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冷静に考えてみて、皇太子の妻になった小和田雅子のとりえは、若いころの容姿がよかっただけだったようにみえます。
・反日性のたかい隠れ朝鮮系の家系、
・家系調査が入ると部落解放同盟からクレームが来るという不思議な出自、
・創価学会という鳥居がくぐれない宗派の異教徒であり、
・華麗な学歴はフェイクですべて無試験コネで手に入れたもの、
・高学歴エリートどころか、日本語も英語も不自由な頭、
・レベルの低いアメリカの公立高校でも成績がわるく、米国時代のあだ名は「ブレイン」、頭でっかちという意味ではなく、ノータリン、みたいな意味らしい。
・性格は懶惰で怠惰で他罰的、
・公害による大量虐殺犯を祖父にもち、
・健康状態はご成婚前からの重度のアトピー、強度のステロイドを使用、そして、タバコ中毒(妊娠中も喫煙をやめなかった)、
・外務省では不倫をし、アメリカでは同棲相手にトップレス写真をとられ、有名人男性のおっかけをし、多くの男性と同時に関係を持つのが平気な貞操のなさ、
・そして自殺者や重度の精神病をわずらう人間が親族に多数いることから、廃人になるリスクが大きい家系、
など、親王妃に適性があるとかいう問題以前に、日本人の規格外にあるのが小和田雅子。
よくこんな地雷をみつけてきたと感心しますね。
しかし、雅子は運を持っていました。
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昭和の霊能者 藤田女史と雅子の予言
昭和の頃、藤田小女姫(こととめ)さんという当時比類ない女性霊能者さんがいました。
お若いころから霊能少女としてブレイクしており、政財界の要人を顧客にもっていました。
11歳のから、産経新聞本社ビルに一室を与えられ、毎日、ご託宣を伺うために、政財界の大物が訪れていたそうです。
顧客の中には、岸信介(安倍総理の祖父)福田赳夫、松下幸之助、小佐野賢治などの政財界の大物がおり、コンサルタント業をおこして財をなしました。
彼女が的中させたもののなかに、日米安保条約と岸信介首相の退陣、今上天皇の結婚、朴正煕暗殺事件、周恩来の死などがありました。
岸首相は、「日米安保条約は成立するが、あなたは退陣することになる」と藤田女史に予言されていたそうです。
結果はそのとおりになりました。
政治家が霊能者を利用するのは、洋の東西関係なくあることですが、日本の政界の雰囲気がわかるエピソードだと思います。
福田(父)も同じように、藤田女史のコンサルティングをうけていたのは間違いないと思います。
小和田家と福田家
小和田雅子の父の小和田恒は、福田赳夫の秘書をしており、秘書仲間の一人が福田元首相です。
福田家と小和田家とは、一緒にスキーにいったり、雅子が皇太子妃になれそうな気配がでてきたので破棄されましたが、福田(父)首相の孫と雅子が婚約までしたくらい親密な家族ぐるみの付き合いが続いていました。
権力者だった福田父子をはじめ、ある勢力は、小和田恒をひたすら出世させます。
小和田家は、隠れ朝鮮系の家系ですが、福田家の代々も、敵国とのつながりが深そうです。
※転載させていただきます
http://blog.goo.ne.jp/duque21/e/66ab7dd586936847147dbf25b3411143
昨晩、昔の日記(他人が読んでも解らないように英仏語で記載)を読み返していたら、興味深い記述を発見。
記載日は、2002年4月。それは、イギリス大使館のパーティーで、その大使館職員から(恐らく、MI5)から聞いた内容。
カズオ・フクダ(福田康夫)は、中国の筋金入りのスリーパー(a diehard sleeper)。
