雅子様②家系(6)小和田家の家風

小室圭と婚約した眞子様はニセモノ




公開されている写真から、大正天皇ご夫妻には影武者らしき存在が確認できる。影武者制度は、皇統をまもるため有事の時に備えるための制度だったと思われるが、戦後、代理人である影武者たちの暴走が止まらない。

①勝手に活動を行いそれを公務として報道している、➁勝手に影武者が婚約会見を行い皇族の配偶者を決めた、③偽物が愛子さまになりすまして女性天皇になろうとしている。
公開映像、画像などオープンソースを中心に検証しています。


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雅子様②家系(6)小和田家の家風

ソ連文書からみるスパイ小和田夫妻

続きです。

1967年モスクワ

※こちらより転載させていただいたうえに、編集しています。

【武器輸出三原則違反】犯罪人的発想

雑誌正論2008年1月号 佐々淳行

カンボジア総選挙国際監視団に日本の文民警察を派遣するとき、装備として拳銃と若干の小銃、それに防弾チョッキを持たせようと提案したら、外務省の小和田恒が、
「丸腰で行け! 装備をもたせると、帰るときに売っぱらい、武器輸出三原則に違反するから」と言い放った。
日本の警察をバカにしたような発言に驚いた。

以上

※帰るときに売っぱらい、、、その発想は堅気の日本人にはない(管理人)

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【論文紛失】国費留学しつつも、博士号はとっていない。

ニューヨーク大学での対談形式でのレクチャーのマニュスクリプトP8

ケンブリッジ大学が賞をくれて、その上で博士号コースを続けていた3年目。

ケンブリツジを離れる頃には論文をほとんど書き上げていたけど、もう少しいいものにして、それから提出したいと思った。
そこで、日本に戻ってから仕上げようと決めた。
いずれにしろ私は(日本)政府から派遣された身で、その時はもう日本に戻らなければならなかったから。
当時は全て船便で送らなければならない時代だったから、私も自分の物を船便で送ったら港でトランクが1つ紛失。
それには服や本などと一緒に大事な学位論文の原稿が入っていた。
トランクは二度と見つからず、ゆえに私は博士号を取る機会を失ってしまったのです。

以上

※博士号をとっていないいいわけが、陳腐すぎる気がする。(管理人)

 

機密費横領

防衛省OB太田述正メルマガ「小和田恆さんいい加減にしなさい。」

皇太子殿下の嫁の実父という立場にある君は恐れ多くも、皇太子殿下を利用し、次から次と悪事を働いて来ましたね。
ある時は、後藤田正晴氏と組んで想像も付かないような恐ろしい悪事を企てましたね、
元日銀総裁の三重野康氏を使って実行した事は日本国の信用を著しく損ねたのみならず、皇室の尊厳を著しく傷つけました。
それに懲りずに今度は武藤敏郎日銀副総裁(当時)、飯島勲(元小泉総理秘書)、等と組んで小泉純一郎氏を巻き込み某国の大統領にまで手を延ばして、恐ろしい事をしましたね、その時も恐れ多くも、皇太子殿下を欺いて利用しましたね。

【日銀総裁の座を狙っていた小和田恆氏】

何故小和田氏は日銀総裁の座を狙ったのか、それは国連大使、オランダハーグの国際司法裁判所判事と歩んできた最後の仕上げであった。
今、小和田氏は武藤総裁を実現して最後の賭けに出ようとしている、
これは皇室に災難をもたらす、あまりにも無謀な恐ろしい暴挙であると言わざるを得ない。小和田氏自身のみならず皇太子殿下にも災難が及ばないとも限らない。

このうえは天皇陛下の御英断を煩わせる他にないのか?
小和田氏はかねてソヴィエットロシアの大使館に勤務していた時、北朝鮮の工作員と接触しましたが、その時利益供与を受けたという疑いが某国の諜報機関に持たれています。
いづれにしても、小和田氏の信用と評価はアメリカでは最悪であり、EU諸国に於いても最低だと言われています。
自らの立場を猛省されて身を処されたらよいのではないか。

以上

 

ソ連共産党日本人工作員のなかに、小和田夫妻の名前が??

