世界大戦中、人種隔離を要求した米国、拒否した英国
AFRICAN & BLACK HISTORY@AfricanArchives
バンバー橋の戦い、1943年。 人種差別的な米軍警察がイギリス領土内で黒人の米軍兵士を攻撃した。 米軍当局は町のパブに人種差別を課すよう要求したが、地元の地主らは「黒人兵士専用」と書かれた看板を掲げてこれに応え、彼らを激怒させた。
1943年、第二次世界大戦中、イギリス領土で黒人アメリカ人兵士が白人アメリカ人憲兵と対峙しました。黒人アメリカ人兵士は、世界大戦を戦っていたイギリスにいながら、自国の白人アメリカ人兵士と戦わなければなりませんでした。
なぜかって?ランカシャーのバンバーブリッジという町は人種隔離がされていなかったので、黒人兵士を他の人種と同じように扱っていたが、アメリカでは人種隔離がまだ存在していたので、アメリカ軍は他の国に行って、人種差別的な慣行を採用するよう要求したのだ。
そこでアメリカ軍警察は、黒人兵士が白人と同じパブで飲んでいるのを発見し、彼らを逮捕しようとした。町の人々はそのような扱いに激怒し、パブを「黒人専用パブ」に変えることにした。
これにアメリカ軍は激怒し、銃が乱射され、黒人兵士が撃たれたという知らせがキャンプに広まると、数十人の男たちが群がり、中にはライフルを持った者もいた。真夜中までにはさらに多くのアメリカ軍警察が機関銃を装備した車両で到着
黒人兵士たちはイギリス軍の店からライフルを手に入れるしかなく、他の兵士たちは基地にバリケードを築いていたため、今度はアメリカの白人兵士がアメリカの黒人兵士たちを攻撃することになった。
これにより兵士1名が死亡し、7名が負傷し、32名が有罪判決を受けた。
アメリカでは、自国の兵士と戦っていることが国民に知られて黒人住民の怒りを買い、国の士気が低下することを避けたかったため、戦闘は秘密にされていました。
『FORGOTTEN』という本を読めば、アメリカ軍による黒人兵士への虐待について知ることができます。
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当時の国際連盟で、日本が提案した、人種的差別撤廃提案を拒否したのはアメリカ。
人種的差別撤廃提案
人種的差別撤廃提案(じんしゅてきさべつてっぱいていあん、旧字体:人種的󠄁差別撤廢提案、英語: Racial Equality Proposal)とは、第一次世界大戦後のパリ講和会議の国際連盟委員会において、日本が主張した、「国際連盟規約」中に人種差別の撤廃を明記するべきという提案を指す。
この提案に当時のアメリカ合衆国大統領だったウッドロウ・ウィルソンは反対で事が重要なだけに全員一致で無ければ可決されないと言って否決した。
国際会議において人種差別撤廃を明確に主張した国は日本が世界で最初である。
(Wikipediaより)
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