似ているから困る「プーさん&キンペー」「大正天皇&大隈」
本日もお越しいただきありがとうございます。
一時、中国ではクマのプーさんをネットから締めだしたとか。なんでも、プーさんがキンペーちゃんに似ているので困ったらしい。
たしかに、どのショットを使っても似ているのね。
ここではじめて、安倍ちゃんがロバに似ていることに気が付いたわ。うん、2人とも似てる。
というか、キンペーちゃんのぷーさんオーラがあまりに凄いので、となりにたつと、皆ディズニーキャラになるのかも。
ジョークすら寛容になれない了見の狭さ、中共のこういう辛抱のなさが、後進国なのよね。
Sponsored Link
鬼塚史観によると、
1明治天皇は、偽物とすり替わった。
2大正天皇には子供をつくる能力がなく、あるいは種がなく、4人の親王は大正天皇の子ではない。
3昭和天皇の父は西園寺、
秩父宮の父は東久邇、
高松宮は有栖川の宮と女官の間の子を養子にした。
三笠宮の父は貞明の最愛の男性だった牧野宮内相。
また、貞明は堕胎したことがあるという証言があり、陵にある「流産した子供」のための土饅頭がそれだそうな。
さらに、大正天皇が病床にふしているときに、男子を一人産んでいて、「皇太后の息子」のために就職の世話をたのまれていたという資料が残っている。このどうしても生みたかった男子の実父が牧野だと思うのだけどな。
管理人としては、三笠宮の実父が大正天皇でないなら有栖川宮系の人だと思ってるのよね。
本人が有栖川宮に似ているし、三笠宮の次男と三男の長女に似ているから。
左・有栖川宮幟仁親王、右・三笠宮崇仁
左は高円宮承子。右は有栖川宮威仁親王。
左は有栖川宮威仁親王。右は桂宮
大正天皇も明治天皇の実子ではなく、大隈重信ではないのかという説もあり、、、
それがまた、似ているので、困る。
ほんとうに、困る。
昔の読んだ本のなかに、増上寺の改修にしたがい、納められている貴人の遺体、徳川7代目徳川家継の生母月光院、徳川家茂、徳川家茂に降嫁した和宮などの遺骨を検証したときの記録が書かれてたわ。
徳川家茂は虫歯だらけだった。実際に甘党で、京都で病床に伏したとき、正室の和宮からは葛、砂糖などの甘いものが見舞いとしておくられていたらしい。
印象的だったのは、日本の貴族の顔のテンプレが決まっていたことですね。
・顔の幅が狭い、面長な顔立ち、
・鼻根がたかく鼻が高く通っている、
・顎が後退しがちで、奥歯の機能が劣化している(柔らかいものばかり食べるため)、
偽物すり替え説もある和宮の頭蓋骨と奥歯の劣化ぐあいをみるに、すくなくとも頭蓋骨の主は、代々貴族であった証だろうとのことでしたね。
初代の家康は肖像画をみるかぎり丸顔のおっちゃんでしたが、だんだん、地位が安定し貴族かするにしたがって徳川宗家も面変わりをし、将軍家の方々も徳川時代も後期になると、公卿のように、顔の幅が狭く、鼻が高く、顎が後退しているお公家さんの顔になってきていた、というのがわかり面白かったです。
左は孝明天皇、右は14代将軍徳川家茂。
左は伏見宮貞愛親王妃で有栖川宮幟仁親王の四女。出雲に嫁いだ女王さんにちょっと似ている気もします。
右は昭。皇太后(一条美子)、肖像写真だとおもわれるので、どれだけ現実の皇太后にちかいかはわかりませんが、特徴は押さえて描いているはず。
7代将軍の生母月光院の頭蓋骨の鼻根は西洋人なみに高かったそうです。写真でみましたが、たしかに鼻根が高く盛り上がってましたね。
天然痘で25歳で亡くなった家定の最初の正室の鷹司氏の頭蓋骨も、顔の幅が狭く、鼻根が西洋人波に高く盛り上がっていて、大変な美人だったのが頭蓋骨から伺えました。
顔の幅が狭く、顔がたてに長い長方形の形をしていて、浮世絵で書かれていた当時の美人そのまんまの頭蓋骨でした。
そういう形の美人がこのまれて権力者の寵を得て、子供を産んだんでしょう。
皇女和宮も、徳川家茂の頭蓋骨は、双方、同じように顔の幅が狭く鼻が高くとおっていて、、、という顔だったので、血縁関係はなかったでしょうが、風貌は夫婦で似ていたと思います。
で、気になる写真。
岩倉具視。公家とされていますが、、、ほんとに公卿だったでしょうか。
貞明さんが、九条家の姫ではなく、中国人、朱貞明だったというのが妙に本当臭いのは、その性質もさることながら、日本の貴族とはかけ離れた顔なんですね。この方。
大正天皇の生母・柳原愛子、、、丸いですね。顔。貴族のなかでもいろんな顔があるであろうことはわかるのですが、妙にカメラ目線なのが、今日の皇室コンパニオンに通じるものがある気がします。
wikiでは昭和天皇に風貌が伝えられていて、、、なんてことが書いてましたが、似てないし。
貞明皇后も2人いた、という説もありますが、ひとまず保留にしてます。違うとされている写真が、肖像写真である可能性もあるので。
貞明皇后が皇太子妃になってから、ずっとサポートしたのがこの柳原愛子だったそうですが、柳原愛子がなくなるとき、愛子の手を握って、
「私がこれまでこれたのは、あなたのおかげ、、、」
と貞明が感謝していたそうです。一方では九条家の生母とされている母親の死去に関しては無感動無関心だったそうで、つまるところ、貞明は九条家とは他人だったようです。
管理人が思うに、柳原愛子と貞明との綿密な連携と愛情は、病弱な大正天皇と皇室を支え合った仲間、そして姑と嫁の愛というより、同じ立ち位置から来て、同じ役割をし、同じ罪を背負う仲間だったからかな、と。あくまで想像です。
明日、明後日と私用のため更新がとまります。
本日は、連休の最終日ですね。関西では秋晴れの気持ちのいい天気です。
いい日になりますように。