ソ連共産党・日本人工作員

70年2月26日に、ソ連共産党政治局は、日本社会党とその機関紙に助成金を支給 するために、合計10万ルーブル(当時、3571万円)の支出をKGBに承認し た。類似した助成金は、毎年払われたようだ。

たとえば、72年に支払われた10万ルーブルのうち、6万ルーブルは政治資金とし て各議員個人に渡された。

1万ルーブルは日本社会党とソ連共産党の交流資金、2万ルーブルが日本とアメ リカおよび中国との関係に打撃を与えるアクティブ・メジャーズ工作資金、1万 ルーブルが日本社会党に公明党や民社党など他の野党と提携させないためのアク ティブ・メジャーズ資金として使われた。

社会党最高幹部と自民党大物議員

▽勝間田清一コードネームはGAVR。

彼は66年の日本社会党書記長選挙の次点者で、74年 にその党内地位を強化するために400万円をKGBから受け取っている。 KGBでは社会党中道派のリーダーと評価されていた。

(※ミトロヒン文書に勝間田氏の名前はないが、後にレフチェンコ氏が GAVR=勝間田氏と断定した)

▽佐藤保 コードネームはATOS。

社会党左派(マルクス主義派)のリーダーで、4つ の党刊行物の責任者だった。KGBファイルには、佐藤氏が日本社会党機関誌に 記事を掲載するための資金として73年10月に40万円をKGBから渡した記録がある。

(※ミトロヒン文書に佐藤氏の名前はないが、これも後にレフチェンコ氏が ATOS=佐藤氏と断定)

▽ALFONS(実名不明)

社会新報に記事を書いていた。72年に250万円受け取っている。KGBファ イルには、社会新報に記事を書くために15万円が支払われた記録もある。

▽DUG(実名不明)

日本社会党委員長に非常に近かった社会党員。選挙資金として72年に39万円を 渡された。

▽DIK(実名不明)

選挙ビラとポスター制作費として72年に20万円を支給された。

――それ以外にも、社会党でKGBエージェントとファイルされていたのは以下の 通り。

▽JACK(キリル文字でDZHEK/実名不明)

73年からエージェント。社会党議員。

▽伊藤茂コードネームはGRACE。

社会党議員で党中央委員会のメンバー。おそらく 75年よりエージェント。

(※ミトロヒン文書に伊藤氏の名前はないが、これも後にレフチェンコ氏が断 定。レフチェンコ氏はその他に、ミトロヒン文書に出てこない2人の社会党員 「RAMSES」と「TIBR」の存在も断定している)

▽DENIS(実名不明)

江田三郎・社会党書記長の親しい側近。

▽KING(実名不明)

後に日本社会党の幹部となった。

▽KERK(実名不明)

勝間田派議員。KGB東京支部と日本社会党執行部のコネに重要な役割を果たした。

▽上田卓三・社会党議員

親ソ派の学者で「山本」という人物が、KGBの協力者として議会で影響力を行使したという。「山本」がリクルートされたのは77年。以後、彼はKGBの意に 沿うような国会質問が出るように議員に働きかけた。

▽石田博英・元労相(自民党幹部)

▽「HOOVER」自民党幹部の石田博英・元労相

石田氏は73年2月に「日ソ友好議員連盟」(コードネームはLOBBY)の代表 になり、同年の8月~9月の訪ソ団の団長となった。この訪ソ団は17年ぶりの日 本国首相の訪ソとなる田中角栄首相訪ソの直前に行なわれた。石田氏がソ連中央 で重く扱われるようにKGBが裏で支援した。

石田博英氏は70年代を通じて日ソ友好議員連盟を足がかりに、「影響力のエー ジェント」として使われ続けた。

77年には、KGBの要請に基づき、彼は個人的に福田赳夫首相に意見した。

※福田赳夫は小和田恒の親分

モスクワの日本大使夫妻がソ連反体制派と接触し、「歓迎されざる人物」になっ たから、日本に呼び戻すようにということだった。

※モスクワの日本大使夫妻=小和田恒で間違いないと思います(笑)

09 Jun 1993 — PRESS CONFERENCE WITH THE PARENTS OF MASAKO OWADA — Image by © HARUYOSHI YAMAGUCHI/CORBIS SYGMA

▽田中角栄の側近だった「FEN」

角栄秘書『フェン・フォーキング』はこの中に?

曳田照治 榎本敏夫 山田泰司 田中利男 遠藤昭治 田中勇 高鳥修 佐藤昭 子 早坂茂三 麓(ふもと)邦明 古藤昇司 朝賀昭 工藤節子 中村喜四郎

本間幸一  小長啓一 桜井新 小谷兄弟  樺沢 城谷 片岡憲男 井上孝

高橋国一郎 下河辺淳 小野吉郎 西村尚治 長田裕二 山下元利 林義郎

大村襄治 両角良彦 小長啓一 後藤田正晴 秦野章

 

政治家『フェン・フォーキング』はこの中に?

木村武雄 西村英一、橋本登美三郎。二階堂進、小沢辰男、久野忠治

愛知揆一、木村俊夫 江崎真澄、小坂徳三郎 後藤田正晴 山下元利

小沢一郎 小沢辰男  渡辺紘三 高島修  西村英一  橋本登美三郎

木村武雄  植木庚子郎 足立篤郎 原田憲 亀岡高夫 前田正雄

金丸信 竹下登 橋本龍太郎  小渕恵三 田村元 小坂徳三郎

林義郎 大村襄治  羽田孜 梶山静六  渡部恒三

奥田敬和 高島修  佐藤恵  石井一  綿貫民輔

斎藤滋与史  中山利生 佐藤守義 稲村利幸  野中英二

有馬元治  浜田幸一

▽自民党議員の「KANI」→金丸信?

