秩父宮雍仁親王➃父・大正天皇、大室顔と大隈顔、

小室圭と婚約した眞子様はニセモノ




公開されている写真から、大正天皇ご夫妻には影武者らしき存在が確認できる。影武者制度は、皇統をまもるため有事の時に備えるための制度だったと思われるが、戦後、代理人である影武者たちの暴走が止まらない。

①勝手に活動を行いそれを公務として報道している、➁勝手に影武者が婚約会見を行い皇族の配偶者を決めた、③偽物が愛子さまになりすまして女性天皇になろうとしている。
公開映像、画像などオープンソースを中心に検証しています。


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続きですが、、、

疑惑・大正天皇と大正天皇の実父は大隈重信

大正3年、第一次世界大戦が勃発し、日英同盟に基づいて参戦。勝利国になります。

このときの宰相が大隈重信なんですね。

首相・大隈重信、外相・加藤高明は、8月15日の御前会議で参戦を決定しました。大正天皇はこれを強く支持しました。旧時代の怪物・山県有朋が猛反対したのにもかかわらず、です。

大隈重信、、、そうです。大正天皇の実父じゃないのかといわれている人です。

大正天皇と大隈重信。肖像画である可能性があるのですが、本人に似せて書いているものどうし並べるとやはり似ています。

仮に、このお二人の関係が真実の親子だとしてみましょう。平安時代の摂関政治は、天皇の外戚が要職を独占し行政を切り盛りする体制でしたが、大正天皇即位後は、それににた体制になっていたことになります。

「元老」山県の圧力による大隈重信の辞職、そして、皇太子・裕仁派による大正天皇を「ご病気」とレッテル貼っての追放と暗殺が事実なら、

「英国派&大正天皇と実父による親政」対「アメリカ派=山形&裕仁天皇と実父西園寺派」の対立、

という、今までと違った光景が見えてきます。

そして、大正天皇は虚弱で精神疾患をもっているという印象操作を拡散させ、摂政裕仁皇太子に実権がうつった様は、平成の生前退位のプロセスと驚くほど似ています。

 

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疑惑・大正天皇もまた、複数いたのかもしれない

こちらは大正天皇ですが、、、

①②は同一人物、➃は身長がちがう別人かもしれませんね。➃が正面を向いて顎を出し気味にして直立しても、①②にはならないのではないかと思います。

 

⑤は、細部を見る限り、肖像画だと思うんですね。貴人の顔をちらりと見てスケッチしたあと、後日、トルソーに装着された貴人の装飾品や衣装をみながら画家が描いたものだと思うんですが、。

 

①②は大隈重信に似ており、

 

➃は①②より、かなりの長身で、風貌は大室寅之助に似ている気がします。

おおざっぱですが、頭部の大きさを合わせて並べてみました。➃が背筋を伸ばして直立すると、①②より10センチは少なくとも高くなりそうです。

というか、最初この写真を見たとき、明治天皇が孫を連れているのかなと思いました。大正天皇なんですね。このかた。

 

中央と右の明治天皇は肖像画と思われますが、左の大正天皇を画家が美化して描いたら、中央と右の顔ににたものになりそうです。髪もくせ毛ですし。

 

大正天皇の御真影(肖像画を写真におさめたもの)は、いずれも、左右で片目ずつちがう形をしていますが、、

A大隈顔と、C大室顔を合わせて、Bの肖像画のテンプレとして御真影を生産してたのかな、、、、、とか、考えてしまいます。

Aの大室顔の大正天皇は徳仁2号のように剛毛くせ毛ですね。

大陸の異人種の血がはいってそうです。

大正天皇はほんとうに「虚弱」で「精神疾患をもつ狂帝」だったのかどうか、鬼塚史観のフィルターで見てみたいと思います。

続きます

 

ニセモノが天皇に即位?