美智子さまの真実④小和田雅子

小室圭と婚約した眞子様はニセモノ




公開されている写真から、大正天皇ご夫妻には影武者らしき存在が確認できる。影武者制度は、皇統をまもるため有事の時に備えるための制度だったと思われるが、戦後、代理人である影武者たちの暴走が止まらない。

①勝手に活動を行いそれを公務として報道している、➁勝手に影武者が婚約会見を行い皇族の配偶者を決めた、③偽物が愛子さまになりすまして女性天皇になろうとしている。
公開映像、画像などオープンソースを中心に検証しています。


※影武者制度、タブーなど、皇室記事一覧

※最近の皇室記事一覧

美智子さまの真実④小和田雅子の入内

※美智子さまの真実③-1からの続きです。

実は被災地に無関心な皇室

ニュース画像をとるときだけやってくる平成皇族たち

阪神大震災が発生したのにもかかわらず、皇太子夫妻が中東へ出発。

あいさつに来た皇太子夫妻を叱りもせず、責めもせず、止めもせずいかせたのは、だれもない天皇陛下と美智子様。海外の王族たちからも非難されたようだけど、天皇皇后も、同罪ですよ。

・訪問先の王妃に、「帰国したほうがいい」といわれ、むくれている雅子さん。

・ラクダレースでバカ笑いする雅子さん。

・紅白のめでたい祝いのドレスで現れる雅子さん。

そして、後年、皇太子が予定を切り上げて帰国したので、「死海が見れなかったの残念でした」と発言。

 

Sponsored Link



wiki

1998年(平成10年)、インドで開催された「国際児童図書評議会 (IBBY)」に際してビデオによる講演を行い、日本武尊の妃弟橘比売の吾妻における入水の物語などを引いて、成婚以来の胸中を語った。

 

日本の犠牲は怖い。カトリックの教祖の犠牲は尊い、、のかしら。

 

wiki

2002年(平成14年)、スイスで開催されたIBBY50周年記念大会に、IBBY名誉総裁として出席し祝辞を述べた。これが唯一の単独での海外公務となっている。

 

何しに行ったか不明。スイス銀行へなにか預けたのかしら。そういえば、最近つけていない、ティアラがありますね。

 

wiki

2002年(平成14年)10月20日、皇后の誕生日に際し宮内記者会の質問に対する文書ご回答で次のように北朝鮮による拉致問題についてコメントした。

「小泉総理の北朝鮮訪問により、一連の拉致事件に関し、初めて真相の一部が報道され、驚きと悲しみと共に、無念さを覚えます。何故私たち皆が、自分たち共同社会の出来事として、この人々の不在をもっと強く意識し続けることが出来なかったかとの思いを消すことができません。今回の帰国者と家族との再会の喜びを思うにつけ、今回帰ることのできなかった人々の家族の気持ちは察するにあまりあり、その一入(ひとしお)の淋しさを思います」。

 

拉致被害の発端は、よど号事件からはじまってるのね。そして、美智子皇后の正田家の発祥の地でる群馬ともかかわりが深いです。

正田家(群馬の豪商)
正田貞一郎 – Wikipedia

群馬県館林はにおいて「米文」の名で米問屋を営み、明治に入って醤油醸造に従事した。

正田家は代々「米文」の暖簾もとに米問屋を家業とし、上州館林および近郊きっての富商であった。「米文」の名声は江戸はいうまでもなく大阪方面まで聞こえていた。

弘化のころには名主の職にあり、名字帯刀を許されていた。

(ここまで)

 

別の視点からの正田家の検証

http://jfcoach.blog49.fc2.com/blog-entry-194.html

下記の部落問題・人権事典ー群馬県のサイトによると、正田家の祖先が仕えた新田家のあった場所は部落であったとあります。

それは別に問題ではないと思いますが、家系がまるまる反日工作員とおもわる節があること、そして、犯罪性が高いことが問題です。

正田と群馬の関係

http://www.blhrri.org/jiten/index.php?%A1%F6%B7%B2%C7%CF%B8%A9

上原善広というノンフィクション記者が「実話ナックルズ」という雑誌で下記のように指摘したように、部落出身である可能性は高いと思います。

雑誌『実話ナックルズ』にて『JDT 日本の路地を歩く』という連載を執筆しており、2004年7月号に発表した「群馬県T部落」で群馬県の未指定地区を取り上げ、「ここから女性が一人、皇族に嫁いでいる」「ここは女性が皇族へ嫁いだため、行政から同和地区指定されなかった。 指定を受けると部落とわかってしまうからである」「皇族は過去の身分上、最高位にいる。その彼らが過去の身分上最底辺の部落民と結婚するなどということは、身分社会の崩壊を意味している」と書いた。

(ここまで)

 

群馬と福田の関係

福田 赳夫首相(群馬県出身)

福田赳夫 – Wikipedia

福田家は江戸時代は名主を務めた地元の名門であった。

(略)

1977年(昭和52年)

同年に起きたダッカ日航機ハイジャック事件では「人命は地球より重い」として犯人側の人質解放の条件を飲み、身代金の支払いおよび、諜報的措置として6人の刑事被告人や囚人の引き渡しを行ったことで、テロリスト脅迫に屈したと国際的な批判を浴びることとなった。

この後北朝鮮よる拉致が急増した。

(略)

1978年(昭和53年)10月23日、鄧小平副総理を日本に迎え、「日中平和友好条約」に調印。

福田康夫(群馬県)

