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【鬼塚史観と皇室問題】托卵と貰い子でつなぐ近代皇統4

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本日もお越しいただきありがとうございます。

③【鬼塚史観】「明治・大室王朝」から「昭和・西園寺王朝へ」

【鬼塚史観】初代:昭和西園寺天皇

ほんとうに、昭和天皇の実父が西園寺八郎(旧姓毛利)だったとしたら、ここで明治・大室王朝が絶えます。そして西園寺王朝の始まりです。

西園寺八郎は、毛利家から養子に来た方なので、実質的には毛利王朝といえるかもしれません。

 

【鬼塚史観】西園寺王朝二代目:今上天皇

もらい子だという噂が高いのですが、とりあえず2代目にカウントさせていただきます。

皇太子時代の明仁さんとは、耳が違いますね。頭蓋骨も違います。顎の長さ、頭蓋骨の奥行き、、、、別人でしょうたぶん。

 

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明仁さんは、複数の「正田美智子」と婚姻関係を結びました。「正田美智子」というのは、明仁さん専用の喜び組の屋号です。

※美智子様の影武者

 

同時期に複数の美智子。この時期は「美人ミッチー3号チーム」ですね。

美智子だけではなく、明仁さんも同時期に複数いるようです。頭身も身長も顔も違います。屋号化したのかもしれません。

今の皇族とは、複数の正体不明の人間による屋号化したチームです。それぞれの明仁さんの父系が不明であり、正確には西園寺朝といえるかどうか不明です。

後日、それぞれの妃を取り上げますが、似た者通し、同種で引き合い結婚することが多いですね。つまり、妻をみれば夫がわかるのではないでしょうか。

 

正田家は群馬の部落から成り上がった家ですが、正田美智子は、正田家の長女ではなく、西武グループの創立者である堤康次郎の隠し子だといわれています。じっさい、正田美智子は、堤家のひとびとご風貌が似ていますし、あきらかに明仁皇太子家は堤家と連携していました。

※美智子様の真実

 

堤家は、滋賀の部落に住み着いた朝鮮人を発祥としているといわれています。そこを総会屋に恐喝されていましたから、朝鮮系の滋賀の部落からなりあがったのは事実でしょう。

明仁さんの出生にまつわる噂として、秩父宮が陸軍にはいり地方に駐屯しているときに、売春婦にはらまして産ませた子供だという噂がありました。

仮に真実なら、その売春婦は朝鮮系だったのではないでしょうか。そして父親は本当に秩父宮だったのでしょうか。

 

【でれでれ史観】佐伯王朝初代:徳仁天皇(予定)

偽王朝は3代以上は続かないみたいですが、西園寺(毛利)王朝も続きませんでした。

長男徳仁さんが、思いっきり托卵でした。

ご成婚した正田美智子が産んだ徳仁親王は、なぜか、朝日新聞の正田美智子担当だった新聞記者にそっくりです。成人後、英国へ留学しますが、そのときに鼻を明仁さんににせてワシ鼻にしています。

徳仁も複数いますが、いちおう本物あつかいされている徳仁さんを徳仁1号と呼んでいます。ご成婚した正田美智子がうんだこどもだとおもいます。

ご成婚した正田美智子は、第二子を懐妊するも胎児がブドウ状に奇形化して掻把の手術を受けます。その後、半年間の長期静養に入りますが、その後行方がわかりません。

自殺をほのめかす電話を友人にかけまくった形跡があり、自殺したと思われます。

ご成婚した「美智子様」は、低身長でひどい猫背でしたが、

御静養後、あらわれた「美智子様」は、背丈が10センチは伸び、小顔、小さな耳、まっすぐな脚の美人にかわっていました。不思議なことです。

 

話をナルちゃんに戻しますが、②耳が下部についているナルちゃんを、徳仁1号と呼んでいます。ご成婚した正田美智子の子供と思われます。

若いころのナルちゃんは、若いころの佐伯氏に似ています。

 

