美智子様の影武者②美智子さまたちの耳とピアスの謎
耳について
突然ですが、耳の位置は頭蓋骨の形できまります。
軟骨でできている耳の形もまた、普通は生涯変わらないといわれています。耳たぶも長年重いイヤリングなどをつけ続ければ伸びてくるかもしれませんが、耳の穴の位置は変わらないはずです。個別の判別に使われるのが耳だと聞いています。
昭和天皇の耳
例として昭和天皇の比較画像を載せます。
老帝のほうが、一見耳が大きく見えますが、比較すると同じ大きさになります。
・各パーツを青線で結び合わせます。
・同じ画像の耳の上と下に線を引いて比較してみます。
同じですね。
斜めから見たお顔も変わりません。
加齢して顔の肉が削げると耳も大きく見え、印象も変わるようです。
老帝の耳の上部分が広く広がっているように見えますが、位置的にはそれほど変わらないようです。形ももちろん変ってませんね。
逆に耳の違いから偽物であることがわかる人もいます。
ヘンリー・キッシンジャーさんです。
耳が違いますね。
本物は実はもう死亡しているらしいですね。
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では、ミッチーズの耳をみてみましょう。
ミッチーズの耳
テンプル・ミッチー1号
正田英三郎と正田美智子との間に生まれた長女です。
テンプルちゃんとよばれたそうです。が、ご成婚した正田美智子とは別人のようです。
この子は、耳が頭蓋骨の下部に位置していますね。耳が傾斜してついています。右耳しか写真が拾えないのですが、長い小判型の耳をしてます。耳の位置は頭蓋骨の形と比例しているので、極端に高く移動することはないそうです。
こちらはご成婚した美智子様。
耳が鼻先より上に位置してますね。そして丸い大きい耳をしているふうに見えます。
テンプルちゃんは、中耳炎を患っていたことがわかっていますが、このとき亡くなり、正田富美の愛人っであった、西武グループの創立者・堤康次郎の落胤を背乗りさせたのでは、と推測しています。詳細は後日書かせていただきます。
ご成婚・ミッチー2号
明仁皇太子とご成婚した美智子様です。
耳の下部が鼻先より少し上についています。
ハートを二つに切ったかのような丸みのある大き目の耳です。テンプルちゃんとは違う形をしています。
第二子ご懐妊後、胎児がブドウ状に奇形化したため掻把の手術を行いました。
その後、半年間の長期静養のあと、おそらくは、消息不明です。
美女・ミッチ―3号
1963年3月、第二子ご懐妊するも、胎児がブドウ状に奇形化したため掻把の手術をおこなったミッチー2号。半年の御静養に現れたのが、このミッチー3号です。
ご成婚前後より、正田美智子として活動し画像を残していますが、メインの正田美智子、美智子さまに昇格したのは、長期静養後と思われます。
美しい皇太子妃、ファッションリーダーの美智子様のイメージを作ったのは、この方だと思われます。
平成時代のミッチーズ
平成以降の3人は耳の形が似ています。
3人とも長耳で鼻先より下についた大判型の耳です。同じような形、位置にあります。
3人の耳が似ているのは、同一人物だからというより、耳
の整形をしているからではないかと思われます。頭蓋骨の奥行き、額のカーブ、顎の張りかた、からおそらくは3人別児ではないでしょうか。
耳の整形
昨今、耳の整形は簡単にできるそうです。
※ザウルスさまよりお借りしてます。
http://blog.goo.ne.jp/zaurus13/e/b08786e1eb136e1f07b3bd57616cfbe7
これから紹介する④、⑤、⑥の美智子様たち、ミッチーズは誰かに合わせて整形している可能性があると思います。
平成 二本眉・ミッチー4号
一本眉・ミッチー5号
番外編 女官・ミッチー6号
美智子様として報道もされず認知もされていませんが、よく似た方がおられます。
読者様がメールにて教えていただき、発見できたミッチーです。
この場をかりて御礼申し上げます。
天皇ご夫妻の公務の移動時を撮った一般の方の投稿画像や映像にみられる方です。