このスリーパーは、諜報界の隠語で「隠れたスパイ」のこと。
(以上)
小和田恒は、今も昔も性格も悪く評判の悪い人間した。
※転載させて戴いてます。
http://blogs.yahoo.co.jp/yamajinobuyoshi/4718714.html
第32報
小和田恒さんいい加減にしなさい。
君は外務事務次官を退官した後国連大使になりましたね、外務次官経験者は恒例として駐米大使になることになっていたのに異例の事と受け止められました。この時から既に君はある恐ろしい野望を持っていたのですね。
この事は、その後君がオランダハーグの国際司法裁判所の判事に強引になった事でも裏付けられました。この時は既に日本は安全保障理事会の非常任理事国のポストが決まっていたのを横槍を容れ、それを放棄させ引き換えに奪い取ったポストでしたね。
皇太子殿下の嫁の実父という立場にある君は恐れ多くも、皇太子殿下を利用し、次から次と悪事を働いて来ましたね。
ある時は、後藤田正晴氏と組んで想像も付かないような恐ろしい悪事を企てましたね、元日銀総裁の三重野康氏を使って実行した事は日本国の信用を著しく損ねたのみならず、皇室の尊厳を著しく傷つけました。
それに懲りずに今度は武藤敏郎日銀副総裁(当時)、飯島勲(元小泉総理秘書)、等と組んで小泉純一郎氏を巻き込み某国の大統領にまで手を延ばして、恐ろしい事をしましたね、その時も恐れ多くも、皇太子殿下を欺いて利用しましたね。
この辺で誠実で純心無垢な皇太子殿下を悪用する事を止めないと君に天誅が下ると思いますよ。
山 路 信 義
第86報
国賊に天誅を
”正統な血脈の天皇家の厚意を踏みにじり、天皇陛下、皇太子まで巻き込んで
日本国を破滅させようとしている国賊に天誅を”
特殊資金の最高権利者には正統な血脈が要求されている、日本国においては明治天皇の血縁者が有資格者である。従って昭和天皇は適格者であったが、今上天皇と皇太子は有資格者ではない。この冷厳な事実に目を背けてはいけない。
勿論今上天皇は日本国及び日本国民に一旦緩急が遭った時に、自らの責任において使用できる枠がありその範囲内で権限がある。
そのため、その枠のうちの一部の80兆円が今上天皇の管理下におかれていたのであるが、これを当時の小泉純一郎首相、武藤敏郎日銀副総裁、小和田恒氏が共同謀議をして全部盗み取ってしまった。小和田氏を通じて御多聞に洩れず全く権利のない皇太子も巻き込まれているのである。この件の究明も重大な事案であるといわざるを得ない。いつから日本国の政治家、特に最高権力者と財務官僚どもが泥棒になったのか全く日本国の信用は地に落ちてしまっている。
先に後藤田正晴氏と小和田恒氏が共謀して、小和田氏は皇太子を騙して署名をさせ、後藤田氏は今上天皇の署名を偽造して、イギリスにあるこの資金の本部に三重野康氏(元日銀総裁)を出向かせ3000兆円を掠取しようとして失敗し、後藤田氏は非業の死を遂げている。
その後日本国に来ていた資金のうち1320兆円を、小泉氏、小和田氏と武藤氏が共謀して掠め取り、オランダのさる銀行に皇太子の口座をつくりそこに隠していたのも発覚した。この事件はオランダハーグの国際司法裁判所にまで持ち込まれ、日本国と日本国総理の小泉氏が敗訴している。
どこまでやるのか、ただただあきれるばかりである。小泉氏は個人的に7兆円を掠取し隠していたが発覚しこの資金はいまブロックされている。小泉氏の実弟、長姉の別れた夫、飯島勲氏が小泉氏の下で干与しているといわれる。勿論武藤氏は共謀している。この件は徹底的に洗われている。福田康夫総理が組閣に当たり完全に小泉氏を無視し得たのは、内閣総理大臣という地位にあるためこの情報を把握していたからである。