同時期に複数の徳仁、複数の美智子が確認できます。

左:徳仁2号、右:徳仁1号、

 

上段:徳仁1号、色白、ストレートヘア、丸顔、

下段:徳仁2号、色黒、剛毛くせ毛、丸いおでこ、落花生のような頭蓋骨

 

A≠Bですね。そしてBは徳仁2号と思われます。

正田美智子の生んだ徳仁以外にも徳仁はたくさんいるところをみると、こちらも早くから屋号化していたようです。

正田美智子が産んだ、いちおうは皇族として認められていた徳仁さんは、2017年1月の宮中行事を最後に今は行方不明です。尿パックの着用と、尿漏れが確認されており、死去したと思われます。その後、徳仁を務めているのは、風貌が似ているだけで中国人の労働者臭い、手の荒れた下品なにせものです。

口唇口蓋裂のあとがある徳仁もいます。いずれの徳仁さんも、発音が中国風で、おかしいことが指摘されています。

本当に、この偽物が即位するのでしょうか。

※詳細は「皇太子の影武者」へ

 

続きます。

 

そして、突然たたかいがはじまる

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5 件のコメント

  • でれでれ様、こんにちは。鬼塚史観シリーズ楽しみに拝読しております。
    個人的には今上陛下は、どうも昭和天皇の実子ではなく養子なのではないかと疑っています。
    ネット記事に大正天皇の側室の筋であるとの情報(しかもイギリス人とドイツ人の血が入っている。)と、秩父宮?(高松宮?)が旅行した際に旅館の中居にお手がつき出来た子供との情報がありました。真偽の程はわかりませんが、私は子供の頃から明仁さんはちゃらちゃらしていて軽薄そうで天皇には向かないと感じておりました。昭和天皇には顔も性格も似ていないと思います。
    同じくネット記事で常陸宮の華子様のお父様が尾張徳川家から津軽家に養子に入られた関係で常陸宮は尾張徳川家の権力で作られたとありました。同じ徳川でも紀州と水戸は力を落としたらしいのですが、尾張には不動産がありお金持ちなのだそうです。そう言えば、高松宮妃喜久子様は徳川慶喜の孫様、秩父宮勢津子妃は会津の松平容保の孫様、徳仁親王に徳川宗家の恒孝さんの実子の噂もあるようなので、旧徳川勢力も皇室で生き残ったとも言える訳ですかね。
    昭和天皇の后良子様は薩摩の島津の関係ですし、薩長勢力とすると昭和天皇の実父が公家に養子に入られた旧毛利藩主の筋というのもあるんじゃないかしらとは思います。
    要は公家と武家の勢力に、最近では新平民で金持ちの美智子ということですよね。明治以降の皇室がその時々の日本の権力中枢と結び付いており、本業の祭祀はどうなっているのか?それこそ祭祀専門の裏天皇が祭祀をされていないと日本は持たないでしょうね。
    でれでれ様の記事を読んで皇室が色々な権力に利用されてきたことがわかりました。
    しかし日本人の思い描く正しい天皇は祭祀王であり、日本の為祈って下さる存在です。また祭祀王にはやはり旧宮家が相応しいのではないでしょうか?
    江戸時代までの京都御所に居られたような皇室に戻し、権力とは無縁のいわば神官の家として蘇るべきではないでしょうか?

