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つづきです。
第四条
天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。
1912年7月30日 第122代:明治帝崩御
明治天皇(めいじてんのう、嘉永5年9月22日(1852年11月3日) – 明治45年(1912年)7月30日)は、日本の第122代天皇。諱は睦仁(むつひと)。御称号は祐宮(さちのみや)。お印は、永(えい)。倒幕・攘夷派の象徴として、また近代日本の指導者と仰がれた[誰によって?]。その盛名により戦前・戦中には明治大帝、明治聖帝、睦仁大帝(Mutsuhito the Great)とも呼ばれた。
09月13日大喪の礼
明治帝御製
わが國は神のすゑなり
神まつる
昔の手ぶり忘るなよゆめ
目に見えぬ
神にむかひてはぢざるは
人の心のまことなりけり
世界に於ける天皇崩御
明治天皇の崩御は世界各国で報道された。
これは、維新によって世界に窓を開いた日本が、わずか四十五年の間に世界列強としての地位を確立し始めたことを意味する。(略)
各国別全二十八章二十余国からなり、そこには、イギリス、フランス、ドイツ、アメリカはもとより、中国、インド、ベルギー、スウェーデン、ペルーなど世界各国をはじめ、ハワイ、ブラジルなど日系移民と関わりの深い国、在中国外国人の論調まで掲載されている。
イギリスは「王朝の臣民として能く日本の君民関係は理解」、
フランスは「血を以って革命を贖いたる国民なるを以って、神聖なる君主政体と立憲政体の一致とは不可能なる如し想像し、民主主義に重きを措くの先入観あり」、
ドイツ、オーストリア、ハンガリーは「深奥なる哲理思想なる国民として多くは、大帝陛下の御治績を科学的分析的に研究」とした。
ロシアは「沈痛懐疑の口調の中にも能く先帝陛下が常に恋々として平和を愛したる御真情を解得」、
アメリカは「其建国の事情を異にし、自ら我が君臣の関係を知らず」さらに、フィリピンに対して、共和国でありながら明治天皇のために挽歌をつくり、「祖宗神霊の御加護を失ふ国民は滅亡すべしと謳える如きは最も味ふべき点」と述べ、また南米諸国も共和国であるが、「我が国体の崇高さ」や「先帝陛下の叡聖」などを「憧憬仰慕」として感心していると述べた。
そして、トルコ、インド、ペルシャ、アフリカなどのいわゆる「有色人種」の間では、「明治大帝は亜細亜全州の覚醒を促し給いたる救世主」と賞賛し、「侵略に対してきことして之を防遏」、「土民に事由制度を許した」と明治天皇を高く評価したことを特記した。
日露戦争がその背景にはあったのだが、当時日本に併合されていた朝鮮などの論調は敢えて掲載されていない。またこれは、1928年(大正15年)12月の大正時代の終わりにあたっても再刊されており、明治という時代がいかに誇りであり、明治天皇の影響がいかに甚大であったかがわかる。
1995年11月10日 123代天皇:大正天皇即位
大正天皇(たいしょうてんのう、1879年(明治12年)8月31日 – 1926年(大正15年)12月25日)は、日本の第123代天皇。諱は嘉仁(よしひと)。幼少時の御称号は明宮(はるのみや)。お印は壽(じゅ)。明治以降で初の一夫一妻制を採った天皇。
晩年
1922年(大正11年)4月にイギリスのエドワード王太子が訪日し1か月近く滞在した際、天皇の病状を憚った日本側は天皇と王太子の面会を設定しなかった。
一方、6月20日には皇太子と良子女王(香淳皇后)の結婚の勅許を下している。
その後、日光・沼津・葉山の各御用邸で転地療養を続けていたが、1926年(大正15年)11月に病状悪化が進み、同年12月25日午前1時25分、静養中の葉山御用邸において、長く会えなかった実母・柳原愛子(二位局)の手を握ったまま心臓麻痺により崩御。
宝算48。
臨終の床に生母を呼んだのは皇后の配慮だったという。
崩御後には「大正天皇」と追号され、1927年(昭和2年)2月8日、天皇として史上初めて、関東の地にある多摩陵に葬られた。
毎年12月25日には大正天皇例祭が行われている。
1926年12月25日:崩御
1927年2月27日:大葬の礼
124代天皇:昭和天皇即位
昭和天皇(しょうわてんのう)
1901年〈明治34年〉4月29日 – 1989年〈昭和64年〉1月7日)。
日本の第124代天皇(在位:1926年(大正15年)12月25日 – 1989年(昭和64年)1月7日)。
諱は裕仁(ひろひと)。
幼少時の称号は迪宮(みちのみや)、お印は若竹(わかたけ)。
1989年1月7日:天皇崩御
1989年2月24日:大喪の礼
1981年(昭和56年)4月17日・報道各社社長との記者会見
記者:八十年間の思い出で一番楽しかったことは?
天皇:皇太子時代、英国の立憲政治を見て、以来、立憲政治を強く守らねばと感じました。しかしそれにこだわりすぎたために戦争を防止することができませんでした。私が自分で決断したのは二回(二・二六事件と第二次世界大戦の終結)でした。
125代天皇:今上即位
明仁(あきひと、1933年(昭和8年)12月23日 – )
日本の第125代天皇(在位:1989年(昭和64年)1月7日 – )である。
平成時代においては「在位中の天皇」を意味する今上天皇と呼ばれる。
昭和天皇(第124代天皇)の第一皇男子。
母は香淳皇后。大正天皇の孫にあたる。
御称号は継宮(つぐのみや)。
皇室典範に定める敬称は陛下。
お印は榮(えい、文字がお印。勲等は大勲位。
つづきます