 

マスコミの記者

日本社会党機関紙以外に5人の一般マスコミの記者が特定。
・朝日新聞の「BLYUM」

・読売新聞の「SEMIYON」

・産経新聞の「KARL」(またはKARLOV)

・東京新聞の「FUDZIE」

・社名不明な主要新聞社の上級政治部記者の「ODEKI」

▲ジャーナリストの「ROY」=「ARES」(同一人物)

日本の防諜機関上級幹部の「KHUN」をリクルートするのに役立った。 KHUNはとくに中国に関する機密情報を提供した。

▲「FET」(あるいは「FOT」)

この人物については具体的な情報はない。

▲山川暁夫・インサイダー編集者

▲サンケイ新聞の編集局次長だった山根卓二氏

(コードネームはKANT)

▲三浦甲子二・テレビ朝日専務

▲杉森康二・日本対外文化協会事務局長

MADE IN RUSSIA―ロシアは何をつくったか 単行本 – 1997/11
森本 忠夫 (著), 江南 和幸 (著), 杉森 康二 (著)

 

2人の日本外交官

■「RENGO」

RENGOはまた、自ら新たなエージェントのスカウト

■「EMMA」

EMMAには、彼女がエージェントになったまもなく、運営者によってハンド バッグが与えられ外交文書の写真を複写するためのミノックスカメラが仕込まれていた。

■「OVOD」→小和田恒

合計6年間のモスクワ勤務の間に2回、ハニートラップに引っかかり、それをネ タにエージェントに仕立て上げられた。

彼へのハニートラップのうち2回目のほうは、MARIANAというコードネー ムのKGBエージェントによって実行された。彼女は、OVODのロシア語教師 として雇用されたが、まもなく男女関係となり、その性交渉時の写真が撮影さ

れ た。OVODはいやいやながらも、KGBに協力することを承認した。

■70年代前半にモスクワに駐在していた電信官「MISHA」

LANDYSHというコードネームのKGB工作員が誘惑したケースだった。

MISHAは、70年代後期に「NAZAR」というコードネームでKGBに運営 されていた東京の外務省本省に勤務する電信官と同一人物である。

■「MARCEL」

MARCELの協力で、「KONUS」というコードネームの自衛隊の駐ソ連の 防衛駐在官もリクルートされた。

 

KGBの科学技術情報スパイ

70年代に日本のハイテク産業と研究所の幹部職にある日本人エージェントは合計16人

◎東京地域のハイテク会社の社長で、「TONDA」

米国の空軍とミサイル部隊のための新しいマイクロ・エレクトロニクスのコン ピュータ・システムに関する重要な機密資料をKGB東京支部に提供した。

◎半導体製造会社オーナーの「TANI」

日米の半導体の機密情報やサンプルを提供した。

◎「LEDAL」日本の大学の半導体研究の責任者。

◎日本のハイテク産業と研究所の幹信技術研究者の「ARAM」

◎通信技術者の「ARGUS」

◎東京大学の科学者である「BRAT」

◎宇宙研究者の「EYR」

◎微生物学者の「KANDI」

◎物理学者の「KARI」

◎宇宙学者の「KISI」

◎日立社員の「RIONI」

◎三菱社員の「SAK」

◎技術専門家の「SOT」、

◎赤外線分光学者の「TAIR」、

◎電子技術者の「TONI」

◎核科学者の「UTI」

などである。

グレーゾーン工作員

※ソ連通でスパイではない?

自民党:鳩山一郎、河野一郎、赤城宗徳、田中角栄、中川一郎。

社会党:成田和巳、石橋正嗣、勝間田清一、飛鳥田一雄、土井たか子、五十嵐広 三、高沢寅男、山本政弘、岡田春夫、岩垂寿喜男、伊藤茂。

その他:三浦甲子二、杉森康二、堤清二、松前重義(東海大総長)、池田大作 (創価学会名誉会長)、千田恒(元サンケイ新聞記者)、秦正流(元朝日新聞編 集局長)、白井久也(朝日新聞記者)、中村曜子(画廊「月光荘」経営者)、長

谷川千恵子(画廊「日動画廊」経営者)、柴野安三郎(札幌日ソ友好会館オー ナー)、岡田茂(東映社長)(以上、肩書きは同書のまま)

ソ連崩壊後、中国共産党、北朝鮮のスパイに転向したものも多いのではないか。
コードネームをつけられているものは、KGB側が認めているスパイ。

続きます。

 

ニセモノが天皇に即位?