    • 宮家の閨閥はややこしそうですね。
      公表されていることは、ほとんど信用ができないことがわかりました。
      皇室も日本もあるべき姿に戻ると信じています。

  • derederegusaさま

    おはようございます。

    鬼塚史観、すごいですね。そしてコメントされている皆様の知識と鋭い検証能力も。とても勉強になります。
    鬼塚史観を今までマスコミがスルーしてきたということは広まってほしくないことなんだろうな、と近頃は思います。むやみに騒いで自爆しないように。時間を取ってきちんと読んでみたいと思います。

    最近久しぶりにフルベッキ写真を掲示板で拝見しました。
    幕末の志士たちと大室が写っていると言われている写真です。
    何でこんな写真が撮られたんだろう、と以前話題になっていましたが、天皇家乗っ取り成功の記念写真では?とおっしゃる方がいてなるほど、と思いました。まるで例の乗っ取り座の集合写真ですが、今の方はかなりトホホな感じ。まず成功してませんしね。今も昔も同じ階級の者たちだったとしても、今の人よりも幕末の人たちの方がまだ品格があったように見えてしまいます。
    明治から偽物だったとしても、裏天皇の祭祀で何とかなっていたのだとしたら、皇室は日本人の映し鏡、逆もまたしかり。今の日本はもう風前の灯なのでしょう。そんな今、安倍政権で本当に良かったと思います。そしてネット上でもこちらや伏見さん始めまともな日本人が立ち上がっています。乗っ取り組に負けてはいられません。

  • 興味深い記事を見つけましたので。
    鬼塚氏とも交流のあった太田龍氏の『天皇破壊史』ダイジェスト記事です。
    以下引用です

    http://mazeranmisogi.jugem.jp/?eid=2284
    漱石が「馬鹿と自惚れと狂気を兼ね備えた病人」と批判したその維新の元勲とは、
    まさにこの伊藤を指す。
    彼は、初代内閣総理大臣であるのみならず、明治二十二年に発布された大日本国帝国憲法制定の中心人物でもあった。
    「大日本帝国憲法は万世一系の天皇、これを統治す。天皇は神聖にして侵すべからず」と記した・・・
    しかしその伊藤自身が慶応二年(一八六六年)十二月、長州忍者部隊を率いて、孝明天皇シイ逆の実行部隊の前線指揮を執ったという。

    孝明天皇シイ逆の首謀勢力は、長州と岩倉、そして伊藤博文の指揮する長州忍者部隊、さらに孝明天皇のお側近くで内通していた主犯は岩倉の妹、堀河紀子で、間もなく岩倉らは証拠隠滅のために、堀河紀子を暗殺せしめたとも伝えられる。
    伊藤の主導下で公布された明治大日本帝国憲法下、初の総選挙によって第一次帝国議会(衆議院)が明治二十三年に選出された。

    山蔭基央(やまかげもとひさ)の山蔭神道機関誌「己貴(めざめ)」によれば、
    このとき心ある公家はその前途を、「今上帝は金帝であろう、しかし、その次の帝は銀帝、その次は銅帝、その次は泥帝(どろてい)、そして五代目は哀帝(あいてい)」と占ったという。
    これをその後の歴史に当てはめれば、明治天皇は金帝、大正天皇は銀帝、昭和天皇は銅帝、
    平成天皇は泥帝となる。そしてその次は哀帝。つまるところ廃帝になると。

    http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/318.html
    >鬼塚氏は天皇家ほど暗殺の影が濃い家系はないと書いています。

    >尚、皇族というのも明治になって量産されたものです。
    >明治政府の連中たち自身も爵位を持ちました。
    >彼ら公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵の素性は限りなく胡散くさいものです。
    >こんな連中のいったいどこが維新なのでしょうか?

    以上引用でした

    天皇家にまつわる「量産された」皇族、公爵家も様々な秘密や不幸に巻き込まれたことは容易に想像できます。
    戦後の皇籍離脱は元皇族自身にも幸福だったのではないでしょうか。

    • 維新の名目であった四民平等といっても、戸籍上ではきっちり差別化されてましたからね。
      士農工商より苛烈な階級社会になり、ごく一部の被差別民が士族に化けて華族になり元勲になり支配層になったという話で、、、
      >戦後の皇籍離脱は元皇族自身にも幸福だったのではないでしょうか。
      ご苦労されたみたいですが、いろいろ学ぶことも多かったのかも。
      まともな方は復帰いただきたいですね。

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