2016年ベルギー王来日時、歓迎式典に参列した「美智子様」が、この方ににているのですが、比べてみると頭身がちがいました。
もしかしたら、別の場で「正田美智子」として、公務に出ている可能性があるかもしれません。
あるいは、単に縁故採用された女官なのかもしれません。
このあとに紹介するミッチー7号もまた似ているので、6号と7号が同一か、別人かは微妙です。
ここでは明仁天皇との関係がどうであれ、この女官さんをミッチー6号とよばせていただきます。
天皇を鷲掴み・ミッチー7号
最近、6号とともに発見したミッチーです。6号と同一かもしれません。
肩幅は4号なみに広くスクエアに張っています。
そして、6号なみに、腰の位置がたかく、おそらくは脚が長いとおもわれます。
この方も長めの耳ですが、4号より身長が高いこと。5号より若いこと、から4号、5号とは別人ではないかと思われます。
美智子様のピアス
これなんか比べると、耳の長さが同じ?とおもうのですが、よくみると、若いミッチ―はイヤリング、もしくはピアスをしています。
ちなみに、歴代のミッチ―は、ピアスをするのがお好きみたいで、ミッチー1号、2号も真珠・らしき球形のピアスをずっとしてたみたいですね。同じものかどうかは不明ですが。
これにより、自称「名家」「上流家庭」の「正田家」のお家柄がうかがえるのではないでしょうか・
着物にピアス??
上左の、七五三の写真は、伏見氏のブログで「違和感あり」「変」と、盛り上がってましたが、確かに変です。この小さな子供の耳に穴あけてピアスさせるって違和感がありますね。耳飾りも、クリップ式のようには見えないんですよね。
同じものを、成長後のテニスをしている美智子さまも同じような耳飾りを付けているのですが、テニスするのにイアリング、クリップ式は使わないような気がします。
下の画像の右上は、テニスの試合で何らかの賞をもらったときのお写真ですが、球形の耳飾りをしてますが、激しい運動をするときにつけるのだからピアスだと思います。
よくみると、ピアスホールの跡がありますね。
10代の頃からピアス。女学生なのに??ピアス??遠足にもピアス、テニスにもピアス、、、聖心女学院の女学生がピアス。
白っぽい球形のピアスがお気に入りだったみたい。
変なのー。
コメント欄より
でれでれ草様 いつもハッとさせられる記事をありがとうございます。
美智子夫人まで一人ではなかったなんて驚きです。でも、見る度に印象が変わる不思議な感じは以前から受けていました。 余り細かい部分まで見ずに、ざっと見て受けた印象ですが、 女学生時代からご成婚の頃のもっさりした骨格のミッチーと流産御静養後のちょっとキレイで細めの骨格のミッチーは明らかに別人のように見受けられます。そして、細めのミッチーはうっすら白人の血が入っているようにも見えます。(フミさんの系統が濃く出たか?)
あと、フィリピンでレイをかけてもらった時の笑顔。こういう笑い方はコリアン女性がよくするように思いました。 皇室の方はピアスなどしない、とのこれまでの通説を信じていましたのでこれも驚きでした。それにしてもあの年齢で(10代のうちから!)ピアスとは東京でも相当珍しいと思います。
関東では横浜元町のスタージュエリーが1946年に販売を始めたのがピアスの普及の始まりと言われています。創業者は海外との取引の多い仕事をしていた方、開店後も何年も顧客は外国人中心だったとか。
他には華僑のおうちのお嬢さん方も幼少のころからピアスをしていましたね。
昭和50年代に入ってもピアスは一般的ではなく、帰国子女の方も海外ではピアスでも日本帰国後は小中高校生のうちはいったん穴をふさぐか、自宅のみでつけるような方が大半だったと思います。 ピアス一つ取っても「大陸夫人」の影響とかアメリカ人との交流とかを色濃く感じさせるお方ですね。 粉飾の報道ばかりだったのですね。
(ここまで)
あの時代、ピアスの穴をあけている女性は、中国系か、あるいは、パンパンといわれる進駐軍の相手をしていた女性ならありえるそうです。
骨格、身長、など比べてみようと思います。