小沢一郎氏も竹下登氏が掠め取った資金と知りながら、武藤氏の斡旋で竹下亘氏から分けて貰った金を使っており、私シしているため立件されることは間違いない。中曽根康弘氏が掠め取った50兆円も最近発覚しブロックされたが、厳しい追求の対象になることは論を待たない。
山 路 信 義
(ここまで)
学歴の点でも人望能力の点でも、本来、小和田恒は次官になれる人ではありませんでした。
東大法学部卒業者がひしめいている外務省のなかで、東大卒とはいえ、教育学科卒の小和田が外務次官に出世したのは、福田などの後押しがあったからであり、小和田が異例の後押しをもらったその理由は「皇太子妃になれると予言された小和田雅子」の父親だったからではないでしょうか。
小和田恒は、留学しますが修士はとれませんでした。その理由として、修士論文を無くしたから、といういいわけをしています。
雅子は、たまたま福田という権力者に可愛がられて出世した官僚の娘なのではなく、雅子を皇太子妃に相応しい肩書をつくるために、小和田恒を出世させたかな、と管理人は思います。
おそらく、福田(父)は、藤田女史に、自分の親族や部下、友人知人、同朋など、つながりのある家の娘さんのなかで、皇太子徳仁に釣り合う年齢の娘さんの写真をもちこみ、藤田女史の前にならべて鑑定してもらったと思います。
そして、女史が選んだ女子が小和田雅子だったのではないでしょうか。
角川春樹氏と伊雑宮
高度な霊能者がみると、前世の徳分をみれば、アイドルでもどのくらい売れるかどうか、だいたい、わかるそうです。
伊雑宮の宮司だった小泉大志命さんという、昭和の神人といわれた霊能者さんがいましたが、角川春樹社長がせっせと通い、小泉氏に、これから売り出すアイドルを鑑定してもらったそうです。前世や徳分をみれば、ブレイクするかどうかわかるそうです。
そして、売り出したアイドルが、薬師丸ひろこであり、原田知世であり、実際、映画も歌もヒットし、タレントとして大成しました。
雅子も、巨大な運をもっていたので、女史に「この子は皇太子妃になれるだろう」といわれたのでしょう。
小和田の出世街道
小和田の経歴を見ても、雅子に高学歴の箔付けをするために移動しているふうがあります。
脚本を誰が書いたか知りませんが、日本で一番すばらしい女性として売り込み成功した美智子の修法をマネして、雅子を日本でもっとも優秀な女性として売り込むつもりだったのでしょう。
そのために、雅子は、ハーバート大、東大、英国名門校留学、外務省勤務、という釣書をつくりましたが、問題は雅子がそれについていける頭ではなかったことです。
そのために、コネを利用するしかなく、無理を重ねてきました。
小和田をハーバート大の客員教授(1979-1981)にして、コネで雅子を無試験でハーバート大付属の女子大へ入学させ、
小論文と面接だけの無試験で雅子を無試験で東大へ編入させ、
小和田を外務省次官にして、雅子外務省に子弟枠(今は廃止されている)で無試験で入省させ、
コネでオックスフォード大に国費留学させ(しかし一人だけ修士号を撮れずに帰国)、
なんとか取り繕ったのではないでしょうか。
小和田の出世とキャリアの構築は、ある勢力が、皇太子妃になれるだろうと予言されていた雅子を、皇太子妃にするためにレールを敷いたように見えます。
そして、婚約内定
受験におちましたが、雅子は学習院の小等科をうけており、浩宮に近い位置におこうとしていた気配があります。
何度も皇太子妃候補として、雅子の名前が出ては消え、出ては消えをくりかえしているうちに、お妃候補が次々に逃げ出し、あるいは、創価のストーキングにあって脱落していき、最後は雅子と、宮内庁が内定させていた元宮家の久邇家の晃子さんだけが残りました。
