11月3日明治節・2人の明治天皇

小室圭と婚約した眞子様はニセモノ




公開されている写真から、大正天皇ご夫妻には影武者らしき存在が確認できる。影武者制度は、皇統をまもるため有事の時に備えるための制度だったと思われるが、戦後、代理人である影武者たちの暴走が止まらない。

①勝手に活動を行いそれを公務として報道している、➁勝手に影武者が婚約会見を行い皇族の配偶者を決めた、③偽物が愛子さまになりすまして女性天皇になろうとしている。
公開映像、画像などオープンソースを中心に検証しています。


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11月3日明治節・2人の明治天皇

本日もお越しいただきありがとうございます。

本日は、11月3日、文化の日。明治天皇のお誕生日。明治節でした。

この日は、絶対に晴れるので、空自のイベントはこの日で固定していると聞いている。

明治さんは田布施の偽物でも、いい歌を詠む。霊能者としては上等だったのかもしれなひ。

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若いころの明治さん 身長が180センチ

これは、顔は、お写真っぽい。首が長すぎて、かつ、なで肩ですね、この方。体形が、不自然なので、肖像画の可能性もあるのですが、顔は、こういう顔だったのだとおもいます。

長身の大正天皇に似ているので、大室寅之助さんだと思うんですが、身長が180センチあったそうです。

島津久光のところに連れていかれた、長州の力士隊の大室寅之助さんがこの人かな、と。

 

日本の本当の黒幕(上)』鬼塚英明著より

公卿の三条実美と土方久元(土佐脱藩者)が計画し、中岡慎太郎と坂本龍馬が長州の輝度行員と薩州の西郷隆盛を動かした薩長連合は、大室寅之佑なる者を天皇として新政府を樹立するという密約でもあった。彼らは武士というよりも下層階級、郷士格であって、武家社会で大手を振っていきていける身分ではなかった。「西郷南洲」という芸名は、南朝の菊池氏からきているという。しかし、西郷、大久保利通、樺山資紀、大山巌たちは、鹿児島の加治屋町(現在は鹿児島市加治屋町)という部落で、汚物の処理や清掃、葬式を生業としていた。武士とは名ばかりの、最下層にいる人々であった。

薩長連合は、そうした彼らが長州、薩摩、土佐の大名とは別行動をとったクーデター計画であった。

島津久光は西郷と大久保利通が大室寅之佑を連れてきて、「この男が天皇になります」と告げられた時とき、刀で斬りかかりそうになった。しかし、西郷が「すでに睦仁は死んでおります」と告げたので刀を降ろした。

この逸話は、鹿児島の郷土史家から直接私が聞いた話である。真実だろうと思う。この薩長、そして薩土の秘密連合がクーデターを起こして明治政府が出来上がるのである。大室寅之佑は藩主毛利忠親の知らない間に天皇になっている。いわゆる事後承諾というやつである

(略)

明治の新政府ができてまもなく、十六歳の少年天皇が、我儘をして”元勲”たちのいうことをきかないと、西郷隆盛は「そんなことではまた昔の身分にかえしますぞ」といってしかりつけた。すると天皇はたちまちおとなしくなったという話が伝えられている

転載以上

 

しかし、外人記者が隠し撮りした晩年の明治さんとは、違う気がするんですね。

アングルの違いを差し引いても、別人かな、と。

 

晩年の明治さん 身長が168センチ

団子鼻というのでしょうか、横から見ると、ピンポン玉を鼻先につけたような鼻のようにみえます。

 

双方、リアルに描いた肖像画を写真に収めたものだと思うんだけどね。写真に手を加えたものかもしれませんが、輪郭線が残ってます。

左右、耳もにてますので、仮に左が肖像画であっても、こういう顔だったのだと思います。

亡くなった時、身長を測ったら、168センチだったという記録が残ってますが、それが、この方かな、と思ってるんですね。

ユーモラスで、霊能者で、優れた歌を詠んだのは、この人かな、と。

 

立皇嗣の礼まであと5日

明治、昭和と、霊能者が天皇になり、それなりに国運は上がりましたが、そろそろ、皇統は元の北朝伏見宮系に戻すべき。

まずは、男系が維持されること。

秋篠宮文仁親王、悠仁親王の、立皇嗣、立太子、即位で、皇統断絶、皇室廃止につながる、女系天皇、女性天皇、女性宮家を粉砕していただきたい。

あと、5日で、勝負がきまります。

皇室関係の記事(影武者とかいろいろ)は、また、後日、まとめたいと思います。

 

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明治以後、「天皇制」は、天皇と皇族を神として拝む「朝鮮カルト風」の「天皇教」に変わった。その理由は?睦仁親王が、朝鮮部落民・大室寅之助にすり替わったから?

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