の港区在住、お祖父様は日本郵船の元常務、お母様はNPO法人国境の無い~で御活躍とくれば、ふーん、美智子さんの趣味よねぇ~。ニュースに出てきた国境の無い~のお世話役のおば様は美智子に通じる雰囲気がありました。
    何となく小泉孝太郎似のお相手の守谷慧さんは本当に好青年で立派な方であり、同じけいでも小室とは大違いだと思うのですが、何せやり手婆ぁの久子、長女は遊びすぎて行き遅れ、次女は出雲大社の千家さんとは別居状態、、のいわくつきの高円宮の三女を嫁に貰うとは、大したもんです。

    これでまた女性皇族が減るって?女性皇族はどんどん降嫁なさって下さいませ。たいして優秀な方も無く公務という名の偽善&売国行為を血税無駄遣いしてまでやる人が減るのは大歓迎です。
    絢子様の結婚式は10月29日との事ですが、えらいいそがれますね。本当ならその辺りで眞子様&小室の結婚式のはずだったのでは?小室が国民に不評だった上に駄目になりそうで、女性皇族の配偶者は小室よりかなり良くしないと国民の皇室人気が下がるので焦っているとか?
    何をしようがもう手遅れですけどね。笛吹けど踊らず。どうぞご勝手にとしか思えませんね。

    • >昨日の高円宮絢子様のご婚約報道、お相手のフランスはパリの幼稚園→慶応大学→三菱系の日本郵船勤務の港区在住、お祖父様は日本郵船の元常務、お母様はNPO法人国境の無い~で御活躍とくれば、ふーん、美智子さんの趣味よねぇ

      美智子や雅子のケースがありますので、公表している釣書を本気に受け取るのはキケンですが、コムロよりはまともそうですね。
      そうあってほしいです。
      これからボロボロでてくるかもしれませんが、、、しかし、良子さん、雅子のときもそうですが、三菱が絡んできますね。そこが気になります。

  • 微感餅様の、
    》》四国札所の開祖弘法大師は「山師」だったとか四国山中の鉱床ハンターだったといわれているようですし、

    水銀が四国で採れてたんですね。
    知りませんでした。
    九州でも、もしかすると西日本一帯かもですが、
    弘法大師様が山中で杖を立てたら、そこから温泉が湧き出した伝説、多いと思います。
    多分、複数人いたであろう弘法大師様は、山師(サンカ)も混じっていたかもですね。

    いだったか、、政治家を調べていて、親御様が山師していた人がいたのですが、
    誰だったのか‥‥が思い出せません。
    兵庫県か岡山県に縁のある方だったと思います。

    興味ある情報、有難うございます。

  • アラモード様
    弘法大師空海永眠の地である高野山も下に水銀鉱床が眠るといわれています。
    御廟(高野山奥の院)が陰(-)だとすると、向かい合う・壇上伽藍は明らかに陽の気(+)で、こちらは「作られた」みたいという気が登ってきます。空海さんは結界はりとか、水晶とか何か人工的なことでこの気を作り出した気がしています。
    鉱脈を眠らせた自然のパワーと人工細工による結界はりやパワーアップの最高地が高野山だというのが私の印象です。
    九度山の慈尊院より半日ほど高野山町石道を山歩きすればつきますけれど、この麓には丹生都比売神社があり、名前からして丹生(辰砂)採掘をしていたと思われます。(妄想ですけど空海主導、そして高野山の財政基盤とした。空海は慈尊院にいた母のところにほぼ毎日山を下りてきたとか、ここで高野山の経営をしたという伝説のようなモノあり)
    ということで空海さんは相当な「山師」だと思います。
    生まれの讃岐はまさに瀬戸内沿いで、渡来系の血が濃いのかも知れませんし、あるいはそういう人の教えを受けたという気もします。
    辰砂遺跡のあるお山の上21番太龍寺は空海さんが19歳のときに境内の舎心嶽の岩上で百日間の虚空蔵求聞持法(永久記憶の修行)を修めたとされいて空海好きの遍路には憧れの地です(笑)
    私は東日本住みですが、こちらにも空海清水とか温泉、けっこうあるようです。
    これは要するに,高野聖による仕事かな、と思います。
    有名どころでは、千葉の成田山新勝寺にも開創の頃弘法大師空海が上陸なんて話もあるようです。

    でれでれ草様
    関係ない話を失礼しました。
    私は空海さんファンでして、すみません。

    • 昔、錬金術師としての空海、みたいな本を読んだことがあります。
      空海は巨大なスケールの方でしたね。

  • 皆さまの知識の豊富さ幅広さ、凄いですね。コメント欄を読むのが面白いです。

    砥部焼の陶芸館のサイトに、
    砥部焼は三百七十年前朝鮮から渡来した陶工によって日曜雑器が焼かれたのに初まり〜と書いてありました。

    額田王も万葉集に「熱田津(にぎたづ)に 船乗りせむと 月待てば 潮もかないぬ 今は漕ぎ出でな」と詠んでいて、朝鮮半島に向かう船旅の途中に松山で休息をとっていたようですね。

    砥部はパン工場が多いんですね!
    最近週刊新潮に、パンに含まれるトランス脂肪酸が認知症や不妊の原因になるという記事がありましたね。
    気になって思わず立ち読みしてしまいました。気をつけたいです。

    • >最近週刊新潮に、パンに含まれるトランス脂肪酸が認知症や不妊の原因になるという記事がありましたね。
      改良しすぎて、小麦は、主食の一つから、毒物に変ろうとしてますね。
      小麦をとるのをやめただけで、肺の移植が必要だったかたの疾患が消え、移植は必要なくなったそうです。
      毒物と中毒をつかって、商売してる食品企業が多いですね。

  • >>毒物と中毒をつかって、商売してる食品企業

    先日、期間限定の文言につられて、某アルコール飲料 強いゼロ を
    飲んだのですが、ほんの2,3口で酔いが回り、長く続いたので
    びっくりしました
    他の人は、こんなの毎日飲んでるんだろうかとちょっと検索したら、
    度数の強さが問題視されてて、「底辺汁」とあだ名されていると
    知って二度びっくり。もう買いません、飲みません。
    オシャレで軽いイメージから女性のアル中の水先案内にも
    なってるそうで、アル中患者やその家族が、ああいうライトな
    缶アルコール飲料を飲むのは止めてと忠告なさってるそうです。

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