内定していた久邇家としては、覚悟を決めて準備していましたが、旧宮家の姫が皇太子妃になるのを嫌う美智子と高円宮久子の協力で、皇太子徳仁と雅子が勝手に婚約記者会見をひらき、雅子内定を事実化してしまいました。
皇太子妃の父として、ふんぞりかえっている小和田恒ですが、本来の小和田恒の立ち位置は実は惨めなものなのかもしれません。
雅子が実子ではない疑いがありますが、結局、駒としての価値以外はないとみなされていたのかもしれません。
それがわかるのが、山崎メモです。
山崎メモから見る小和田夫妻の立ち位置
YKK
かつて自民では、YKK(山崎拓、加藤紘一、小泉純一郎)といわれたオッサンの3人組がいてつるんでいました。
いずれは首相になるのが確実だった加藤紘一、その親友の山崎、奇人変人で孤立していた小泉。
3人は仲良しでしたが、次期首相になる位置にあった加藤さんが小泉に唆されて加藤の乱をおこして自爆します。
それを踏み台にして小泉が首相になります。その後、山崎さんは小泉が首相になった時に官房長官を務めます。
山崎のおっちゃんは、女性スキャンダルをすっぱ抜かれて大恥をかき選挙に落選することになるなど、踏んだり蹴ったりな時期もありました。
選挙は補欠で受かったけど、最後は小泉に捨てられて政治家として終わってしまった、そういいう方です。
山崎メモ
その、山崎拓さんが本を出版しました。この方はメモ魔で、毎日毎日、誰と会って何を話したかとか詳細にメモをびっしり書きためていました。そのメモををそのまま本にしたのだけど、その中に、おもしろい記述があります。
2001年 11月
YKK秘録
9日、海上自衛隊の補給艦を含む3隻がインド洋にむけて出航した。
11日18時20分~20時の間、首相公邸で小泉首相と夕食懇談を行った。
小泉首相は次の5点について方針を述べた。1 テロ特措法以外の国際貢献策としてのPKO協力法改正については一任する
2 雅子妃殿下のご出産がちかいことから皇室典範の見直しを可とする
3 第二次補正予算案は成立させるが、会期延長させずやってほしい
4 特殊法人の生理と都市基盤整備後段等公団の一本化、住宅金融公庫等の廃止を断行する。
5 当面内閣・党の人事をいじることは考えていない。
(P236より抜粋)
愛子内親王が誕生したのはこのメモの一か月後の2001年12月 1日。
「雅子妃殿下のご出産がちかいことから皇室典範の見直しを可とする」
つまり、生まれてくるのが女子であることは小泉は把握してたのがわかります。
小和田の会見
愛子様が試験管ベビーなのは有名な話だけど、東宮夫妻が男子を作ろうとして失敗したのも有名な話ですね。
ごくわずかだけど失敗する例があるみたいですが、そのわずかな失敗例に東宮夫妻がはいってたのが、天の采配ですね。
でも、生まれてくる子が親王ではなく内親王であることを小和田夫妻が知らなかったのは、小和田夫妻が勘違いして宮内庁で記者会見をおこなったときの反応でわかります。
宮内庁で会見する、天下を取った気でいる小和田夫妻。
しかし、生まれたのが内親王だと記者に知らされて絶句した夫妻。
ババンこと優美子は、本来皇室財産であるはずの雅子のブローチを拝借して会見にいどんでいました。皇族のつもりなんでしょう。
しかし、生まれてくる子供の性別という重要なことを知らされなかった小和田夫妻。
この二人の立ち位置は、その程度のようです。
藤田女史の予言には、「皇太子妃になるが、皇后にはならない」というオチがついており、そのせいでしょうか、藤田女史はハワイで息子の友人に殺害されてしまいました。殺害犯が、朝鮮系だったというのも気になります。
そして、部落解放同盟や中国工作員の福田家のほかに、小和田雅子を皇太子妃に推した勢力が、創価学会です。
次はそれに触れてみたいと思います。