1976年1月に会社を退社し、衆議院議員秘書となり、1977年12月から1年間、父・赳夫の内閣総理大臣秘書を務める。

事務担当秘書官には、保田博、棚橋祐治、小和田恒らがいた。このことで、議員になる前より外務省にパイプができた。

秘書官として、日中平和友好条約へ向けた中国、アメリカとの舞台裏交渉に関与した。1990年2月に第39回衆議院議員選挙で、群馬4区から出馬して当選。

「福田家は江戸時代は名主を務めた地元の名門であった」

名門でもなんでもなく、どうも部落の出身みたいですね。

それは問題ないのですが、代々、筋金入りの中国工作員というのが問題です。

 

福田と小和田の関係

小和田(新潟出身・福田の秘書・雅子の父)

1932年(昭和7年)、新潟県新発田市に生まれた。小和田毅夫、静夫妻の次男で、八人兄弟の四番目にあたる。本籍地は新潟県村上市。

(略)

外務省官房長だった1988年に創価学会からの要請に応じて、池田大作名誉会長らの外国訪問旅行に便宜供与を図ったとして、国会で追及されている。評論家の渡辺昇一は、中曽根内閣の時に小和田が「日本の外交は、東京裁判を背負っているハンディキャップ外交である」と答弁したことを、「国賊と言ってもいいでしょう」と強い調子で非難している。

(ここまで)

 

小和田家は、三代前から遡れない不思議な家系

 

小和田家とよど号犯人の関係

よど号ハイジャック犯(新潟出身・小和田の近所に住んでいた)

小和田家とは隣どおしの関係。

よど号ハイジャック事件の後から、北朝鮮による日本人拉致が頻繁に起こります。

よその国の人間が勝手に乗り込んできて、市民をさらっていく。

でも、政府は現在まで、やる気なさげで、スルーを続けます。

加害者側は、恐喝、ゆすり、麻薬密売と人身売買しか能のない、世界貧困国家で、人権弾圧国家。日本は、世界第二位、アジア随一の経済大国。しかし、言いなりです。北朝鮮の下座にいるかのようです。北朝鮮は日本にとって、アメリカにおけるイスラエルになったのでしょうか。

横田さん「政府は弱みを握られているのではないでしょうか」

なんの弱みでしょうか。

よど号ハイジャック犯と、自民党の実力のある議員がグルになってて、キックバックをもらってたとか、、

自民議員で山分けしたか、、、、??

そういえば、金丸という爺さんの金庫からは、北朝鮮の金塊がでてきたましたね。

一時期、朝鮮系キリスト教団の統一教会が、自民党に秘書を無料で派遣してましたね。

いっぱい、北朝鮮から貰い物があったみたいね。

 

福田家と小和田雅子のつながり

福田「雅子ちゃんを、皇太子妃にするよ」

有名な話で、まだ、雅子さんが、おてんばなお子様だったころ、福田がそういったらしいですね。

当時、比類ない霊能者だった藤田女史が、「雅子さんは皇太子妃になれる」預言したとか。藤田女史は、安保闘争の結果や、岸首相の引退、周恩来の死など、数多くの予言を的中させた霊能者でした。

しかし、預言には「皇太子妃になれるが、皇后にはなれない」というおまけがついていました。

藤田女史の予言をあてにして、福田は、評判の悪い小和田恒を出世させ続け、小和田雅子を皇太子妃候補に相応しい釣書造りに協力します。

小和田優美子は、ご婚約会見では、「福」という字をあしらった帯でいどみました。帯は借り物だったのか、あるいはおそろいだったのかは不明ですが、福田家との関係の深さと忠誠心が現れています。

 雅子さんの家系調査が入ると、なぜか、部落解放団体からクレームがきたそうです。つまり、そういうことでしょう。

 

美智子さまと、福田さん、小和田さんつながりは、たまたま、皇室で嫁姑になった、という以前から始まっていないようですね。

ミッチ―と雅子さんは、隠されたところでつながっている「お仲間」にみえます。仲間なので、ミッチ―は、雅子さんを、無条件でかばい続けるのではないでしょうか。

 

wiki

2005年(平成17年)10月20日、清子内親王降嫁前の記者会見では子供たちに対する思いを語り、徳仁親王が優しく、よく励ましの言葉をかけてくれたこと、文仁親王が細心な心配りを忘れない一方で自分が真実を見失わないようにも注意していたということ、清子内親王誕生の折には曇りなき晴天に朝から吉兆を感じたこと、清子内親王のおおらかでのどかな性格などを回想しつつ語った。婚礼の朝には、民間へ降嫁する愛娘を気遣い、抱きしめて励ましたという。

 

564 名前:朝まで名無しさん投稿日:2011/07/31(日) 15:00:47.56 ID:0IJywSMz
(略)

喜久子妃殿下の件は他に言える方がいなかったし、わざわざ言う気もなかった。

御生家も、勢津子様百合子様よりはるかに高く、終戦直後もキーナン相手に丁々発止。
鎌倉節長官も喜久子妃殿下を頼りにして、天皇家の孤立を何とかしようと橋渡しをお願いした。
紀宮御婚儀の件も、「どうしておあげにならないの」と何度も陛下を詰問された。
他の宮家はだんまり。

難癖付けられ書きかてられるのは御免だったから。

(ここまで)

雅子さんをつかって嫌がらせをしてたところを見ると、気に入らなかったみたいですね。雅子さん一人軽い洋装、バックストラップのサンダル。

美智子さまと、福田さん、小和田さんつながりは、たまたま、皇室で嫁姑になった、という以前から始まっていないようですね。

ミッチ―と雅子さんは、隠されたところでつながっている「お仲間」にみえます。仲間なので、ミッチ―は、雅子さんを、無条件でかばい続けるのではないでしょうか。

続きます。

美智子さまの真実③-3清子内親王の結婚

ニセモノが天皇に即位?